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Jasmine(1993) / 7月の雨なら(1993)

まだ10代の頃にも、radio(FM)で聴いて「これは!」と思った曲が幾つもある。
1990年代前半"girl-pop"の括りで女性soloが林立したが、彼女も沢山いた中の一人として捉えられてたんじゃなかろうか。
佐藤聖子。
彼女の3rd sg.「Jasmine」は、FMでpower-playとしてバンバン流れていて長く心に引っかかった曲だった。



初夏、元カレを街で見かけた。交差点、向こうにいた。
この曲で描かれる言動といったら此れに尽きて、尽きて、他に何も無い。後は、そこに至るまでの前後にある物語、この場面での心象描写をどうするか。でしょうな、問題は。
何故なら「元カレを街で見かけた」と元も子もなく書いてしまうと「うわ、ベタだ」
二流だ三流だ、ぶっちゃけ恋の物語の最後、episodeを、ひと添え。そんな状況だ。して、この曲はこう〆られる。詞を長めに引用。

次の青いシグナル 今日はあなたが
見送る番なの
強く強く恋した あの気持ちは消えない
さよならじゃ何も 終わらなかった
きれいな横顔だけ 残してあげる
陽射しの向こうに
----- 佐藤聖子「Jasmine」より
「あなたが見送る番なの」で、曲の彼女は過去に、あなたを見送ったことが読める。それが別れだったことも垣間見える一節だ。
見送るほうは相手の表情がわかる。逆に、見送られるほうは振り返らない限り表情が掴めない。だから、見送る相手に「横顔だけ」彼女は「残してあげる」のだ。ならば「別れたけどワタシは大丈夫」の横顔か、「忘れないでいて」と記憶させるが為の横顔か…
「横顔だけ」から詰めて行く、向こうを見ないのだ。あなたは私の視界に入らない。たとえ入ったとしても一瞥の程度だ、眼中にないのよ。
完全に別れるからこそ出来る横顔、なんだろうなぁ…(嘆息)
これって何かのdramaのようだ。

話は変わる。"girl-pop"で括られた女性soloは大きく分けると、優秀なbrainと組むtypeと自作自演派とに分かれる。前者は途中、路線変更の過程で自作に転じて、結果、培った個性が静かに先細ってゆく。で、これでcrushした人が多いんだ(苦笑)
路線変更の過程で痛い目を見る点では、実のところ、"girl-pop"は女性idolと同質なのかもしれない。月日を経て再び手を組んだのは、加藤いづみ - 高橋研のlineくらいしか私には思い当たらないのだ(このlineで作られた傑作が1994年releaseのsg.「坂道」)。
一方で後者。基本が自作自演だった平松愛理や広瀬香美といったあたりは時代をsurviveしている。曲では女性らしい面を備えながら、その実、男性と対等以上な一面を備えて男以上の気の持ちようがあったから生き残ったというあたりか。
佐藤聖子は、どっちかといえば、優秀なbrainと組んで巧く行くtypeに見えた。albumには彼女自身の曲もあるが、馬場俊英が手がけたsg.「Heartbeat Groove」や、作詞作曲を他人が手がけた「Jasmine」のように彼女の資質を識る人間と組んだほうが、彼女の魅力が際立つように思えたからだ。
この人は誰と組んでんだろ?作詞作曲や編曲、参加musicianを必要以上に気にするようになったのは、私がこのへんの掛け合わせのアヤを知ったからだ。

ところで、「Jasmine」の詞を書いた人の名を1ヶ月後に目にすることとなる。
西脇唯。
彼女のdebutは佐藤聖子「Jasmine」が出てから、ちょうど1ヶ月後(調べて吃驚)。



此れを聴くと、「Jasmine」の主人公が佐藤聖子の持つものに則したものだと十分にわかる。
恋愛は倦怠を迎えつつあり、相手への苛立ちが顔を覗かせるようになってきた。今日もcafeで待ちぼうけさせる相手を待ちながら思う。
恋することだけに 縛られたくはない
7月の雨なら一人歩き出せるかも
----- 西脇唯「7月の雨なら」より
こういう言葉が出るのは、それでも未だ恋することに縛られているからだ。
けれど、その縛りを解くキッカケは些細なこと。そう言っているように見える。
どちらの曲にも共通するのは、裏に当時流行のdramaの脚本があるかのような感じ。そう思えてしまう点だ。日常の中に潜むdrama的要素の抽出、その巧妙さが絶妙。ただ、これでもか!的な虚構性までは、ない。
練りあがった世界を曲の中でガチに構築されて、それは虚構だッつーのに「やられたッ」となるまでは、まだ。でも、巧いわ。という。

