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水の精(1994)

以前より読みに行く音楽モノのblogでも、音楽モノ評論のsiteでも裕木奈江のalbum『水の精』は高く、-----それは読み手の此方が驚くほどの熱を以て-----、評価されていた。
そして、そのどちらも文章の書き手は男性。
そのうちのひとりは、idol popの名盤の系譜に、このalbumを置いている。
作詞・produceで松本隆が全面協力。細野晴臣らが参加-----
歌い手の彼女以上にcredit的なところが自分の頭の隅に引っかかった。

彼らが何故、裕木奈江?
細野作曲、松本作詞の「宵待ち雪」を聴くと「彼らが何故」という疑問の答えの一部があるように思う。



松本氏たち(ここでは特に松本氏だろう)の求めていたfragileな"少女"の音世界。これを十全にやり切るには、裕木奈江の声が、裕木奈江の歌が必要だった。一方、裕木奈江にも松本・細野両氏の力添えが必要だった。
そして、それは音楽として大きく成功している。この音世界に男性陣は心を揺さぶられたのだろう。
裕木奈江をdebutさせた星野東三男氏のinterviewを読むと、彼も『水の精』を裕木奈江の最高傑作と推している。他のalbumの話もそこそこに『水の精』について語るのだ。こんなふうに。

それから、もう一つはホントにこれは世に出したかった『水の精』というCD。これはもうホントに傑作なんですよ。これは素晴らしいんです。
-----星野東三男氏インタビューより抜粋
しかし、実に素晴らしい出来のalbumが素晴らしい売上げを記録するわけではない。この現実に制作者たちは直面し、大きく挫折する。

1990年代が更に遠くなっただろう2010年代、このalbumを聴いていて、私が思いだしたsg.が2枚ある。
ひとつは三浦綺音「家族の肖像」(1994)、ひとつは中谷美紀「いばらの冠」(1997)だった。
「血がつながってないと 気付いたのはずっと前」で始まる「家族の肖像」。
この曲の持つ独特の重さが歌詞冒頭の"血"の印象から来るものならば、一方、『水の精』に通底するのは"水"の持つ清冽な印象である。
血と水の違いはあれど、「家族の肖像」も『水の精』も"1994年"という一時期に、ともに壊れそうな少女を瞬間真空packageにした感じだ。
ともに脆く、壊れそうで、時に魅惑的で、男性の心をくすぐらせるだろう少女の姿。
ちなみに、三浦綺音とそのstaffが危うい少女路線を音楽でやろうとしていたことは、三浦綺音のblogで、彼女の言葉で語られている。
それを表現し切った作品にも歌手にも制作者にも天晴れの一語なのだが、一方で、所謂idolの枠から片足はみ出し、片足はartの枠に突っ込んだ感じも受ける。だからというわけではないだろうが「家族の肖像」はNACK5『JAPANESE DREAM』でGrand Prixを獲得した(JDチャート1994年8月度1位)。
1996年3月には華原朋美「I'm proud」が出たことを考えると、時代が求めるだろう"fragileな少女像"も時代と共に刻々と変化していることに気付けるのでは?となるのだ。

で、もひとつ。中谷美紀「いばらの冠」。



このsg.の写真を覚えている人はいるだろうか?
なかたにさん水の中だぜヒャッハー!てのは、ここでは余り関係ないので横に置く。
曲のdata的なことを言えば、「いばらの冠」は作詞:松本隆、作曲:坂本龍一。
かの『水の精』では"葡萄酒みたいな微風"(「月夜のドルフィン」より)、"時計の針が嘘を縫ってる"(「宵待ち雪」より)、"薄荷の匂いの四月雨""バスが連れ去る 純粋な日々"(「空気みたいに愛してる」より)、"風の絵筆が翳りを描く"(「鏡の中の私」より)…と松本的風街的少女趣味大放出だったのが、ここではサビに、こういう言葉がトン、と来るのだ。
わたしを消去して
----- 中谷美紀「いばらの冠」
うーーーむむむ…
"無色透明のインクがあれば 愛しているって書けるのに"(「恋人たちの地平線」より)から数年経過、あの時の少女趣味から、だいぶ現実的。
時代的にポケベルから携帯(PHS含む)へ移行する時期ではあっただろうが、ここで「消去して」…
『水の精』で松本氏が受けただろう大きな挫折を思うと、この時期、こういう言葉が出てくるのも氏の詩作の試行錯誤の結果かー… と遠い目になるのだ。
でも、怖いよね。消去して。て。

