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ドキュメンタリーフィルムみたい(1993)

中国人と日本人のハーフの父親と日本人の母を持つクオーター・区麗情。1993年8月リリースの、デビューシングル。1993年だから音楽的流れはガールポップの本格的隆盛はじまる!といったところか。
ガールポップ勢のわかりやすいメッセージ、得てしてキラキラしたサウンドメイク、快活さが前に出るものが多く差異が見分けにくい中にあって、シンプルにアコースティックギターとピアノのみの伴奏(途中、シンセが若干)、印象的な「ドキュメンタリーフィルムみたい」のサビ(これが盛り上がらない!)が2回Aメロ-Bメロを回した後にようやく来る(!!)というのは「まー、最初から思い切ったことを」のひと言も言いたくもなる。
ここまで思い切ったから耳に引っかかるというもの。
だがしかし、この後に出たアルバム『Horizon〜地平線〜』の焦点が、シングル曲が絞れていただけにバキッと絞り切れていないことに驚く。ここでの試行錯誤と「ドキュメンタリーフィルムみたい」の成果が、その後のアルバム『Shangri-la』の出来に反映される。
つまりは「初めて恋をした日」(2nd sg.)へと繋がっていく。

ともあれ、この曲があったから、この路線をドラマティックにした「初めて恋をした日」をシングルに切り出す"勝負"に出れたんだなーというのがわかる。そんな曲だ。
アコースティックなサウンドにハマって、全体にどこかノスタルジックなとこがあって。帰り来ぬ"あの日"をかき立てるには十分な素養が、彼女にはあった。特に、彼女の"声"にそれがあったんだと思う。
原点に、遠く異国であなたへの片想いを再認識する「ドキュメンタリーフィルムみたい」があって。その原点から一本、彼女の活きる路線を線引いて、「ドキュメンタリーフィルムみたい」の片想いを初恋に置換えてドラマティックに発展させたのが「初めて恋をした日」という感じ。
実際、アルバム『Shangri-la』では、彼女の持つノスタルジックさにドラマ性を持たせた感じが1曲目「夢で逢えたならどんな話しよう」から満ち満ちている。

Sony Music Online Japan : 区麗情 : ドキュメンタリーフィルムみたい

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MIND CIRCUS(1996)

先日、ともさかりえ「カプチーノ」に関して書いて、文中、「歌う若手女優」として中谷美紀について触れた。
ならば触れねばならぬ。中谷美紀。
坂本教授プロデュース第1弾。ともさかりえ「カプチーノ」の出る3年前、1996年リリース作品。
てことは、中谷美紀20歳かよ!!
こないだ19歳から20歳云々、なんて文章書いてた、てーのに!<心の声



中谷美紀自身で作詞を行うようになって、以降、曲の世界観・表現が、この曲にある体の良いわかりやすさから離れ、独自独特の世界に暗く重く閉じたものとなり、最後はフェードアウトした感がある。だからか、このデビュー曲(正確には再デビュー曲)の持つ儚い中に見える仄かな明るさは救いでもある。
底が見えすぎない程度に保たれた"わかりやすさ"が散見されて、こりゃ受け入れやすいわ。
そして、"わかりやすさ"/"わかりやすすぎなさ"の到達点はドラマ『ケイゾク』のOPで使われた「クロニック・ラヴ」(1999)だろうと思う。彼女の歌手活動のひとつの頂点は、現時点で、これになってしまうのだろうか。
(余談だが、DoalaモノMADに『ケイゾク』を模した作品があって、既に動画サイトからは削除されてしまったんだが、何度も何度も観入るほど好きだったんだよなあ…。曲は「クロニック・ラヴ」、あのOPばりにドンドン画像が入れ替わる。ただ、その画像がDoalaという・爆)

