2006/Sept/24 | live
[1999/12/28]ゴスペラーズ坂ツアー -G5-@Zepp Tokyo
※この文章は過去、web上にあげられていたものを再録したものです。
なお、ライブレポート集のインデックスページは、此方になります。
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個人的には「surprise」を狙ったんですけれど。
まぁ一部「モノを渡す人」もいたので事前確認をしてしまう損な性分もあってバレバレではあったんですけれど、会場で「あれぇ↑、さちさん居たんだ」と言われまくること数回。
クリスマス頃に「最終日行けそうだから行っても良いけれど ticket、当日を買う余裕がない」ことに気付いて知人がギリギリに吐いた(手放した)ticketを購入する事になったのでした。
サンクスぅ>めぎゅ。様
んー、ゴメンナサイ。
今回のlive、あまり好きじゃないです。
正直に言いましょう。「好きになりきれなかったです」
これで「ゴスペラーズ2000」なぞと名乗るならA cappella以外は観るの辛いかも?と思いました。いちばん後ろの方、でもPA宅の真横で観ていたんですけれど。そこだと一番balanceの良い筈だろう音を満喫できなかったんですよ、うん。
終演直後のcommentが「あんなに「シークレット」が軽いものだとは思わなかった。」でしたから。
昨日が贅沢だと言われればそれまでなんですけれど、要するに、今のbandの限界を観た気がするんです。
acousticで、あんなに軽くやってしまったらどうするんですか?
もっと印象が強いと思ったcornerの印象、音、全部が軽かった。
もっと楽器の人が突発soloとかやらかしても良いと思う。
それも出来ないんだ、煽れないんだ。と思ったら「これじゃ『シャンパンブランチ』の録音を再生してたら良いだけじゃん」となり得るんです。
もっとjamるかと思った私がバカならそれで良いですけれど、それじゃちょっとと思います。
昔の曲は嬉しい、が。それじゃ「回想作業」になってしまう。事実「回想作業」に放り込まれたファンの心理に陥った(自爆)から。
音響の悪い天井の高いZepp(余り音響が良いと思えない、ゴスは基本的に音が悪いと思うし)だから音が散る。後ろほどそれを痛感する。だから、あんな軽い音で満足できる、踊れる客のsenseも疑う。というところまで冷静になってました。
だってPA卓の真横で、曲順の紙を持ったincomeのオジ様の真横だったんですよ(爆笑)途中、曲順割れる割れる(バレているということ)。曲順の紙が丸見えだったんで先が読めてしまう。
だからencore。「GOS' THEMA」で「あ、北山さん振った」と思ったくらい(苦笑)
んー。
「Love Machine」は面白かった。とか、見せ方が巧くなったとか。兎に角、ゴスを数年も追い続けてるものだから、こうしてみると「成長した」と思うけれど。それと同時に、歌が巧くなったと思う反面、その歌がその日の彼らしか出せない歌なのか?と思い始めたのも事実。
巧くなると同時に誤魔化しも上手になったと思うんですわ。そこんとこ、不信感というのだろうか?
感動させてみせてよ、その音に不信感を露わにしつつあるfan(私だ)を納得できるくらいのもの。それをここで出して私に見せて頂戴。だからか、私は終始挑むように睨んでいたんじゃなかろうか。
幾ら口ずさんでいても、はしゃいでみせても、目の奥が笑う事は最後まで無かった。申し訳ないけれど笑えなかった、最後まで。
完成されたplasticのような、CDの中のような歌。
と思えてしまったのかな…、今の彼らの歌。
形になってるものの、その形に魂が入っているのか、そういうこと。
仏像に魂が宿るように、不器用でも良いから気持を届けようとすること。
歌でねじ伏せてやる、という気概。
その場所に立って、現在進行形でそれが見えるか。
疑いの眼の私には、それが見えなかった。「裸の歌」と思い切れなかったのは、そこんとこなのだろう。
こんなこと圧倒的少数意見で悲しいことだと判っている。悲しいけれど、現在の私には「彼らの現在進行形」が見えなかった。懐かしいだけだった、5年経過したんだと思い返すだけだった。そんな過去の記憶の整理にしかならなかった。その記憶のpazzleのpieceを繋げるような、それだけの liveになってしまった。
確か、私がゴスペラーズの中で好きだったもの。
かつて持ち得ていた自由なstreetの匂い、ざっくばらんさ、何が起こるか解らないもの、同じ空気の中で感じるもの、同世代の感触、ゾクゾクさせる感覚。そういう目が離せないモノ。
そういう持っていた未完成のもの、見えていたものが、この5年で消されてしまった気がする。特にこの数年一挙に。それを再確認させられた気分だ。
私は、彼らの客を歌でねじ伏せると言わんばかりの「何か」が好きだった。未完成だからゆえの危うさに目を離せなかった。これから、が何度も見えた。その未来が広がって見える気がしたから観ていたんだろう。そこに何時も何かが見えていたから。だから、逆に今のliveを観ていると瞬間瞬間が無い。というのでせうか。
それじゃ面白くも無いでせう。時間を無駄にするだけの、ある意味音楽による拷問。それならCDだけで良いと思う。
当然だけれど。
ひとつのtour中は、ゴスの今の体制だと同じset listだろうと思う。
MCもそう変えて来ないと思う。
けれど、お客は違う。
その日だけのものが観たい。CDにないものが欲しい。だから「生で」と思う。
予定を繰り上げて、その瞬間に立ち合おうとする。そう思ってる。
そのenergyの大きさを知っているのだろうか?