水の精
水の精
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裕木奈江
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review

写真は、ここ最近最大の衝撃(笑撃)。
当entryとの相関関係はありません。

"GO UP HILL"にアルバム評…なのかな、やはり。アルバムに関して、ちぃと長めの文章を書いたのでした。
GO UP HILL : Be as One(2006)
GO UP HILL : MO' BEAT(1997)

遅筆もいいところの人が珍しく。

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紺色の時(1992)

あなたが、FM(radio)局のpower playを"ハッキリ"意識した曲は何ですか?
そう訊かれたら「それなら、森田浩司の「紺色の時」だ」とこたえる。



森田浩司はSONYから1990年10月21日に1st single「CHEEK TIME TOMORROW」、翌11月21日に1st album『ARTY』をreleaseする。1990年にdebutした男性soloで自作自演(singersongwriter)系って誰かいたっけ?となって、パッと思い出したのが槇原敬之だった。
槇原は1990年10月25日に1st single「NG」、1st album『君が笑うとき君の胸が痛まないように』をWEAミュージック(WEANER MUSIC)から出している。
年が明けて1991年、森田、槇原両人に転機が訪れる。
1991年4月、森田はSONYのcasette tapeのCM出演の機会を手にする。大量OAもあって評判を得たCMだったが、"肝心の"CMのtie-up曲は6月1日になってreleaseされた(「愛のX」)。
槇原は、1991年6月10日に映画主題歌となった曲「どんなときも。」をreleaseする。
翌年の1992年3月25日、この「紺色の時」はrelaseされた。

自作自演系・singer系含めた男性soloの勢力図は1991年「どんなときも。」でも、それ以前/それ以後と分けて語ることができるかもしれない。
1991年3月debutの中西圭三までがギリ「どんなときも。」以前として(※なお中西自身が注目を浴びるのは1992年、ZOO「Choo Choo TRAIN」とCMのtie-upのついた自身のsg.曲「Woman」である)当時は特に"久保田利伸の跡目"系に見受けられた中西路線と槇原路線は微妙に異なるのだが、とはいえ1992年以降、特に1993年に、この手の自作自演系新人が登場する。1993年に東野純直(テイチク/YAMAHA)、樋口了一(東芝EMI)、片岡大志(BMG VICTOR)…と表に出るが、槇原に近いtypeの自作自演(+producer可能)typeだ。
一方で「1990年以前よりsoloやってますゼ」組の角松敏生は"凍結"へ向かい、崎谷健次郎が自身の音楽活動の幅を狭めてゆき、池田聡が中西圭三とICE BOXやったり(コレは1994年)drama出演しててオラァ驚いたYO!となっていくわけですけども(爆)それはまたコレと別の話だし、また一方で吹き荒れた小沢健二旋風もまた別の話。

「紺色の時」が「どんなときも。」後の男性soloモノ楽曲だ。
槇原 - WEANERの「どんなときも。」への、SONY謹製の回答のひとつが「紺色の時」?という穿った見方もしてみたくなるが、そういうことは全くなかっただろう。
「紺色の時」が収録されたalbum『23KM』-----"23歳の森田(M)浩司(K)"、つまり彼自身のことを指している-----と題したalbumが自分の手元にある。歌詞を見てもそうだが、槇原の向こうを張りました!という感じはない。むしろself produceなものだからオレはオレ!という感じを受ける。
そういうオレ!オレ!な中からsmartな出来で歌詞も素直で、誰もの共感を得易い曲をsingleにすることにしたら、それが「紺色の時」でした。みたいな感じだ。

あの日 抱きしめて
似ている 仕草を
さがしにゆくけど
赤い夕暮れに
紺色の時が まぎれてゆく
----- 森田浩司「紺色の時」より
夕暮れの赤に紺色の制服が溶けてゆく画を、このサビで、いつも思う。
紺色の時は、紺色の制服を着た"学生"という時間。学生でも大学生じゃなく、高校か中学か。その時間は戻せない。大人になると忘れそうになって、本当は忘れてはならないだろう時間。
だからだろうか、この曲は「おぼえているかい」で始まるのだ。

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万華鏡(1979)

図書館で「青春歌年鑑」「続・青春歌年鑑」seriesを手にする機会があって、1970年代から最後になる1990年まで幅広い年代のCDを借りてきては、それをiTunesにおとして聴いていたのだが、岩崎宏美「万華鏡」を聴いた時に思ったのは「音、随分とSoulでねーですか!」



