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132

今年最後にまとめておこうと思ったのは2012年11月、第132回(日商)簿記検定試験受験までの勉強過程のようなものです。

ところで、日商簿記検定って合格率どうなの?と思って資料を見ると
・前回にあたる第131回(2012/6)は3級41.1%、2級30.7%
・前々回にあたる第130回(2012/2)は3級49.1%、2級31.5%
日商簿記検定3級は合格率50%近い時もあるんですね。
1年前になる第129回(2011/11)はどうなんでしょ?と思ってみると、3級49.8%、2級44.5%。
ちなみに合格率について話を訊くと、講師のセンセ方は
「回によって難しすぎる回とそうでない回とがあって(以下略)」
と決まって仰います。
自分の受ける2年前、第126回(2010/11)は3級44.5%、2級21.5%でした。

先日132回の合格率が出たというtweetがありまして。

うううーむ。
合格率の低い回に完全に巻き込まれたことになりました。


自分は3級2級同時受験組だったんですが、11月上旬、完全にpanicに陥りました。
学校では2級の過去問題を解く→その日の宿題に2級の直前問練を渡される(つまり「やってこい、解説は明日学校でやるから」言うこと)→2級もあるけど3級もある→時間が足りない、とても手が回らない→ギャーーーーー
で、一度、頭の整理をしました。優先順位をつけることにしたんです。
結論は「安全策をとろう」。
2級に合格できる手ごたえが当時の自分自身なかったので、先ず3級は合格できるようにしたい。

3級の直前問練を集中的にやったのは8月下旬のこと。3級の予想問題集(予想問題集、自分はネットスクールのラストスパート予想問題コレ一本に絞った)に手をつけたのは11月(写真参照)。
9月10月まるまる2ヶ月間、2級の勉強に四苦八苦していた為、3級に再度手をかけるのが遅かった点は反省材料だし、他の人は「こうなったらアカン」と反面教師にすべき点です。3級2級同時受験の人は勉強時間確保と共に配分が鍵になる、殊更痛感しました。
自分の場合、3級の予想問題で1回目から80点台が出たことでpanicが収まって、2級に対しても落ち着いて向かえるようになって、試験1週間を切った頃に2級の過去問題でも「らしい」点数が出るようになった(一日ごとに+10前後、点数が上昇。最後で合格lineを上回るくらいになった)ところで試験突入----、という感じでした。
そら(過去問で合格点上回った頃に試験日到来なら)そう(試験本番、合格line上の点数に)なるわな(※どん語)

なお、自分の3級での弱点は
・試算表(合計試算表か残高試算表か)
・見越し、繰り延べ
・為替手形
だったので「弱点克服すれば点は出る」と睨んでました。なので、ドリル形式の問題集を一冊買って、試算表、精算表、見越し、繰り延べ、手形、商品有高帳、決算処理(繰越など)あたり重点的に潰して予想問題を解いて確認する、という流れを徹底。

2級は過去問題と直前問練(の一部)、これで目いっぱいで予想問題集は「読んで頭に叩き込む」に。過去問題再挑戦と直前問練解くのに時間が奪われて、予想問題解く暇なかったです。
それでも「特殊商品売買をもうちょい詰めたいけれど時間がががが」言っていたら、ですよ、問2で思いっきり出されて眩暈起こしかけましたから。ワタシ終わった!思いましたから。
それでも問題文を冷静に読み直し、日付ごと仕訳を起こし、勘定を追いかければ「実は、どうにかなる」。
私は「実は、どうにかなる」だけで合格したようなもの。
あれがもし受験2度目、3度目でだったら問題見て諦めたかもしれぬ。

試験まで1ヶ月切った頃には腰痛と左足に若干痺れ(車の運転時に足を置くとピリピリとする、椅子に座ると足の裏がピリピリするetc.)があるような身体の状態でした。何年かぶりにherniaの症状がバツンと出た。なので治療の為に整形外科に通いながら試験まで突っ走った恰好です。
試験1週前から、んなに体調も良かなかったですね。
試験受けた後に打ち上げに行ったんですが一次会で「帰りますううう」だったですし(試験日の昼休み、試験後と食べ物が喉を通らなかった)。
その後も「合格してると思わなかった」ので自己採点、放棄してました。当日の問題用紙もプリント類の箱に一緒くたにしまい込んだままでいたッス(アカン)。

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見直す

ちょっくら、blogを見直しました。
だからtitleも「見直す」とsimpleに。
見直したのは、やっと見直す時間が作れたことも大きいです。
そんだけ詰まった状態が続いていた、ということの証左ですな。
blog(本家)も絶賛開店休業でしたし。
twitterすらtweetが散発という時期もありましたし。
ボチボチ書きたいことも、書けることも出てきたので本家(ここだ)にも浮上してみた次第。