生で感じたいんですよ。realityが欲しい。曲を変えても良いかもしれない。けれど曲を変えることじゃなく、目が離せないほどの見逃せない瞬間というもの、見えないものは作り出せると思う。見せて、感じさせて欲しい。それだけで生きて行ける気さえ起こる、途方もない瞬間までも欲を出せば欲しい。
お金に換え難い何か、心で見えるもの、それがなかった。
それはハコの遠い場所まで心など届き切るものでなかったのか?そう思う。だから、だからこそせめて。せめて「音」だけは手を抜かず贅沢にして欲しい。後ろまでも心に届く可能性を求めるのならば、せめて音に気配りをして欲しい。
せめて最低限の音として形にして欲しい。PAのbalanceの悪さを口にするのも、そう思うから。そして、bandを、band全体での「10人の」ゴスを、その音を手放しに称賛しないのは「だから」です。
数多く観たからゆえの辛口もあるだろうけれど、それだけじゃない。
本当に日記に書いてたのですけれど「本当に彼らの音に眉唾状態」だったんです、特にliveでの周囲の称賛一辺倒のcommentsって。唯一「どうかな?」と書いた彼女のcommentsに「あ、なら観て確かめる状況を作ろう」と思ったんです。
観ておいて。まぁ、いろいろ考えてしまって。当然の事ながら手厳しいcommentsの羅列になってしまってますね。
本当に「ゴスペラーズは観るだけにcommentsが辛くなる」(爆笑)けれど、それだけのことが出来る人たちだと思うから言うんですよ。そこまでバカじゃないだろう、って思うから。
■songlist
Wild Wild West[W.Smith]〜
01.侍ゴスペラーズ
02.予感
03.I LOVE YOU,BABY
04.愛のためだけに
05.愛の歌
06.LOSER
07.参宮橋
08.讃歌
≫Acostic corner≪
M-9からM-17までmedlay
09.Atlas
10.〜U'll Be Mine
11.〜ウルフ
12.〜待ちきれない
13.〜虹
14.〜歩こう
15.〜Two-way Street
16.〜in the Soup
17.パスワード
18.熱帯夜
19.逃飛行
20.Promise
21.終わらない世界〜Vol.
22.シークレット
23.LOVE MACHINE
24.FIVE KEYS
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EN-1.靴は履いたまま
EN-2.真っ赤な太陽(なりきりゴスペラーズ)
EN-3.Gospellers' Thema
EN-4.カーテンコール
確か、この日(12月28日)は世間的に仕事納めの会社が殆ど。という日じゃないでしょうか。私もそうでした。
珍しく東京での公演でチケットが売り切れなかった。と2006年の今も彼らは、この公演に関して口にしていると聞き及んでますが、そこで社会人の主張。
「行けっか!あんな日に」
年度の〆のご挨拶などが続く中、ものすごく無茶して定時ジャストに退出をぶちかまし(本当にぶちかます!って感じだよ)電車を使うと間に合わないからとタクシー使って水天宮前から新橋まで。それでどうにか開演前ですよ。
そうなる可能性が高い日に会社員、行けますかって。
チケットを譲ってくださった方も、仕事の都合で抜け出せない。だから譲って頂いたんでした。
後にGrapevineの「White Wood」の時に同じZepp Tokyoでliveなるものを観ているけど(live albumになった、あの公演を)その時と観客数的に差はない(実感値)。大方入っているという状況、だったのよねえ…
最後に。サブテキストとして、1999年12月30日の日記を。「G5」に関する記述があるので、その箇所を採録します。
神様 届いていますか 招待状代わり贈った あの花は
(♪ゴスペラーズ「或る晴れた日に」)
行かないと思っていたんだけどな、12月21日までは(爆笑)
(※12/21は赤坂BLITZでゴスが「5周年だ」とライブを敢行。しかし、あたくしは赤坂を蹴り、渋谷公会堂にスガシカオを観に行っていたのでした。だから「12月21日までは」発言になる)
周囲の称賛の声、今の私には「疑問符だらけの眉唾」だったんです。
その理由を確認したいから、売りに出されたticketをりに出たという感じで参加しました。だから狼少女なのですが。