筆者における岩崎宏美のrealtimeの記憶は1990年代半ば、佐藤竹善氏とその周辺の音楽仲間たちの手を借りて『FULL CIRCLE[+3]』(amazonのlinkは再発盤)というalbumに結実するあたりになってからだ。
彼女の長いcarrierでも後半になるだろう。言ってしまえば、debutから岩崎宏美を追いかけている辺りでは、本人の趣味も入ったこの時期は評価が分かれるあたり(爆)ではないだろうか。と推察する。
それ以前に私が岩崎宏美に持ち合わせる知識は「ズバリ、歌謡曲の人」「女性歌手でも歌が抜群にうまい」に尽きて、それで終わるのだ。
知っている楽曲は?と訊かれたら「聖母たちのララバイ」が出てくる。あと「ロマンス」「すみれ色の涙」。後になって、曲を聴いてみて「そういや「家路」も聴いた覚えにあったなー、この曲だったのか…」となったが(自爆)他を聴くうちに聴く機会も無く、大人になるまで一度も被らずに来た音楽が岩崎宏美のdebutから「聖母たちのララバイ」までの一連の流れだった。

だから今時分、こうして「万華鏡」を聴くと「なんかさ、こういう洋楽の。Soul系の曲ってあったよねえ。1970年代あたりに」というのが先に口をつく。
特に、曲の2番が終わってからのhummingからの展開。chorusが高音を張り上げていく中を「夢だと言って 嘘だと言って」サビが繰り返される様は、まさに向こうのSoulの手法そのもの。あれを日本人向けに落とし込んだものじゃないか?とさえ思えてくる。
これを「ロマンス」など初期岩崎楽曲を手掛けた筒美京平ではなく、馬飼野康二が。というのが面白い。

大学時代、それも18の時に大人ぶって、わけもわからずRoy AyersのCDを聴くという行動をしでかした自分がいるのだが、18歳に「Love Fantasy」なんてーのは艶めかしさを通り越した直球エロであり、後に「Roy AyersはヘッドフォンなしじゃCDを聴くことすら出来ない!」なる「あれは"聴くエロ本"だ」論をするに至るのだが(自爆)そういう音楽を迂闊に知っているものだから、この曲はSoul系もDeepな方向なのにもかかわらず、清潔な印象を受ける。
じゃないと、hitしないよなぁ…
目の前の事実にバラバラに心を打ち砕かれた女がショウ・ウィンドウを見る。その反射する様=万華鏡が前に立って、僅かに妖艶さが来て、エロ味って全然だよね…となるのもあって、どうにも印象は「清潔」「キレイ」だ。だが、歌われているのは、男が別の女といる現場を目撃した女の心理である。
これは曲の主人公たる女に感情移入して距離を縮め過ぎ、ハマり込み過ぎなかったからこそ、だろうな。これを歌い手が深くハマり込んで歌ったら、これは観ている側も痛ってーなと思うぜ。

て、曲がWikipediaを見たところ、車のCMで使われていたと知って二度驚いた。



だからだろうなあ、2番の歌詞に「バック・ミラー」とあるのは。と非常に納得。なのにCMで使われているのは「バック・ミラー」のない1番の歌詞じゃーーん!
そして、最後に番外。松本明子の岩崎宏美「万華鏡」(モノマネ)。



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深愛(1998)

後に河村隆一自身がself coverしている、stageで良く歌っていることから察するに、河村自身、作曲者として相当手応えを感じた一曲だったんじゃなかろうか?
河村がproduceしていた三人組、Say a Little Prayer「深愛」を聴くと、そんなことを思う。

Say a Little Prayerは、tv番組主導で生まれた三人組だ。そういうこともあって楽曲に入る手前で、予備知識に一枚"イロモノ"感が挟まり易くなる。同じ番組に出演していた(しかも)後発のモーニング娘。も最初期、そういったところを感じた。
だが、当の本人たちが驚くほどに"イロ"が無かった。このあたりが年齢バラバラ、身長バラバラ、全てにバラバラな五人というイロモノから、徐々に"個性"が前に出て、一時は隆盛を極めるモーニング娘。とは違う。
audition番組発のdebut予備軍から選抜で選ばれた三人とはいえ、まだまだ原石。未だ素人同然な雰囲気を残しているところが、debutから少し経った「深愛」でも、わかる。



