2006/Jul/25 | stop
ね?
昨日久しぶりに、書店に行き、とある雑誌の対談を読みました。
しかし読み進めて暫し、その本を棚へ戻していました。
そして
「どうしてかなぁ、font sizeだって大きい筈なのに読みづらいぞ…」
しかし、その時は、そう思った理由を深く詰めたりしなかったのです。
その理由に気がついたのは、帰宅し、随分してから。
「------、?。ぁ…、ああ。あーーーーーッ!」って。
あの対談、会話の最後が「ネ」の乱発だったからだ!
ひらがなの「ね」じゃなくてね。
カタカナの「ネ」なの。
「そうですネ」
「○○っすネ」
カタカナの、ネ。
この「ネ」が、どうにもオイラにとって喉に引っかかった魚の小骨…とでもいいませうか。少々ウザ(以下発言自粛)といいませうか。こう「その人が喋ってんだ」と思いながら字面を追って行っても最後の最後、〆に出てくるカタカナ。
ひらがなに漢字と来て最後に「ネ」。
ひらがな、だと抜ける。けれどカタカナ。
コヤツが目に触れた時、予想外に抜けてくれない(自爆)
楽に読み抜けず、どうにもひっかかる。
でもって、このカタカナの「ネ」で思い出した。
「あー、薫ちゃんだー…」
ええ、かのThe Gospellersの黒沢さん。
いつもの私なら「あのね、だからね」と文字起こしをしたいところ、彼の会話は「あのネ、だからネ」と起こしたくなる、という(起爆)アレです。確かに、彼の会話で出やすい語尾の「ね」の調子。だが、これを「ネ」にした時、「ネ」の一文字に隠された微妙なウザさ(褒め言葉)が表現できる。そして、これでこそ我らが「薫ちゃん」である、ということを。
振り返れば2003年、対談なんぞやった際、私が全ての会話の応酬を文字起こしをし、それらを対談当事者全員に読んでもらって、その場で朱入れ。ってのを、しまして。
その際のrequestで、ですね、
「ここの語尾全部、カタカナのネにして貰えるかなあ」
と言われたのですよ。
「カタカナ?」
「ん、薫ちゃんっぽく」
「あーー」
「あのネ、ってカンジなんだよねえ、此処」
あー、そーですかー、と頷いて、私は原稿に朱を入れたのでした。
思うに。tempoよく読み進めることを考慮すると、多発する「ね」は文字起こしの途中、思い切って落としていって正解、な気がします。それでも「ね」「ネ」の語尾は残る(苦笑)どうしても、流れ的に落としきれない語尾の「ね」は、あるんです。
が。
どーも。
削ぎ落としたにしては、アレ、多く思えたんだよ…
まさか、作為的か?(起爆)
とはいえ自分も、語尾の「ネ」に引っかかって数pageの対談、これほど簡単に読み負けするとは思わなかったわ(苦笑)ああいうのをグイグイ読んでこそ、だわぁ…
これでも2001年のThe Gospellersも『Love Notes』関連記事、1ヶ月に50余り!っての、キッチリ読破し切ってたんだけどねえ…(だから『救命病棟…』の頃にあった大泉さんの雑誌rushも動じることなくガンガン読み進めてたといふ)