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梅は咲いたか桜は

まだかいな。

携帯(N-04A)で撮影する梅の花は、このような按配。
この日は10枚くらい撮影したのかな。

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紺色の時(1992)

あなたが、FM(radio)局のpower playを"ハッキリ"意識した曲は何ですか?
そう訊かれたら「それなら、森田浩司の「紺色の時」だ」とこたえる。



森田浩司はSONYから1990年10月21日に1st single「CHEEK TIME TOMORROW」、翌11月21日に1st album『ARTY』をreleaseする。1990年にdebutした男性soloで自作自演(singersongwriter)系って誰かいたっけ?となって、パッと思い出したのが槇原敬之だった。
槇原は1990年10月25日に1st single「NG」、1st album『君が笑うとき君の胸が痛まないように』をWEAミュージック(WEANER MUSIC)から出している。
年が明けて1991年、森田、槇原両人に転機が訪れる。
1991年4月、森田はSONYのcasette tapeのCM出演の機会を手にする。大量OAもあって評判を得たCMだったが、"肝心の"CMのtie-up曲は6月1日になってreleaseされた(「愛のX」)。
槇原は、1991年6月10日に映画主題歌となった曲「どんなときも。」をreleaseする。
翌年の1992年3月25日、この「紺色の時」はrelaseされた。

自作自演系・singer系含めた男性soloの勢力図は1991年「どんなときも。」でも、それ以前/それ以後と分けて語ることができるかもしれない。
1991年3月debutの中西圭三までがギリ「どんなときも。」以前として(※なお中西自身が注目を浴びるのは1992年、ZOO「Choo Choo TRAIN」とCMのtie-upのついた自身のsg.曲「Woman」である)当時は特に"久保田利伸の跡目"系に見受けられた中西路線と槇原路線は微妙に異なるのだが、とはいえ1992年以降、特に1993年に、この手の自作自演系新人が登場する。1993年に東野純直(テイチク/YAMAHA)、樋口了一(東芝EMI)、片岡大志(BMG VICTOR)…と表に出るが、槇原に近いtypeの自作自演(+producer可能)typeだ。
一方で「1990年以前よりsoloやってますゼ」組の角松敏生は"凍結"へ向かい、崎谷健次郎が自身の音楽活動の幅を狭めてゆき、池田聡が中西圭三とICE BOXやったり(コレは1994年)drama出演しててオラァ驚いたYO!となっていくわけですけども(爆)それはまたコレと別の話だし、また一方で吹き荒れた小沢健二旋風もまた別の話。

「紺色の時」が「どんなときも。」後の男性soloモノ楽曲だ。
槇原 - WEANERの「どんなときも。」への、SONY謹製の回答のひとつが「紺色の時」?という穿った見方もしてみたくなるが、そういうことは全くなかっただろう。
「紺色の時」が収録されたalbum『23KM』-----"23歳の森田(M)浩司(K)"、つまり彼自身のことを指している-----と題したalbumが自分の手元にある。歌詞を見てもそうだが、槇原の向こうを張りました!という感じはない。むしろself produceなものだからオレはオレ!という感じを受ける。
そういうオレ!オレ!な中からsmartな出来で歌詞も素直で、誰もの共感を得易い曲をsingleにすることにしたら、それが「紺色の時」でした。みたいな感じだ。

あの日 抱きしめて
似ている 仕草を
さがしにゆくけど
赤い夕暮れに
紺色の時が まぎれてゆく
----- 森田浩司「紺色の時」より
夕暮れの赤に紺色の制服が溶けてゆく画を、このサビで、いつも思う。
紺色の時は、紺色の制服を着た"学生"という時間。学生でも大学生じゃなく、高校か中学か。その時間は戻せない。大人になると忘れそうになって、本当は忘れてはならないだろう時間。
だからだろうか、この曲は「おぼえているかい」で始まるのだ。

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