ビューティ・パワー・スーパー・セレクション / 西脇唯ベスト
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車線変更25時(2002)

「車線変更25時」を最初に聴いて耳に引っかかったphraseは「国道16号」「246号」の国道名。次いで、1番の「左には潰れたレストラン」という道路沿いの描写、2番の「厚木のネオンが」。
具体的な国道名や地名が来ることで、曲の作られた背景を考えずにいられなくなる。一体どこから、この歌詞が?
"相模原出身の5人組"という彼らの基礎知識と曲を繋げると「これ、地元のこと?」
まず、それが出てくる。
この疑問、BARKSのinterviewでも触れられている。その回答、これでスッキリする筈。

Vo伊藤の、「曲を聴けば、地図を見ないで家から海に行ける曲を作ってみたい」という発想から生まれています。その名残で、僕たちの地元丸出しの道路や地名が出てきてしまっています。
----- BARKS : キンモクセイ、ニューシングル「車線変更25時」とグループの“今”について訊くより一部抜粋
これで名残なら、下敷きとなった元の歌詞だと凄いことになりそうだ…

そんな歌詞に関しては、ここまでにして。音楽的には旧き良きdiscoを編曲の下敷きにしている。これから派生して、あのPVになったのだと(ニヤリ)この話題は動画込みで、後に触れる。暫時、待たれよ。
この手の濃い口な音(編曲)はCKB(CRAZY KEN BAND)あたりが真骨頂で、やったら大人の色香ムンムンで最高だ。同じ神奈川でも相模原と横浜は違うのか(相模原=内陸、横浜=港町となりそうだが横浜でも"内陸の横浜"があるのは知っている、このあたりは一応東急田園都市線の乗客だった故)それともキンモクとCKBとでは年齢差があるからか、キンモクの音は経験を経た大人の色香よりも孤独の持つ仄暗さが(歌詞も影響してか)前に来る感じ。まだまだ音が若い。
で、だ。PVだよ(ニヤリ)



イトシュン(Vo.伊藤氏)、踊りが固ーーーい!release当時、どうにもこらえ切れず吹いたのを覚えている。
同時に「The Gospellersが初期の頃のtourで、てんで彼らは踊れていなかった」のを思い出したのが、どうなんだろう自分。と。その辺りの記憶があるからなんだろうけど、どうなんだと(自爆)
So-netの"mc"(音楽情報サイト、とうに潰れた)のcolumnでも話題沸騰。当時、音楽時事に関する斜め見と辛口とで鳴らした当該columnでネタにされた中で印象深いのは、このPVのイトシュンとThe Gospellersの村上氏。特に、村上氏が幾度か話題の俎上になった記憶がありをりはべり。

キンモクセイ 『ベスト・コンディション ~kinmokusei Single Collection~』より「車線変更25時」(iTS)

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You can jump into the fire(1999)

中古CD漁りしてて中々発見出来ないCDというのはあるもので「You can jump into the fire」が収録された原田知世のalbumは自分の中で、そういう一枚。
で、今回は、そのsingle「You can jump into the fire」の話を。

albumを年代別に並べて行くと、彼女の音楽世界は何度か転換している。音楽活動の最初がidolとしてのものだったから、先ず、其れがある。そこから徐々にproducerを立てて、sound面も様々に変化し(秋元康・後藤次利と組んだ時代があるなんて!全く知らなくて驚いたYO)、徐々に音楽製作に深く関与して、という過程を辿る。
その中で、音楽そのもので原田知世の評価が固まったのは1996年『clover』を出した頃だと思う。その音楽的評価がsalesという形で繋がったのが『I could be free』[1997]で、その頃にreleaseされたsg.群(「ロマンス」「シンシア」)が1990年代の原田知世のimageを今なお彩っている。原田知世というと「ロマンス」の、「シンシア」の、というような。
此処でその少し前のsg.を紹介したこともあるが、その後に出たsg.だと、これが一番の異色作じゃなかろうか。そう思う。
何故に、な、disco調。
彼女の出したこれまでのsg.を並べても、此処までのdisco/soul/funkモノなものは未だかつて無い筈だ。過去には歌謡rock路線を秋元-後藤時代にやってる人で、変遷を辿ると実に「何でもありで」な人だが、それでも。
これまでも"趣味"な一面が出ている(趣味具合をMOONRIDERS鈴木氏との作品群に、私は強く感じる。また一方で鈴木氏の趣味炸裂だとも思うのだが)と思ったところに、原田知世、更なる"ド趣味"で来たら其れはまさかのdisco調で、過去の音楽遍歴から見ても異色作だった、という按配か。
此れは彼女のself-produce故、加えて自分のとこのprivate band(mash)を従えて作ったが故、ドッと溢れ出した"ド趣味"なんだろうなぁ…、と思う。こうもドップリdiscoモノなのに、この手の音楽特有のベタさ下世話さが見られないのが"原田知世"らしさだわ。



