2006/Mar/23 | listen
ラジオのように(1993/2006)
ラジオのように 時は流れ 私を通り過ぎてゆくわ
------鈴木祥子「ラジオのように」より
「girl-pop」なる括りで女性solo singerたちが呼ばれていた、そんな時期がある。のちのちdiva系が出て来た時に「これはgirl-popの時と同じ」と思ったのだが(爆)
鈴木祥子さん。彼女も時代背景的に、この「girl-pop」なる枠にcountされていた一人という覚えがある。恐らく彼女のdebut初期(debutが1989年!)に設定されたpublic imageが「さわやか、フェミニン、風のような」の範疇にあって、-----それは後に本人的には全然違うと思っていた発言が出ることとなるのだが-----、それは総じて当時隆盛の「girl-pop」なる空気全体にあったものだ、と気づかされる。
「girl-pop」を提唱する人の多くはkeyboardが前に出る爽快な編曲が多い。そのなかで鈴木祥子という人の作品は1991〜1993年の段階で、「girl-pop」のformatにあるもの、「girl-pop」のformatに入らないものとに二分されていたように思う。
sg曲でも、例えば、楽曲後半にgospel的なchorusを配した「Happiness」だったり、『RadioGenic』のopeningを飾った「ラジオのように」のguiterの歪ませ方であったり。一方で「ときめきは涙に負けない」という、コレはgirl-pop王道?と思しき楽曲も入ってくる。
私が「ラジオのように」をradioで耳にして、もう13年になる(!)。
新しいalbum『鈴木祥子』には、CARNATIONとrecodingしたという「ラジオのように」が入っている。iTMS経由で購入、やっと耳にした。
ラジオのように時は流れ、の、あのphraseを思い出した。
流れたんだ、時は。戻らないで。