それが27日と28日とではっきりと、そして今年「五鍵」tourで思った違和感の理由の一端が判った。
2日連続で聴いた「シークレット」、あの曲の印象が「今日は薄い音で印象が残らない」だったから。
聴いてる分には、観てる分には、その時だけは楽しいんだけど。直後「どうなの」と思うのよ…
痛感した。今のゴスのbandのbackの音では、私の中で消化不良を起こす。不満が出るようになってしまった。
まず、特に今年の酒井・安岡(敬称略で失礼します)の急激な成長を観ると余計にハッキリした。
彼らの成長が凄過ぎて、一緒にやってるbandが全然機能してない。
音楽的にも成長したことが、逆にbandの限界を感じさせてしまった。
音楽的にもゴスペラーズがちゃんと打ち出せたことで、逆に「CDは良いけど、liveはどうなるの」という結果を産んだ。
あのbandでの最高点、私なら「衣食住」だと思う。今年、「五鍵」tourでband色を強めた事で、逆に「band、どうなの?」と素人目に思わせてしまうことになってる。
でも、村上てつやという人間を考えると「切り捨てる」決断は出来ないでせう。
「この10人でゴスペラーズ、やってゆきます」という8月下旬。横浜公演の村上さんの言葉が、私には違和感だらけだった。
このbandを信頼して彼らは本当によりかかってるか。そこから「消化不良」が始まった。
夏の横浜ではそんなことを一切思えなかったからこそ、生まれた違和感。
それがノブさんのliveでは一切、無かった。
自分たちのliveではないせいか、表情が少し和らいでて。それがまた良かったし。
(まぁ前の方のお客のノリに関しては「ぬぬ」というものもあるけどさ、そういう音楽の楽しみ方は自分で覚えて行くものだからこれから学習してもらいましょう。兎に角、正面ブロック○列目が異常だというのもあるのだろうけどさ<特に崩壊傾向の自分ね…。良い音楽には素直に心と体から賛同しませうよ♪という前に「本当に解るか」問題なのよね…)
もしそうだったら、bandからもっとアグレッシブに彼らを、そして観ている私たちをも煽れる筈だ。出来ない理由は解っている。band自体が生音を元来主体にしていないbandだから生々しさが無い。
お皿の焼き直し(再現とも言う)ほど難しいものはないわけで…
ただ、彼らの調子が良いとそれでも良いliveになる(ex.「五鍵」沼津公演)んだけれど、その良さを見せるにはいつもaverageが平均して高くないと無理があるわけ。だから初日の戸田からの序盤戦で賛否両論になる。と思う。
あのband演奏が明らかに「間の繋ぎ」にしか受け取られない。あそこでbandを見せる(同時に魅せる)つもりだったのでしょう、そこで魅了し切れなかったbandの力量といふもの。それを考えなければならない時期なのかもしれない。
今のbandのmemberが嫌いだと言うわけではない。才能がある人が参加されてることを承知している。愛すべきcharactorが揃ってる。
でも、今の彼らが成長するためには、support側の成長も兼ねて、一旦離れてみても良いと思う。
二度と会えないわけじゃない。きっといつか一緒にやろう、それまでお互いを高めるために袂を分かつ必要があると言いたいだけで「ゴスのbandがイヤなんだよね」と言っているわけではない。「bandの音の限界がある」と言っているだけで。
ゴスペラーズ自身のstepupの時期なのかもしれません。
村上さん、私が思うに「五鍵」中・本編最後のMCで「ゴスペラーズのあたらしい世界について来い」と自ら見栄を切って言い切るなら、自分たちの音楽を作る世界(環境とかsupportの人とかcoravolateする人など)を一旦仕切って新しくしてからliveの中で「あたらしい世界について来い」と客に見せないと。
中途半端に偽物の「あたらしい世界」では、たぶん納得が行かないですよ。
そこまで言うなら、で言ってみましたが。
殆ど言いがかってるものも有りますが。
かなり辛辣ですが、私はそう思ふです(別にメンバー当人がここを読むことはないだろうしね、だから言いたい放題です(自爆))。
不満というよりも正確には「信じ切れないもの」が残った。
それまで楽しかった音が、全然楽しくなかった。
その結果、他人に迷惑までかけてしまった。
送るはずの録音依頼ブツが全部録音できない状況になったからだ。それほどに「ゴスはイヤだな」という鬱状態に陥った。
12月に少し収まった、それでも「ゴスショウ」にしろ「シャンパンブランチ」にしろ最小の音でダビングする程に、彼らの音に食傷気味だった。
