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break the rules

自分とこのPCもDeng Onステキ壁紙にしちゃったYO!
という証拠写真をば。
Deng Onは実物、目にして、実物、手にしたら内なる文具ヤローの血が騒ぎそうだなー…。Deng Onからは既にenergyを感じておりますですよ。

さて本題。
twitterやって1年過ぎて、なのですが他者のtweetsを見ていて「あ、これはアタシはしないでおこう」と思って、努めてやらないようにしていることが幾つかある。
実は、そのひとつが挨拶。朝の「おはようございます」、出掛ける際の「いってきます」、帰宅時の「ただいま」。夜の「おやすみなさい」のみのtweetは自分からは、しないほうがいいのかなー、と。で、当初はあったかもしれないが、今じゃ殆どやらないでいる。
挨拶tweetに関しては声を大にして言えるのは、これが企業のaccountなら(軟式だろうと)「すべき」。力いっぱい推奨する。
が、ここは個人のだから「そこまでしないでおくかー」という…
以前、昔から馴染みの姐さんとMailでやり取りした際に、twitterの話になって

おはようとかオヤスミとかいちいち返さなきゃならないのが面倒になった
とあって「あーーー…、それわかるわかる」と頷いてしまう自分がいたのも大きい。
自分も、どっちかってーと「おはようございます」だけ来ると「え、あー、おはよう!て返すの?」となる。で、その手のには殆ど静観決め込んだわけだが(自爆)挨拶を継続されることで途中エラく気疲れしたクチなので「相手に気遣わせるのなら、挨拶は要らんだろう」
そうは言いつつ、それにも例外はあって、特定の誰かと(@つけて)やりとりをしてて「そろそろ遅いし、今日のところはこのへんで。これから寝ます」となる時。これは流石に「スイマセン、先に休みます、おやすみなさい」てのが出る。
尻切れトンボで相手に投げたまま、終わらせるわけに行かない。会話のrallyのオチをつけるためにも必ず挨拶を入れて、話の終りにする。

列挙していくと、blogを更新したら、その旨をtweetするような設定を挟むこと自体していない。
なので、自分とこは、そういった「blog更新しました」tweetは、自分から「書きました」と書かない限りは起こらない。
twitterのtweetsが一日分まとまったとして、それを過去logに格納できたとして、それを知らせるtweetを設定を挟めばできるのも承知している。が、やろうと思わない。
理由は、blogなり過去logなり、更新を報告する時としない時とあっていいじゃないのさ。一から十まで、twitterでfollowersに報告するのもどうよ?と思うから。
あと診断系モノ、大喜利などのお題もの。やってる本人は楽しいそうなのだが、それで興に誘われて-----、てーのがビタッと起こらない精神状態の自分がいる(爆)

設定を挟むtweetモノでは、いまiTunesで何を聴いているか(#nowplaying)をtweetするのにも手を出さないでいる。それ見て音楽への興味が誘われて-----、てのがないのよ、驚くほど(これには自分が驚いたさ)。
曲名とartist名が流れてくるだけだと、記号の羅列と同じ。今の自分は「この人の、これを聴いた。ここが良かった!」と書いてある方に、確実に心が揺さぶられる。曲名、artist名だけが流れて来ても「はーー、そうでっか」で終わるのだ。
こう書いてゆくと、followしている or していないものの過去log追ったり等している自分以外の他者のtweetsを見て「これは、自分は、やらない」で、今の「別段挨拶しないし、blog更新の報告も逐一してないし、診断モノにはノラないし」なstyleがある気がする。
まあ、そういう人もいる。てのでいいんじゃないかと。

一方で思うのは、accountの"癖づけ"ではないですが、ひとつ、何かを決めて、それは出来るかぎり継続してtweetし続けるのがよろしい。というのはハッキリしたかな。
「この人は、こういう情報を拾う」「この人は毎日、こういうことをtweetする」だけでもaccountの個性になるんだというのは継続したから、わかったことだ。

(‘ ё ’)<居心地はいかがですか?おかまいもしませんで?
説明のところに添えたクラムボンの曲の歌詞の引用。これがわかってニヤッとした人はオレと握手!という感じで選んだのだが、もう、これがすべて。
こんなにない、ない尽くし。加えて「followしてくれて有難う。でも自分、余り相手しないと思われるけどええですか?」て感じ。これに相手を付き合わせている、そう思っている。
このblogもそうなんだろうけど、twitterも、その時々の自分の速度で続けられる限り、続ける。ホント、その1点のみッスね。