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ストーリー(2009)

黙して聴け。



ハイ、これを聴いた私の感想は
「シカオちゃんの「午後のパレード」思い出したんだが…」
あのPVに象徴される「あー、あれだけひねてたシカオちゃんもここまでやっちまったか」「ここまでやると正直、おいらのついて行けないところに行っちゃったかあ」感、それに似たものを僅かに私は感じている。そうなるのも、細く長く続いていた筈のシカオちゃん興味、それが離れていく一打が「午後のパレード」前後のsg.群だったから。
悪いが、あの大名曲「Thank You」後の展開がこうなるとは思わねえよ!!(叫)
で、さかいの所属事務所を知ると納得以上に"合点がいく"のだ。でもって、あそこらしいわ、と斜に構えそうにもなるのだわ。過去、スキマスイッチの時に「view」を最初に切り出して少々難しく始めたのを反省しての所業なのか?とかーとかーとかー…←それだけやん(自爆)
これでもCOILの初期とかガッツリ、な人なんだよねえ…

兎に角。major第1弾のsingleだ、新人のお披露目としちゃ十分申し分ない。でせう、むしろ良い。新人の中じゃ優良もいいとこ、本当に。
だけどもさ、indies時代、それこそ、あの「Midnight U…」で此方の意識を完璧にぶちのめした"さかいゆうのアク"というド級の一撃(それは衝撃でもあった)は、ここにない。
悲しいかな、(個人的に)この曲に限っては!
あの濃さ、黒さ、向こうのsoul感が薄れて白くなった感じ。
が、さかいゆう「ストーリー」だとすると。
あの濃さ、黒さ、向こうのfunk感が薄れて白くなった感じ。
が、スガシカオ「午後のパレード」なのかと(確か、discoな曲を作りたい!で作った曲だったものな)。
-----、だから「午後のパレード」を思い出したのかもしれん… orz
この感じは、ともするとThe Gospellers「永遠に」が出た後に思った「良い曲だと"頭は"理解しても、あのgroupのだと思うと、これはどうなんだとチト思う」を思い出すのが、なー(溜息)この場合だと「良い曲だと"頭は"理解しても、さかいゆうだと思うと、これはどうなんだとチト思う」か。
あのね、それこそ好物。すごい好きな男性solo singerの路線だし、曲もすごい好きな路線の曲なんだけど。だけど、さかいゆう、まだまだこんなもんじゃないだろ!!と思えて蝶。ということで、ご容赦を。

さかいゆう 「ストーリー」EP より「ストーリー」(iTS)

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透明ガール(2005)

title曲の「透明ガール」は、夏の日のciderみたいな曲。PVからして爽快感。
男子と思しき主人公が、見るとキリンジの堀込兄弟のどちらかにどこか似て蝶なのは気ニシナイ<待てお前。



此処までtitle曲の紹介があっさりなのは、PVが見つかり「オレが曲を語ると話がどえらく脱線しそうなんで言いません。ただPV観てください、ただ聴いてください、本当にお願いします」と思ったから。そして、本題がtitle曲以外にあるから。
この「透明ガール」EPは「透明ガール」の後

02: I WANT U BACK (Live Version)
03: ジャクソン・ファイヴ・メドレー (Live Version)
04: リズムナイト (Live Version)
05: メモリーズ 〜ひと夏の記憶〜(Live Version)
-----、とあるように2004年12月14日、渋谷QUATTROでの“HIPPY CHRISTMAS 2004”の模様の一部をCDに収録してある。本題は、この点。Live Versionがあるということ。