己を飾ろうにも飾れない。本人たちが飾りの重さに、化粧の濃さに負けてしまう。
だから決して無理をしない、彼女たちの素の良さを出せるような曲を与えよう。
サビを歌い上げようにも、その歌唱は一人ではもろく、未だ、つたない。
だからサビのmelody lineは同じものを彼女たち三人になぞらせる。三つの声を一つに束ねて花束のようにしてみせるstyleを取る。
最初はそれぞれ一人ずつ歌うが、サビに来て、三人の声が重なる。これにより、それまで見えた個々の頼りなさ、線の細さといった弱点は、彼女たちのひたむきさ、一生懸命さへと生まれ変わる。
だからだろうか。彼女たちの活動期間が短かったのが、今となれば、わかる気がするのだ。
これが長く続くはずが無い。

この曲は凄く"idol song"だ。しかも、他の誰が歌っても、皆が良い!と口を揃えて共感し、曲の主人公になって感情移入できる曲。
この曲は河村にとって大きな一手であり勝負手にして会心の作。だから今も大切にし、自身で歌うのだろう。

Say a Little Prayer best album『Best』より「深愛」(iTS)

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めずらしい人生(1992)

musicianという"音楽でモノを表現する人たち"は自分と違って、ある種、特殊な人たちなのだろうな-----
10代真っただ中、そう思っていたのをガチリとカチ割られたのがSing Like Talking(SLT)のVo.佐藤竹善氏の「普通の人たちに音楽を届けたいと思うのなら、僕らはより普通でなくてはならない」という主旨の言葉だった。此れ以来、自分の好きなmusicianにも市井の生活があるのだと思い、相手に対する尊敬はそのままにflatな感情を持てるようになった(なので、musicianが幾ら恋愛しようと、その人が結婚しようと「そーっすかー」と平静としている自分が居る)。
そんなmusicianという人たちは、どうしないと、この世界を生きて行けないのか?
KANの「めずらしい人生」にある、この下りがmusician側からの答えだと私は思う。

すばらしい人生 今うたをうたってる
そして多くの人が泣き笑う
めずらしい人生 そんな多くの人を
裏切らないとぼくの明日がないのも知っている
----- KAN「めずらしい人生」より
此処に特別難解な語彙はない。ごく日常の言葉で、musicianと観客(ファン)との相関関係が語られている。
多くの人の前で歌を歌い、それに観客は嬌声と共に手を伸ばすだろう。だが、その沢山の手は期待を越える-----相手の思惑を良い意味で裏切り続けて、やっと、相手は伸ばし続けてくれるのだ。手を伸ばす多くの人が居て、自分の明日がある。
こんなことを歌う日本人のmusicianは居るだろうか。この前にも、この後にも。
私は曲を前に愕然としたし、驚嘆もした。こんなことを歌うのか、歌ってしまうのかという愕然たる思いと、こんな表現でキレイに関係を暴いてしまうのか!という驚嘆とで。



貼った動画は曲中、途中で全然別なコト歌っているなー。2番のとこ、1:32からの「同じような感じで巨人は負ける」って、ちょい、ちゃうやろ!(爆笑)
それは右斜め前方に置いといて、この曲は、5才、18、20代と曲が進むにつれて、年齢が進む。曲の最後は、この当時の現在になるのだろう。でも、それは今現在に通じる言葉で締められる。
debutから「愛は勝つ」までの軌跡をまとめたbest album『めずらしい人生』の冒頭を飾った此の曲は、後発のoriginal album、後発のbest albumにも収録された覚えがない。
そうそう。
「KANって「愛は勝つ」の人でしょ?」
確かに。事実だから、私は、そう頷くことにしている。
でも、それは本当に一端。むしろ「愛は勝つ」は、KANを知るほど異端にすら聴こえる時があるほどだ。そして、KANの才能の鉱脈は、この「めずらしい人生」でも、ごく一端。
この曲の如く、私は、彼の音楽に裏切られ続けている。

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愛カタリ(2003) / 彼方(2007)

ナナムジカ「彼方」を聴いて「パッと聴き、ナチュラル・ハイの「愛カタリ」みたいな曲」と不遜なこと思ったのを覚えている。
なんか似てないか?両者の共通項は多いぞ。どちらも女性ふたりのunitで、vocalとpianoというKiroroを思わせる構成で。「愛カタリ」「彼方」に曲を絞って語るなら、双方の曲とも編曲は叩き付け系のpianoに弦(strings)が絡み、歌詞に潜む激情を引き立ててゆく。そういう楽曲だ。





だが、最初思った「似ている」は聴き込むと「違うとこ、あるわ」
少しずつ、その差異に目が行くようになる。当然、歌詞のthemaは異なる。が、それ以外で。
pianoとvocalという"unit"が振り子の球だと仮定したら、この曲は、どの音楽分野へ振り子は振られていたのか?

