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めずらしい人生(1992)

musicianという"音楽でモノを表現する人たち"は自分と違って、ある種、特殊な人たちなのだろうな-----
10代真っただ中、そう思っていたのをガチリとカチ割られたのがSing Like Talking(SLT)のVo.佐藤竹善氏の「普通の人たちに音楽を届けたいと思うのなら、僕らはより普通でなくてはならない」という主旨の言葉だった。此れ以来、自分の好きなmusicianにも市井の生活があるのだと思い、相手に対する尊敬はそのままにflatな感情を持てるようになった(なので、musicianが幾ら恋愛しようと、その人が結婚しようと「そーっすかー」と平静としている自分が居る)。
そんなmusicianという人たちは、どうしないと、この世界を生きて行けないのか?
KANの「めずらしい人生」にある、この下りがmusician側からの答えだと私は思う。

すばらしい人生 今うたをうたってる
そして多くの人が泣き笑う
めずらしい人生 そんな多くの人を
裏切らないとぼくの明日がないのも知っている
----- KAN「めずらしい人生」より
此処に特別難解な語彙はない。ごく日常の言葉で、musicianと観客(ファン)との相関関係が語られている。
多くの人の前で歌を歌い、それに観客は嬌声と共に手を伸ばすだろう。だが、その沢山の手は期待を越える-----相手の思惑を良い意味で裏切り続けて、やっと、相手は伸ばし続けてくれるのだ。手を伸ばす多くの人が居て、自分の明日がある。
こんなことを歌う日本人のmusicianは居るだろうか。この前にも、この後にも。
私は曲を前に愕然としたし、驚嘆もした。こんなことを歌うのか、歌ってしまうのかという愕然たる思いと、こんな表現でキレイに関係を暴いてしまうのか!という驚嘆とで。



貼った動画は曲中、途中で全然別なコト歌っているなー。2番のとこ、1:32からの「同じような感じで巨人は負ける」って、ちょい、ちゃうやろ!(爆笑)
それは右斜め前方に置いといて、この曲は、5才、18、20代と曲が進むにつれて、年齢が進む。曲の最後は、この当時の現在になるのだろう。でも、それは今現在に通じる言葉で締められる。
debutから「愛は勝つ」までの軌跡をまとめたbest album『めずらしい人生』の冒頭を飾った此の曲は、後発のoriginal album、後発のbest albumにも収録された覚えがない。
そうそう。
「KANって「愛は勝つ」の人でしょ?」
確かに。事実だから、私は、そう頷くことにしている。
でも、それは本当に一端。むしろ「愛は勝つ」は、KANを知るほど異端にすら聴こえる時があるほどだ。そして、KANの才能の鉱脈は、この「めずらしい人生」でも、ごく一端。
この曲の如く、私は、彼の音楽に裏切られ続けている。

めずらしい人生KAN1987〜1992
KAN
ポリドール (1992-02-28)
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