個人的に「アタシ、CDのLive Versionとか好きなんだよね、Live albumとかも全然気にならないんだよね、映像あってもいいけどCDだけでも十分良いのよ。好きなんだよ、あーいうの」という考えの持ち主で、むしろ、そういうほうが好物とも言えるかも(微笑)聴いていると、過去の現場猛者の血が騒ぐとでも言いますか。
あれこれ手をかけられるCDに比べ、liveの現場はmusicianの実力が問われる。同時にliveに対して、そのartistがどういう考え方で臨んでいるのか判断できる。それが素人目/素人耳だろうと、真剣に観れば/聴けば、わかるものはわかる。
会場にいれば、自分の目と耳で確かめられる。加えて会場の空気をも体感出来るのだ、行くなら五感磨いて出陣なさいということ。でも万障繰り合わせて会場すべてに行けるわけじゃない。だから、会場行きの労苦のない、こういった公式のlive音源は非常に嬉しい。
「うっわー、こういうこと、liveですんだ!?」
そう思ったとして、予想外の好印象なら良い。が、その逆もあるから諸刃だけどね。
それでも「liveの現場の空気を皆にお裾分け」と思っての"liveの音、お蔵出し"なら、本当に有難く頂戴したいものよ、と思う。そりゃあ音はrecordingに比べたら悪いかもしれないよ。だけど現場の空気が悪くなかったら、そういうminusは意外と目に入らなくなるよ、ホントに。

ただ、私の場合はLive Version前に、彼らを観ている。だから、liveの音の傾向が既に自分の中に入っていた。と同時に安心して音に身を委ねられる!と思ったのだが。
私はsg.「Love Together」が出た頃の2000年3月31日、(昔の)赤坂BLITZで初めてNONA REEVESを観たが、初見でdrumの巧さ(現時点であれだけ叩けたら余所から引き合い来るぞ!と言ったら、本当にそうなった)とvocalの引出しにKOされ、「Stop Me」「Love Together」に「The Girlsick」とやられた結果、NONAに陥落したという経験がある。
そして、その年の11月、新宿LIQUD ROOMでNONA REEVESを観た時、自分の頭上背後をYOU THE ROCK★に走られて衝撃を受けたのも忘れ難い(大爆笑)floorの後ろにいたからそうなったんだけどさあ!!!でも、背のデカイ男が走るんだぜ、自分の背後も斜め上を。衝撃受けるわ。

NONA REEVES 「透明ガール」EP(iTS)

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悪い夢

KBCのinternet配信(音声配信or動画配信)ので、この試合もcheckしてたけど実況、これじゃなかったなぁ…
裏送りで仙台方面分があったから、ここまでの贔屓放送じゃなかったのよね、KBCは。にしてもなかなかないよなー、ここまでの。


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鯨(2004)

女性アイドルという分野で考えて「歌える」「踊れる」というのは当初、素人寄せ集め集団だった娘。が気付けばやれるようになっていたことでもあり、じゃあ、どこで差別を図るのか?となると"楽曲"になるのだろう。
彼女たちがデビューした2004年というのは娘。の持つ瞬間最大風速もなくなった頃のように記憶しているし、だから表舞台に正面切って顔をのぞかせたともいえる。
アーチスト(ここではハルイチ・本間というポルノグラフィティ人脈)に曲提供を求めるのは戦略的に正しいし、それを受けた彼女たちも曲に応えて自分の歌・ダンスの実力をキチンと提示している。そのあたりに隙はない。
このあたりの韻の踏み方は教科書のようだ。

愛した真実 失くした事実 ささやかなる落日
-----Buzy「鯨」より

でも、引用した一行は曲の終盤も終盤。2番まで回して別メロ挟んでギターソロ入れて、後、一発キリなのだ。主に出るのは別のフレーズである。なんちゅーこと… orz
肝心の歌詞はサビで罪だ罰だと言うけれど煎じ詰めれば「私、生きていて良いのかな」路線。ただ、その表現はひねったところがあるけど。

5年経ってPV観ながら思うのは、彼女たち、女性アイドルの括りに入れると個性より実力が先に立つ感じがする。「歌もうまいし、ちゃんと踊れるし、曲の表現も出来ている」だけど、そこから先の言葉が見つからない。とはいえ結成から2年、前身のグループ含めたら6年、の念願かなったデビュー曲。だから「各自の色、個性をこれからつけて行こう」という状況だったのかもしれないが。
「色をつける」を念頭に置いてPVを観ると、アイドルものにしては不親切なくらいの全編モノクロで白と黒でしかないのは、白と黒から始めて、そこから各々の色をつけていこうと思っていたからだろうか?と邪推してしまう。その一方で「この先、どう変わって行くのだろう?」という兆しが見えてこないのだ。アイドルとしての成長物語の先が、そんなに変化無く、割合直ぐ終りになりそうな不安さえ覚える。ならば女性ボーカルグループに仮定すると、他と同等というか…。正直、このレベルはいるだろうな、であり没個性なあまり周りに飲まれて埋没、轟沈しかねない。
結論。アイドルの成功って思いのほか難しいのだなぁ…(嘆息)



