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Where do we go(1999)

今のSkoop On SomebodyがSKOOPだった頃、それもSKOOP末期という時期、私はstageで歌うTAKEさんを目撃した。1999年の「Saltish Night」でのことだ。
2000年、SKOOPはSkoop On Somebodyに改名し、この年の6月にsg.「ama-oto」をreleaseする。

----、post佐藤竹善のvocalistって彼かもしれないな。
あの当時、思ったことがこれだ。
何故なら、誰から見てもvocalistのgraphを書いたら総合点が高い人であること。それはつまり、ひとつひとつのskillに細分しても軒並み高得点を記録する能力の高さを、この人が有しているということ。そしてなにより「アマノガワ」でのintro.で見せたfakeひとつ、そして、歌いだしの「防波堤で」ひとつでバッと曲の世界に人を引きずり込む力が半端じゃなかったからだ。
当時、見かけはパッとしなかったんだが。白いsuitに水色のY-shirtで(禁句)

album中に恋愛モノの歌もあるが、このalbumはtitle-tuneに掲げられたように「Where do we go」=「何処へ向かうのか」が肝となった。だから彼らの他albumと比べ、歌詞の主人公に精神的優位性が見えない曲が並び続けることになる。
思うに、TAKEさんという人は基本気質、Chemistryに提供した「My Gift To You」にある「そばにいてあげよう」側の人だと思う。一種の王子様気質とでもいいませうか、「男だから、俺、好きな女は助けたいんだよね」なる精神的優位が、歌詞を読み込んで行くに従って浮かび上がってくる。
だから相手に対して女側がウットリできてりゃOKなんだが、そうじゃないとややこやしい。人に言わせれば「あつかましいよ」「満足してないか?己の言動に」発言までもが飛び出す。
こういう時に「そばにいるから」と歌うのがThe Gospellersは黒沢さんになるのではなかろうか?これですら2003年1月段階での仮説なのだが(爆笑)彼らのdebut曲の「Promise」が象徴的じゃないか!「そばにいるよ」連発の歌詞、だが「そばにいるだけ」何もしない。
けれど「あげよう」じゃない分だけ押しが弱い。けれど弱った女子には「あげよう」よりも効果が高い。それはあつかましさがないから。
それって作詞したのが女性だから?(逃亡)
-----、閑話休題。
後にS.O.S.楽曲で顔をのぞかせる精神的優位性が『Where do we go』で余り見受けられないのは、当時の彼らの置かれた状況、打破したい問題(要するに「売れたい」「このままじゃmusician続けられない!」)、そういったものが背景にあって。albumを作って行った結果、それらまでもdirectに記録(record)されてしまった、という感じがする。
とてもじゃないが余裕がなくて自分を取り繕うこともできない、その時期故に「まんまを出した」と言おうか。

sound面で言及するなら、SLT好きな人は文句ナシにハマれます!album単位でいうなら4thから6thにかけての時期のsound makeが好きなら文句ナシに。「覚えがある」と言いたくなるくらいに親和性、高いっすよ。


Where do we go
Where do we go
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