ふと、再デビューしてまで歌を歌うことを選んだ彼女が、どうして歌手活動を辞めたのか。と思う。そんなこと訊いたら、笑いながら、辞めたんじゃなくて一度休止しただけよ、と言われそうなんだが(自爆)
女優の傍ら文章を書く、それによる評価が歌で表現することより勝ってしまったからか。はたまた女優だけで行こうとなったのか。兎も角、教授の興味がついえたかのように、教授の、彼女へのプロデュースワークも途中から散漫となり、彼女の歌手活動はイコール教授プロデュースで終わってしまった。
歌手・ともさかが、自身の"お仕事"からの脱却で「カプチーノ」以降の音楽表現へ踏み込んだように見受けられる一方で(その後の彼女の女優としての出演作を見ると、何か芯が通ったようにも思う。ドラマなら『すいか』とかね)、歌手・中谷は教授が表現するモノを的確に表現する人になり、結果として、それで終わってしまったように見える。
"的確に表現する"けれど、教授と中谷はあくまでプロデューサと歌手の互いの立場をプロフェッショナルで、それを一定期間遂行した。という感じ。決して悪くはないけど、良質の作品もあるだけに惜しまれるところ。

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カプチーノ(1999)

「梅が散る」と歌詞にあるからか、かねてより梅が散り出す季節で桜が咲く前に思い出す曲。

ともさかりえって思ったより歌えているんだよなー
ともさかりえ(歌)+椎名林檎(作詞作曲)コンビで出した楽曲の中では一番親和性が高い?
と、思いつくことを箇条書きしつつ更に思う。
此れ「アイドルが歌を歌う」と分別したら良いの?
かといって「女優が歌を歌う」にしたら良いのか?
非常にわかり辛いのに気付くのだ。
なので、彼女の経歴を見る。
1999年は19歳から20歳という頃か。立ち位置がアイドル女優から若手女優に移り行く"移行期"に、私には見える。
恐らく、最初から仕事の主軸にあって目標も、実際のお仕事も"女優さん"なのだろう。
けれど現実的にデビューから数年はアイドル女優な仕事をやって(ジャニー○モノのドラマの女優さんの仕事もあれば、若手女優集団モノのメイン格を張ったモノもあるので、何となくアイドル然と見える)、お仕事としての歌手もやってみて(1stアルバムが好例)、だから「ともさかはアイドル?」と思えてしまう節があって。で、高校卒業を機に、だろう。
彼女はアイドル女優から若手女優に活動の色を変えようとしつつあったのでは?と睨む。

問題は歌だ。
アイドル女優として既に歌は歌っていて、一定の成果は得ている。
今度は若手女優として、お仕事で歌う?
して、どうする。

1990年代中期から後期で「若い女優で、歌を歌う」となると中谷美紀が想起される。
坂本教授プロデュースで再デビューして、歌手活動途中から作詞もおっ始める中谷美紀。坂本教授が"プロデュース"という遊びに飽きると、歌手活動もすっかりやらなくなって久しい彼女。作詞する中谷の自己主張とも、ともさかのは異なるんだよなぁ…
中谷とは3歳差(中谷がともさかより3歳年上)というのもあるだろうし中谷が歌手再デビューしたのもあるだろうけど、ともさかの自己主張は、先ず、歌の"お仕事"からの脱却にあったのだろうと思う。
それに手を貸した----、ともさかの自己主張に加担したのが椎名林檎なんだと思う。

歌手再デビュー後の中谷美紀には、こういう路線は敷かないだろうし、させないだろうなあ…
そう思って観たのが、「カプチーノ」のPV。
完全に完璧なアイドルシューティングだよ(苦笑)
そして、此れらを引っ張りだしたのは歌詞の赤裸裸さ、10代終わりの持つ生々しさだろう。

全て味わって 確かめて イーヴンな 関係に成りたい
-----ともさかりえ「カプチーノ」より

こういう歌詞の解釈広げてみたら、結果、挑発的な、あの衣装たちになるのだよ(苦笑)と思うと、どうなんだよ(起爆)広げるのは良い、悪くない、が、着エ○的なアレはいささか仕事が安かないか!と突っ込みたくもなる。