鯨
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Such a Lovely Place(1997)

1997年11月リリース、槇原敬之8枚目のオリジナルアルバム。
彼はこのアルバムのリリースに際し、デビュー当時から所属していたレコード会社(WEANER)から別のレコード会社(Sony)へと移籍している。
以上でデータ的ハナシは終わらせておこうと思う、早速本題。

「槇原敬之のアルバムで一番好きなオリジナルアルバムは?」
そう訊かれて、このアルバムが出てくる割合は相当低いのでは?と思う。
"一番"という限定が入ると選ばれ辛い。此れを思ったのは、このアルバムから6年経て7年目になる2004年3月、The Gospellers『Dressed up to the Nines』を聴いた時だ。
「『Dressed up to the Nines』ってスゲー槙原の『Such a Lovely Place』みたいだ…」
そう思った。
「Right on,Babe」が「うたたね」で「シアトリカル」が「印度式」。
そうなると「街角-on the corner-」が「Such a Lovely Place」よね。
てなると、「コーリング」は「足音」だよなぁー…
其処まで思って。ふ、と思った。
「でも『Such a Lovely Place』って彼のオリジナルアルバムでも"マキハラ聴くならこの一枚"に推す人が少なそうだな」



自分が人に"この一枚"と訊かれて通好みぶって渋いところを選ぶなら。でしょ、もし選ぶなら。正直、相手を選んで、自分がひねくれない限り選ばないだろう。素直さを出して「ここはほら、第一段階として(昔のアルバムだけど)わかりやすく初期の君三部作から一枚」と思う。
"この一枚"の条件をもう少し緩めて「3枚選んで良いよ」と仮定する。それでも難しい。
それより少し幅を広げてみよう、「5枚でどうだ」
それでも選ぶ人は少なそうだ…、と思えてしまう(何故だ)。
かといって売れなかったアルバムではないのだ。加えて前作『UNDERWEAR』の差し迫った感じ、それに伴う閉塞感を打破し切って余りある作品なのに(『Such a Lovely Place』リリース当時のプロモーションで、彼は「『UNDERWEAR』は遺作のつもりで作った」的発言をしている)。

ひとつひとつの曲が丁寧に作られていて、曲調もバラエティに富んでいる。
アルバムの構成もしっかりしていて、全体の流れがちゃんとしている。
そして、このアルバムはランダムに曲を聴くのではなく、アルバムの曲順通り、「うたたね」から「Such a Lovely Place」の流れで聴くことをお薦めしたい。一度で良い。曲順通り流すことで作り手の意図がよりよく伝わるのでは。
アルバムのクロージングに置かれた「Such a Lovely Place」では「うたたね」のフレーズがギターソロに織り込まれ、「うたたね」で生まれた流れが、此処に到達したことを知る。
そしてまた「うたたね」に戻ることで、私たちは「Such a Lovely Place」に帰る(還る)ことが出来る。ひとつ、くるりと輪(ring)が描かれたのを感じることが出来る。
-----、それっくらい。には、実に出来たアルバムなんだけどなあ(嘆息)
なかなかNo.1になれないんだよね。
こういうの、隠れ名盤とか言うんだよね。と思うことにする。

Such a Lovely Place
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R.I.P.

TBS RADIOに関しては
「この前の(番組)改編で『コサキン』と『ストリーム』を終了させやがって!この(以下省略」
と今も、今でも思うのは多少恨みがましいよなと思いつつも尚、思っています。が、『ストリーム』後の『キラキラ』にNONA REEVESの西寺氏を毎週出演させているのはGJだと、4月の開始当初から、ひとり勝手に思っとりました。
彼の喋りは好きでしたし、NONA REEVESの音楽にもヤラれてましたから。liveも何本か観てるし。

『キラキラ』のPodcast分ではあるものの、音楽がのらない状態でもゴリゴリ繰り広げられるMJから始まるpeople-treeな(思い出すのは某黄色いCD店の冊子の特集のような)数々の話には「あーー、文化放送でNONAでやったLIPS聴いてたよ!」などと思うわけっすよ←でも、放送されてたの何年前だよ(苦笑)といふ話である。
西寺氏個人に関してはblogの体裁になったものの、文章量の多い「LIFE」の内容・更新頻度に圧倒されとったんですが、此処に来てMJ絡みで凄まじい事になっておるのだなぁ彼は…