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1998→2010

2010-1998=12
干支ひと回り分、慣れないながらのwebな世界を足を踏み入れたまーんま(※1998/7に自宅開通)。
書く文量、書く対象の違いはあれど、それでもだよ。
12、て。
12、て、ねー。
10の時が「ああ、10ね」と思い、年月の重みは思った以上に感じなかったのだが、1年前、11で「10年以上だよ」と思った以上に、この今、12という数字がズッシリ響くですよ。
参ったなー…
干支ひと回り。
時計の針は1から12まで。
そう意識付されてるからだ、きっと。

日記のsub title代わりに歌詞引用した時期があるので、そういう書き方をしていた時代(1999年〜2000年前半)の12/12を掘り起こしてみることにする(過去日記)。
1998/12/12に日記mainの個人siteをDTIのserverに開設、この時は何もナシ。
その1年後、1999/12/12はSing Like Talkingの「Standing」を引っ張り出す。
同じようにして、2000/12/12が古内東子「歩き続けよう」。
この時、当時のweb界隈の常識であっただろう「個人サイト3年限界説」に触れている。
2001/12/12はThe Gospellers「One More Day」、それも"アカペラ人"ver.を引っ張り出したのだが、この当時の文体の語気はひたすら憤りに満ちていて、厭世的であり、とかく粗い。当時の精神状態が露骨に、いわば露悪的なまでに出ていて、歪んでいて非常に読み辛い。
厭世的な文体から3年後、Spitz「謝々!」を引き出しに感謝の言葉だけを綴ったのが2004/12/12になる。
感謝の言葉だけになるまでに随分な時間を要しているのだな…
2005/12/12は過去logとして格納されているので、特別に、日付のところに過去logからのlinkを張っておこう。
読み返すと、あっけらかん!「あ、そうなんすか!」である。此処まで来ちゃったから重いわ、ではなく、こんなことしながら此処まで来ちゃったんかい!だから呆れるわ!だったのだ。
此処のsite史を仮に総括すると、2005年は、このserverをどう使うか考えあぐねていた"過渡期"にあたる。
text editorでHTMLを書いていた時期と、blog toolを入れた時期の間に当たるのだ。

ここ1年と少しで、すっかりtwitterにアレコレ書く御人に思われているだろうし、確かにtwitter上にあがる文量も相当あるのだろう。他人の目で見たら思われて相当だわー。そう思ったのが、自分宛に、こういうご質問にあったからだ。

@tr_aces そういやsachiさんはtwilogなどはご利用なさらず、ツイッターのログは貯めずに消えるに任せる方針なのでしょうか(;∀;)いやこれだけのログが消えるのは勿体ないな〜と……(;∀;)(twitter)
なので、自分とこはtwitter用の過去logありますYO!とご紹介したわけですが。

今のご時世。近況を出すとして、最速だとtwitterになるのか。
でも此処は此処で時に散文なり、ある時は考えを練り上げた文章を不定期に出して行ければ良いのか… て考えとります。
それが月に一度の更新であろうともね、それは"traces"をやってく上での最低限の足枷にしときたい。

自分がそうだから書くのですが、twitterやってて、この人悪かないけどtweet多くて、それもsage傾向で読んでて辟易すんだよなー。このmusicianは昔から大好きなんだけど、この人の発する言葉は兎角、こちらに刺さり易いのでキッツいのよなー。という場合、に。その対象者が自分のように過去logを保管しているblogがあるのなら(Twilogとかね)RSS readerにRSS feedを登録して一日単位でtweetsを追っかけるのがよろしいよ、と言ってます。
それとは別に、ちょっと気になった人でlog保管してあるのがわかればFollowはせず、Twilogなどの過去logを一日単位で読むことで、文章の癖、思考回路の癖にFollowする前から馴らしておく。馴らしてからFollowする/しないの判断を下す。という手も自分は使う(爆)
一日単位でまとめて読んだ方が、この人、Followするよか良いわ!となる時もあるのですよ。twitterはTL(TimeLine)にいないと、どーにもならないというmediaだと思うのです。

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