ともさかりえ best album『rie tomosaka best』より「カプチーノ」(iTS)

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未来色プロポーズ(2008)

河口恭吾というとパッと「桜」が思い出される。
モノクロの写真に桜色が差し色として差し込まれる、それで世界が成立してしまう淡い世界。数色で表現されてしまう曲に、私は「この曲は"素描"か"白黒写真"のようだ」と思った。

しかし、「桜」から数年を経て、これまでの間にsg.として複数の楽曲が耳に届くようになって、その中にはタイアップもついた曲もあったりして(微笑)といった過程を経ていき、自然carrerが長くなると、"それ"を思うようになった。
"それ"は。
-----、もしかして曲に合う色を塗るのが苦手なのかな?
言うなれば、曲に合う上等のorder-madeの上着を作ってやること。
曲は良いモノがあるのだからarrangementで、もっと曲の世界も広げられやしない?
だからスキマスイッチの常田くんと組んでsg.もal.もやると知った時に面白いと思った。これは良い選択。



スキマスイッチの場合、sg.群をさらっても色が多種に渡るし、実に多彩だ。
debut曲「view」で見せる、ザラザラとした夜明けの蒼を。
(この曲を聴いた当時に「彼らわかりづらく始めてしまったなあ」と思ったものだった。槇原敬之がsg.のdebut曲で「NG」を出したのに似ている)
一方で「全力少年」の、あのイントロだけで自分の頭上に青空が広がり、風が吹き渡る高揚感を。
どう、河口の曲にproducerとして、常田は色(arrange)をつけるのか?

al.に先んじて出された「未来色(ミライロ)プロポーズ」は、歌は丁寧に言葉をおさえつつ、曲もガツガツ走ること無く、一歩一歩進むようなtempoで、そう人生で何度と無い瞬間への物語を綴って行く。そんな曲だ。
この先のal.のpilot盤として"様子伺い"を兼ねての曲であり、同時に河口恭吾の「それまで」と「これから」をしっかり繋がないとならない曲でもある。
今回のように新たにproducerを立てることで、musicianが、それまでとは違う流れに行く効果がある。それは同時に、それまでを知る人にとって「これまでと違う」と言われる要因となる。だからこそ、より「それまで」と「これから」を出来る限り損なうこと無く"曲"で繋がないとならない。
数色で淡く彩られた印象は、此処にはない。
此処にはしっかり色が塗られた絵があり、白黒だと思った写真も鮮やかに色が現れたものとなった。
----- そして、これはalbum『HORIZONT』で、より強められる。
al.序盤。2曲ほど聴いて思ったのは、Something ELseがsg.「磁石」をやった時のようなんだよな!此れ(過去に、この曲で書いたentryあり
それをal.全編でやろうとした、って感じ。
常田くん、河口恭吾でAORをやろうと思ってるんじゃね?(微笑)
これが渋過ぎると「エイリアンズ」あたりのキリンジになるんだろうけど、popsに軸を置きつつもAORに攻めよう!って路線なのよ、al.は特に其れが出てます。




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温度(2000)

この曲を聴いた当時、思ったのは「色が変わった」だった。
それまでの彼女は、「うた」の中の感情の彫りが少なかった。だから影が見えなかった。その色が違う。影がついた。
それは笑い顔しか見せなかった子が、泣き顔をやっと見せた。そんな感じに。
しかし、彼女自身の音楽が変わりだした矢先、彼女はmajorの音楽製作の舞台から無情にも引きずりおろされるのだ。