ナチュラル・ハイ「愛カタリ」がreleaseされた当時、添えられたpromotionの文面に振り子の方向を紐解くhintがあるので抜粋する。

Natural Highの2ndシングルは、ほとばしる愛、狂おしい情熱を歌った激情ラブ・ソング。クリヤマコトをプロデューサーに迎えた、豪快なジャズ・ポップ・サウンドに仕上がっている。
----- 愛カタリ - Natural High - Yahoo!ミュージックより抜粋
そう、Jazz寄り。
ナチュラル・ハイ「愛カタリ」は聴いてて、"piano rock"という印象を受けないのだ。rockという色がいちばん薄い。それに比べ、ナナムジカ「彼方」には、piano rockの匂いが立ちこめている。
規格がCCCDになるが、以前、ナチュラル・ハイの1st albumを一通り聴いたことがある。
その時の感想が「Kiroroで印象づけられた女性vocalとpianoのunitの"洗練されなさ"が、彼女たちに、ない」だった。ナチュラル・ハイは"cool"だ。粋でおきゃんで洒落ている。褒め言葉として、女性に対して"handsomeだ"と言える、そんな風な感じが、このunitにはある。
ナナムジカは、また違う。ナチュラル・ハイ同様に洗練されてはいるだろう、だが、彼女たちに"handsomeだ"と言うのは少し、違う気がするのだ。その違いこそ"piano rock"、特にrockの匂いの分だけあるのかな、と睨む。

愛カタリ
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真冬の鼓動(2008)

演劇集団キャラメルボックス2008クリスマスツアー「君の鼓動が聞こえる場所」サウンドトラックに収録された"堂島くん"こと堂島孝平の楽曲。
昨冬、配信限定のChristmas Albumにも収録された"That's Christmas Song."な曲。
彼の場合、既発のsingleに「冬が飛び散った」と冬そのものを題材にした楽曲もあるので(他にも冬楽曲にこの曲、括りたい!というのが彼には多いのよ)冬の空気と彼の相性は良いだろうと睨んでいたが、それを彼もド直球にやった曲。
改めて思ったが、冬楽曲の宝庫だぞ堂島…。と数日前に"つぶやいて"いる。こんな按配。

iTunesのライブラリ見て冬の歌を捜してみた。気付いたこと。堂島孝平くんの冬楽曲率の高さとキラ星☆感。キャラメルボックスのサントラに収録された「真冬の鼓動」なんて王道過ぎる。「フライハイ」c/w曲に「暖炉」がある人だから、と思えば納得か。(twitter)
個人的に、堂島楽曲ではサビの「白い息」に"季節は冬"を嗅ぎ取れる「センチメンタル・シティ・ロマンス」にヤラれているが、その歌詞は序盤から「許されていた恋ではないから」である。この1行で「道ならぬ恋かよ!」なんだが(爆)



Christmasだからね。
「真冬の鼓動」みたいな、こういう気持の暖かくなる曲を紹介してもいいだろう。年一度だもの、そう思ってね。普段なら天の邪鬼に「センチメンタル・シティ・ロマンス」の人だぞ(爆笑)

CARAMELBOX 『CARAMELBOX CHRISTMAS ALBUM【WHITE】』より「 真冬の鼓動」堂島孝平(iTS)

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Hey,Everybody!(2009)

NONA REEVESを観たのは2000年3月終りの「今の、じゃない。昔の」赤坂BLITZだ。
会員をやっているDisk Garageのご招待券をいただいて、開場してから入ったのに前から3列目という好位置で(自爆)どうも動員の読みが甘かったのか動員が芳しくなくてねえ…とゴニョゴニョ。当時の1Fのfloorが半分入ってるかどうか。だから、正直、客はそんなに居なかった。