思えば、KING OF POPの存在に関しては、意識して音楽を聴きだした頃には「もー自ら「王様」名乗ってんだもん」だった。既にimageが出来上がってしまって、carrierとしてもあがっちゃっている。
しかもrealtimeで、となると印象強いのがalbum『Dangerours』一点で、其処から前にも先にも行けないくらい私は洋楽に精通しない(その分、1990年代のJ-POP云々は相当な袋小路までハマり込んだと思っている)。
中でも、売れに売れた「BLACK OR WHITE」より「Heal the world」に反応したのは、この人は本当はStevieの「Overjoyed」的な、こういうのが本当のところなのかな?と思った事があるからだ。

その西寺氏blogへlink、はっときます。
文章を読んだ後、link先の音声fileをDLしてシカと聴いて欲しい!
決定版「メイン・ストーリー・オブ・マイケル・ジャクソン」
こっちは『タマフル』7/4OAのMJ正論。彼が生きた50年を5ツに区切っての解説。
番組Podcastも有難いんですが…
出来たら、今のうちに、http://www.nicomimi.com/に行って「タマフル」tagで検索かけると…、かな。OA完全版は音楽、のってるから。ちびっ子の頃の歌の巧さがベラボーでマジで驚く。そりゃ人気出るわ!
「マイケル・ジャクソン、小沢一郎 ほぼ同一人物説」
ぶっとんでる説ですが、MJ論の異端は此れ。

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フィルムの向こう側(1989)

子どもながらに覚えているのは「フィルムの向こう側」の後の南野陽子の歌の記憶が1mmもないこと。確かに"1mmも"とは表現キツいが、思い返してみたところ、この曲の後、どんな曲が出たか?の記憶がキレーーーサッパリないのだ。
音楽の嗜好性が出て来た頃ではあっただろうし。で、それもあってかなあと思ったが調べて、更にbest album(single collection)を手に入れて、聴いて納得。した。
-----、あーー、こりゃー(頭を抱える)
ホントに失礼だが、これはキレイサッパリなくて良かったかもしれん。この後の彼女、アイドル路線から脱却を図って失敗。"THE END"、----なのね。

さて。
アイドル・南野陽子のsingleとなると思いつくところは「楽園のDoor」、「話しかけたかった」、「はいからさんが通る」、「吐息でネット」てな辺りなんだけど(個人的に「秋のIndication」がとてもよろしいと思えた)、そんな最盛期のsound productを引き継いでの最後の花が、この曲。と思えば良いのかなぁ…
ただ「はいからさんが通る」のようなアイドルが前に出た明るく前向きメッセージ!てのは、この曲に無い。サビはなにせ、こう。

遠い話と瞳(め)を閉じますか
見知らぬことと言えますか
-----南野陽子「フィルムの向こう側」より

繊細で柔らかな手触りの音に乗る、この歌詞。ひっかかりますね、見逃せないし耳に残る。
それ以上に。degital camera全盛の今となると、この曲のタイトルにある「フィルム」に、カメラを使うことはフィルムを使うことと同義だった時を思うのだ。
薄いフィルムに残る愛の姿はもういいよ
-----南野陽子「フィルムの向こう側」より

35mmのフィルムカメラをいじりだして、リバーザルフィルムに手を出した大学時代。35mmの薄いフィルムに鮮やかに切り取られる一瞬一瞬に一時、夢中だった。リバーザルフィルムを写真店に出し、数日後、スリーブで出してもらうようにする。受取ったらルーペで一枚一枚チェックする。兎に角、上手く撮れない。でも捨てる大量のコマから、ひとつのコマを選ぶ。
フィルムは残る。切り取らない限り、そして、それを捨てない限り、手元に。でも、あの頃、勿体なさも手伝って、それらのフィルム全てを捨てきれずにファイリングして、残していた筈だ。
そんな時代から変わった。
記憶媒体に残しといて、ほったらかしてても良くて、嫌になったら即座に消去する時代になってしまった。写真を撮れば、そのコマをその場で確認する、なんてこと、フィルムじゃ出来なかったことを普通にしている。
もう、幾ら撮っても現像に回さないとならない頃と違う。
カメラに切り取られる「あの日、あの時、あの姿」、その一枚一枚の厚さは随分薄く、ひとコマの重さは軽くなったように思う。

GOLDEN☆BEST/南野陽子 ナンノ・シングルス3+マイ・フェイバリット
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