路上で楽器(guiter)を手に歌っていた10代の少女がmajorの音楽の表舞台に。
「現役女子高生ストリートシンガーソングライター」というのが「いしのだなつよ」時代の彼女について回ったcopyだった。
2009年の今となると"何処かで覚えのある話"も一つあるんだがーーー(苦笑)まー、あーれーはー、そこからunitになるんだから…と気付く、…だろう。が奇しくもやってる大元締めが同じレコ社(S○ny)なのな(爆)と気付く、と。
「ううむ、なんとも…」
と、しょっぱい気分で唸るしか無い(その"何処かで覚えのある"彼女は、その後、自身の音楽をやりたいと転身を果たすが、それはまた別の話)。
話を戻す、と。
「いしのだなつよ」は自分の音楽を「やる」前に、major側が成果の出ない彼女を切り捨てた。ように当時の私には見えた。
-----嗚呼、「うた」の中で泣き顔を覚えたばかりなのに。
此処から化けるのにもう少し待てなかったのか、それが契約解除を聞いての私の素直な感想だった。

おぼろげな記憶だが。
彼女の「ひまわり」(1999)は、歌の中に笑い顔しか見せなかった。という位えらく、えらく"まっすぐ"な印象を残した。10代にしか出せない青いまっすぐさは、余りに過ぎた。
そのまっすぐさが当時20代の私には「つい最近の、でも、あれは確実に昔のこと」だけに素直に受け入れ辛いもので持て余した。10代が憧憬の彼方になるには、僅かばかり早かったのだ。
その少し前に出た川村結花の「ヒマワリ」(1998)は笑いながら泣くような曲だったことを思い出しながら、同じ題名(平仮名、カタカナの違いはあれ)の曲に横たわる差異こそが年齢の差であり作り手の個性なんだなぁ…と思った。

それが変わったのが「温度」という曲。
それまでの"路上から"という匂いが消えた曲に「ああ、変わった…」と思った。
"まっすぐ"に笑うだけじゃない、"まっすぐ"に前を向くだけじゃない。"まっすぐであること"は同じでも、時には、前を向いても涙は頬を伝う。

先日(2/11)、彼女は「春空-ハルソラ-」で再び、majorの舞台に戻って来た。
今度は「泣かせるシンガーソングライター」「オンナを泣かせる女」というcopyを引っさげて。
けれど、あの頃から。「温度」の時に石野田奈津代は泣かせてたんだ。
そう思う。

-----、major復帰おめでとう。なかなか出来ることじゃないよ。
そんな思いを、この文章に託します。




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StarrySky YEAH! Remix(2008)

Capsule x Daftpunk x Beastieboysのマッシュアップ。

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白い夏と緑の自転車 赤い髪と黒いギター(2002)

今日紹介する音楽のジャンルは異なるのだが、あれはもう、今から9年前になってしまうのか。夏の終り、コンサート会場で配られたアンケート用紙に、こんなような一文を書いた覚えがある。

「暑苦しく歌うのと自己主張ある歌い方というのは似ているようで全然違う」

あれは、歌い手の個性を殺す歌い方だと思ったんだよなあ(苦笑)
当時の私は20代前半で観る場数それほど踏んでいない。2000年から2001年に「観たい時は観る時だ」と観倒した、その入口に立った時期(1999年)だから。その上での判断ではあるんだけど、それでも「あれは違うなぁー…、薫ちゃん」と半分怒りまじりに思ったのだ。
個人的に、「この人"シャウト"が生きる人じゃない」と睨んでいたんだわ。
なのに、「俺の歌を聴け」と主張するが如くステージ上で暑苦しくシャウトしまくる。押しまくる。引きを知らない。それが暑苦しく、鬱陶しく思った。
過渡期だといえば過渡期、実験なのだといえば実験だと言える。歌うたいとして模索の時期にあった言動だろうし、サウンド的に求められているところではあったろうと思う。
だけど、彼(まあ、白状するとThe Gospellersの黒沢さんなんだが)に関しては「シャウトしなくとも、この人の声は前に出る」というのがキチンとあった。しかもシャウトが生きる人が同級生(村上)にいただけに「何故に薫ちゃんは、こうも暑苦しくシャウトばっかすんの?」というのを感じてた。というわけ、しかもライブの最中から(自爆)
それが、かの「FIVE KEYS」ツアーも通算2本目、神奈川県民会館でのライブ中に心が冷え倒した原因、の一つなんだろうなぁ…(嘆息)