そんなわけで、彼らのalbumを買って聴いたalbum毎に好きな曲が出てくる。
『Friday Night』だと「The Girlsick」で(前述のliveでKO食らった曲でもある)。
『DISTINY』だと「二十歳の夏 (Pts.1&2)」かな。
『Sweet Reaction』だと「EASY LOVE」で。
『The Sphynx』なら「重ねた唇」と「ニュー・ソウル」の二択になるなぁ…
なにせ「Enjoyee!(Your Life Time)」が出た当時、サビが終わった段階で「幾つ元ネタ頭30秒に詰めてんのよ!郷太さん!!」と叫んだもん。具体的な楽曲名が出てこなくとも「なんか、ああいう感じ、あの時代、あってさ」「あの曲みたいな」が来る感じ。それが一つじゃなくて複合して、頭30秒でドッカン、爆発。
実際、曲を聴いた人から「あの曲、ジャニ入ってるよね?」と指摘が入って、返す私も笑いながら「だよねえ、やっぱり!入ってるよねー」だったのだ。

にしても'80年代洋楽への傾倒・敬愛が強い、と思ったのが今年出たalbum『GO』からの先行sg.「Hey,Everybody!」だった。
「Enjoyee!」のような曲の中でのキメ(正に某曲の「キラッ☆」みたいな瞬殺killer感)や派手な印象がなく、第一印象は"渋い"。Michael Jacksonだと「BAD」というより「Billie Jean」みたいな曲かなー、というのが個人的判断。
だから、この曲を「DJ!DJ!」だとか「Love Together」あたりのNONAだと思って聴くと恐らく、肩すかしを食う。



「Billie Jean」みたい、と思っていたらPVじゃMichael Jacksonの"そっくりさん"出てますよ。

NONA REEVES sg.「Hey,Everybody! 」より 「Hey,Everybody!」(iTS)

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五秒の再会(2002)

「五秒の再会」がうまれた背景がよくわかる一文を引用する。

このデュエットソング「5秒の再会」は、11/4(月/祝)より全国JFN37局で展開中の「FM FESTIVAL 02 Radio☆United〜Dream Collaboration〜」のコラボレート企画で、ラジオのリスナーから寄せられた"未来の夢にまつわるメッセージ"をもとに二人が共作した楽曲。
----- Excite Music : [斉藤和義と玲葉奈] ラジオの企画で夢のデュエットが実現!イベントにも出演より一部抜粋
この時から7年も経つと、この当時の企画色も脱色されて意味をなさないことに気付く。当時そんな企画あったんか、とさえ思えてしまう。
ちなみに、斉藤和義と玲葉奈のどちらも私は知っている。斉藤和義との出会いは「君の顔が好きだ」だし、"せっちゃん"の所以も(ゴフゴフゲフン
玲葉奈はdebut sg.「オレンジ」もG.Loveとやった2nd sg.「The Beat Goes On」も知ってて、その後にeventモノで歌う姿を2度…、観たかな確か。だ。
知っている二人が組んで歌う。「まあ、悪くはならないでしょ」言葉は高見の見物的だが当初、私が思ったことだ。

「五秒の再会」の歌詞で印象的な点は、個人的に、この一行。
今年も冬になってジョンレノンが街にあふれてる
----- 斉藤和義と玲葉奈「五秒の再会」より
John Lennonが亡くなったのは12月だ。私は、前に置かれた「冬になって」より、後の「ジョンレノン」という6文字に勝手ながら作り手の思い入れがあるように感じる。
「冬になって」よりハッキリと「嗚呼これは12月なんだ」と思い知らされるものが「ジョンレノン」の6文字にある。それをサラリと織り込んだところにワーー、ヤラレた!と思った。
これが"duet"と思えないほど日本人的湿り気がない。それっくらいcoolで淡々と歌われているが、歌詞の主体は身も蓋もなく言えば「昔、付き合ってた人と偶然、会ったのさ。すれ違うだけのニアミスのようなもんなんだけどね、互いに今の人といたしね」である(苦笑)湿り気を出そうと思えば幾らだって出せる。その描写から曲は始まる。
いつものあの坂道で あの人とすれ違った
イジワルな甘い偶然 蘇る甘い日々
----- 斉藤和義と玲葉奈「五秒の再会」より
前述の企画や、その後のliveのことを思えば、普段はsoloで活動している人が一曲だけ組んで一曲だけ作って人前で披露して別れるのは得てして「あの人とすれ違う」のに似ているのかもしれんなぁ…
などと思案してしまう。しかし、そんな企画色が年月を経て脱色されると、裸の楽曲が手元に残るのだ。
感傷は僅かに苦さとなって残るけれど、それが日本人的湿り気に転じない。転じさせなかった。そうすることで涙の跡の乾いた曲だけが風に吹かれている、そんな感じ。

斉藤和義 album『Nowhere Land』より「五秒の再会」斉藤和義と玲葉奈(iTS)

五秒の再会
五秒の再会
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