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Blue Gray(1992)

以前、宇井さんの「DOOR」に関するentryを書いた際に"早川美和さん"とお名前を出していた。
そうやって自ら話題に出しておきながら、その曲に関して私は何ひとつ、書いていなかった。
己の反省を込めつつ。

早川美和さんは、第1回MUSIC QUEST世界大会を、この曲、「Blue Gray」で飾る。
1992年12月にreleaseされた「Blue Gray」がdebut singleであり、現時点、彼女名義の最後のsingleとなる。
その後、数曲の楽曲提供を行うが、その中に宇井さんの「DOOR」がある。

「DOOR」が(どちらかといえば)「動」ならば「Blue Gray」は「静」の曲だ。それは曲のtempoや編曲もあってのことだし、結果、mediumめな「DOOR」とballade然とした「Blue Gray」という差異でパッと思いつく点でもある。
けれど、どちらの曲も冒頭からimpactのある言葉を置いているのは共通だ。
現に「DOOR」は、こう始まる。

彼女は裸にならなくてもいい人生を
選んでも良かったのに
彼女は服を脱ぎ捨てて
裸になる今日を選んだの
だから私 彼女が好き だから私 涙が出た
-----宇井かおり「DOOR」より
このサビの〆。
この〆が入った時、豆鉄砲を食らったようにポカンとした。あなたじゃない、「彼女?」となった。軽やかにポン、と心のairpocketにキレイにshotを決められてしまった。
軽くdamageを受けて、深夜、radioの前で吃驚したのを今も覚えている。

一方「Blue Gray」は、こう始まる。
私を愛する努力はいらない
身分証明も サインもいらない
-----早川美和「Blue Gray」より
………。
ド頭から「いらない」startなんである。
「いらない」から始まる「ない」「ない」の否定は、この後も続く。
けれど、否定の連続はサビの、この一行に繋がることで一転救われるのだ。
ゆけるまでゆきましょう 天国に一番遠いところ
-----早川美和「Blue Gray」より

誰かを愛することは(もしかしたら)ふたり、ゆけるところ。最後(最期)まで共にゆくことなのだろう。
それは理想型のひとつだし、最終的にそうなっていれば。というものに思えるが、何かの折に「このまま、この人と続くのかな」と思うのは誰にもあるように思う。
そう思うと、この「ゆけるまでゆきましょう」というphraseが「愛する」という単語以上に雄弁に、曲の主人公の愛の形を語っていることに気づかされる。
曲中の「ない」「ない」の否定は、形あるもの(身分証明/サイン/お家/食卓/車/レストラン)と、形はないのだがふたりの間では無駄で無意味に思われるもの(愛する努力/他人の祝福/全てを許す努力/けじめをつける気遣い/誰かの紹介)の2点に集約される。
そういう、煩わしいものはいらない。
このまま、あなたとゆけるところまで。
それは不要や不浄を削いで表出する本質のみの姿、そして形だと思う。

早川美和 「Blue Gray」sg.より「Blue Gray」 (iTMS)

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