さて。
blogを見直した理由は大雑把に分けて2つになるかと。

・どうも本家"traces"のTwitter "Follow" BadgeがGoogle Chromeで見た際、見えない
分家(GO UP HILL)が見えているので恐らく過去モノentry大量投下が影響を及ぼしたと推測。
もう一度、sourceを貼り直したところ解決したんですが、まあ、大きな変化は「過去モノentry大量投下」。どうやら1,000越えた時点で「どうもなあ」と思うこと頻りだったのです。
過去モノ大量投下はしてみて反省しました。
量が多すぎる。
過去のlivereports書いたのと、12/12に書いたものだけ拾うのが得策。blogで残したい場合は他に場所を借りて残すべきだ、と思いました。
・aboutのcategoryを見直してみる
6年前(2006/1/11記)の自己紹介であったり、twitterのlogのとり方も途中変更したり、と複数の変更点があったので現在に即した形にしたかった、ので、しました。
自己紹介はちょこちょこ加筆修正入れたんですが(初シスはここまでヤバさが出た文章でなかったのだが笑い話に出来るだろう言うことで書き直した)新たに書き足したのは「日商簿記検定2級、3級を同時受験、一発合格した」って点でしょうか。うん。
これまで会計まわりの仕事をPC周りから独学で攻めて「会計とか経理とか興味はあれど、いざとなると簿記の知識が必要で、攻略するには独学の壁もあるだろうから」と思っていたので、根詰めて4ヶ月ほど勉強漬けの日々を送りに送って最初の勝負で勝ち逃げられたのは本当に、これは本当に大きかったです。

本当に大きい、となるのは受験した2012年11月の試験。
「日商簿記検定 第132回」あたり検索wordにして調べればわかるんですがががががが(ry
この回の合格率が…
「はじめての日商簿記検定受験」の人相手に2級の問2、特殊商品売買で問題作るか!!!!!
(2級は問1で仕訳を5本、問2〜5まで文章問題系。問2、3が商業簿記、問4、5が工業簿記)
試験場で眩暈起こしかけました。
ただ火事場の何とか、だったんでしょう。試験時間(2時間)全部使い切って、解答を埋めるだけ埋めて、その結果、合格のlineに足が乗りまして、合格、らしいです。

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ひととなり

このentryの元になっているのは2006/1/11のentry「ひととなり」です。
2006/1/11のentryを削除、当時の文章を元に2012/12/27に加筆・修正を加えたものが今回の「ひととなり」になります。
以上の点、ご理解ください。


では。
ザッと書く。


・書き手:さち(sachi)
twitterのidは@tr_aces
1975年9月、山形県生まれ。
父の仕事の都合上、青森→千葉→静岡で育つ。
県立高校普通科卒業後、首都圏の某私大法学部法律学科に進学。
法学部卒、だが図書館司書資格も取得。
社会人生活は正社員SE(崩れ)を振出しに、派遣社員で就労。一般事務/filingからSEのsupport、SE間近な(!)SAP周り、病院管理会計一切合切に加えて初歩的helpdesk業務までこなす。
2003年は派遣社員の傍ら、専門の学校でweb designの勉強もしたこと有(毎週土曜日半年ほど通学)。
2006年・春の試験で初級システムアドミニストレータ資格に一発合格。
ちなみに「あと2、3問ばかり、午前の問題を間違えていたら合格が危うかった」「午後の対策を大して練らず行って午前より点数が+50ほど上回っていた」という。
2012年11月、日商簿記検定2級、3級を同時受験。一発合格する。
なお日商簿記検定2級は合格点border上で合格したため、合格判明の5分後には「ホントかな」「イイのかよ」と疑心難儀に陥るのだった(今もたまになる)。

my pace、かつ、せっかち。大胆でいて小心。
「A型とぶつかる」A型。
「生年月日不詳、星座が何かわからない」乙女座。どうやら乙女座らしさを何処かへ置いて来た、…らしい。
身長は高い(170cmに+1〜2cm)故にlivehouseで窒息+視界不良を起こさないのが救い。

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変化の波

12月12日が来て「書かないと」と思いました。
じつに、長くのご無沙汰です。
このご時勢twitter見ていれば生存しているのはわかるだろうと思われますが、twitterしてない方もいるやもしれない、それにblogは見てもあぁたのaccountはfollowしてないよ!という方もおられることでしょう。

思えば。
personal siteの時代から細く、長く、ゆるやかに。

日々の近況を日記として更新するのは己の生存確認だ、と言った時期を思い出したのですが、あの当時、blogもtwitterも、それこそfacebookもなかったんだな。改めて思いました。
変化の波を感じます。

自分もsmartphoneを持つようになりましたしね。

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