本題。
the pillowsの山中さわおも、曲の中で、シャウトする。
だけど、そのシャウトは、その曲がシャウトを欲するところで出る。シャウトが"シャウト"として生きているのだ。
要は自分の中から迸る感情を、時には心の叫びを、言葉では伝えづらい感情を、シャウトするところでキッチリ"シャウト"という形にしていると思う。
けれども、杓子定規にシャウトすればいいんではない。かといって何でもシャウトすんじゃない、というのを踏まえつつ、この人はシャウトする。
それが、ものすごく残るんだ。
「ハイブリッド レインボウ」のサビを思い出してみても。
「白い夏と緑の自転車 赤い髪と黒いギター」の後半も。



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続・盆と正月

以前、こぉーんな記事を書いた人なんで、だからこその「続」なのさ。
「伊集院光の語る山本昌(2004年シーズン終了時点ver.)」が、もう凄い。
で。
-----、200勝ですよ。
特に去年の"2勝10敗"を知っていて、監督も「昌は厄年か」とコメント残していたのも知っていて、にしても「昌さん、後厄でも今年は酷過ぎるよ…」と思ってて。だからこそ嬉しい。
-----、地上波の野球中継は時間帯も悪くCMとニュースの間で、その決定的瞬間が放送されなくて酷過ぎの一語だったけどな!

・前編


・後編

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雨がやんだら(2007)

それこそ2000年2001年あたり境にガーーーッと新譜を追わなくなって。浦島。みたいな人と成り果ててんですが。それでもたまにポチポチ、曲だけは耳で拾うことがありまして。
で、そんな中にあったのが「雨がやんだら」。

これを聴いてパッと思い出したのがNSPとか(苦笑)の、何故だろう?そういった過去の日本のポップス史を彩ったグループの名前でして。
1990年代、サニーディサービスの『東京』を紐解くのに盛んに使われたのが、はっぴぃえんどの存在だったじゃないですか。あれをサーッと思い出すんですよ。ああいう紐解き方で、文脈で、この曲って語れそう。語れなくない?違う?そう思ったからなんだけど、その辺の論が今の今も煮詰め切れてなくて言葉が実に半端だ(苦笑)
10代なら相当新鮮、30代から上なら何割か意識が"ルーツに戻される"に来る。といえば良いのかしら。ね。
---、でも、だからといって此処で年齢を持ち出されるのも悲しいよな(爆)

"2007年"に出されると想像以上に"古い"印象を持ちかねない。とは思う。
だけど音は確実に今現在を刻んでいて、今現在の心に響く。
スッと届く、そして、そこから物語が見えてしまいそうな、冒頭に置かれた「雨がやんだら君は」のフレーズ。そして、その後に続く言葉にやられてるのは確かだ。
PVをようつべで見つけたんですが此れってまぁ、ショートフィルム調ですなぁ…

ANATAKIKOU「雨がやんだら」SPECIAL SITE

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another grey day in the big blue world(2001)

Internet Radioを聴いていた中で、いちばんに引っかかった曲。
誰のどの曲か調べ終わった時に「ああ、またアタシが引っかかるのは"grey"なのか」と思えて、そして自分ひとりで勝手に納得がいったのは、どうしてなんだろう。
心象に沿うから、だろうか?
私の聴く音楽のごく一部分には、今も、早川美和「Blue Gray」の持つぶっ飛んだ浮遊感と幻想感が楔のように打ち込まれているからか。
はたまた過去にThe Gospellersの「終わらない世界」の歌詩「ブルーグレイの 永遠に」が、そして、その歌詩の先に見える未来が透ける感じが心に残っているからか。
この曲は『イージーリスニング』とtitleされたalbumの締め手前に置かれた曲だが、album全編に流れる透明な世界観をスッと(それはeasyに)聴き流し可能な一方で、決して、easyには聴けない棘を隠していると思う。音楽家として持ち得る棘。こだわりであり、凝り方。album全体を一つにまとめあげる、この構築具合が半端ない。



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