「新曲、買ったけれど聴いてない」と言い、周囲が唖然としていたが先月付で仕事のmemberが変わったばかり、私より年長者が多くて馴染みづらく気を遣う上に、初めての仕事に加え残業が多い時期だったので苛々していたのもある。
しかし安らぐ筈の好きな音、その一つの「ゴスペラーズの音」に苛々したのも事実だ。
素直に音楽を聴いて「ゴスペラーズ、良いよねぇ」と言えなかった。気持ち良さよりも不信感が先に立った。
学園祭は「トラウマがあるし(大苦笑)」と言っていたが(理由の詳細はここで書くのを控える)、知人から「さちさん学園祭、行くんですよね(かなり断定気味)」と言われて瞬時に「切れた」気がする。
今年は特に観る回数は多くなったが、基本的にゴスペラーズだけ追う人じゃないんだから。そこまであっさり断定しないで欲しいのもある。
同時に「G5、行かないんですか」の質問も同じくらいカチンと来ていた。
観るのを休んで何が悪いのか、と居直りそうになった程だ。それくらい尖る寸前だった。
他人の称賛が空虚に映って、本当にウソの様に思えた。
どんどん不信感から眉唾になっていく自分が居た。当事者の方には本当に申し訳ない。
まぁ〜結局、今年の課題発表会@Zepp公演を観ていたんですけども(毒)
その反動で「そんなに観れるliveをするか?ゴスペラーズ」と心中で呟いた時、その呟きで。どうして今回の「五鍵」最終公演の後味が悪いのか、判った気がする。liveを観てて、遠くからでも面白いと、そんなに思えなかったから。
lastだなぁ、と思ってしまったら余計にstageを冷静に観ていた。
「このまま続けて行くんだ」という彼らの回答に、私が拒絶感を露わにしたからだって。
「このまま続いて行くのね…、でもそれじゃ成長は無いよ」という毒を吐きそうになるくらい、当日の私はそれほど感動しなかった。
周囲を見てると「良かったんだろうな」という感じを得る程度で。
そこまでfanで思うほうがまず、ゴスの場合は尋常じゃないのかもしれない。
けれど、あの音で興奮する人並を後ろで「面白いわぁ、素敵に壊れてて…(心中泣きつつ)」と見ていたら、今の現状が「凄い」と正直に思えた。
それだけだった。存在の大きさの分、声も存在も増したのは紛れも無い事実だ。でも、懐かしさしか残るものが無かった。記憶の回想作業。
その日が「2000」versionを歌うなら、もっと新しいことをしでかすかとも思ったのだけれど。
1996年の春、クアトロが即日完売で観れなかった。
そして運良く観れた最初が今は無きパワステで「パワーアンテナ」liveだった。
パワステの本編最後のMCを覚えています、音楽の神様の話。
舞台の神様と同じように居るという音楽の神様、その神様が降りて来るという話。
今日選んだ曲は、それもあって選んでみたのだけれど。
「エンタメ」のことは記事になっているのを読んだ記憶がある。
そして「カレンダー」以降は全てがrealtimeだ。
エルビス黒沢も運良く観た。当時は就職活動中で、やたら「Two-way Street」が身に沁みた。
そして最初の渋公は行かなかったくらいで、だいたいのliveを押えて今に至っている。
今年の「ヤングライオン復活祭」は行かなかったけど<後で解るが仕事と体調不良で観れたものではないliveになるところだった。
アカペラは今のところ意地の皆勤賞だ。
小さなハコ、そこから飛び出してホール1日。それがいつしかホールコンサートが普通になり、遂には首都圏複数日開催にまで広がりを見せた。その事実に驚愕する。
だから。だからこそ最後の、黒沢さんのMCには胸がキュンとなって、ククっと株が突然暴騰したんだけれどね(自爆)
あの言葉で、少しだけ救われた気持ちになったのは何故だろう。
それでもいちゃもんゴスペラーズ)
それでも黒沢さん、「チューリップ」のpiano披露はどうなの(起爆)
あれは課題達成とは思えないぞ。あと酒井さん、そんなにsoftだけお金をかけてもdeginesenseが無いとhomepageは出来ません(起爆)
もっと安く(実際にお金をそんなにかけずに〜♪)pageがこうして出来てる事実がありますよ?
因みに即座に「甘えるなー。手タグしろー(タグ本くらい斜めに読めば大学生したヤツは組めるsourceだぞぉー<HTML)」と叫ぶ叫ぶ。だって、たかだか三流私立大卒文系の分際で平然とsoft半併用で手タグをしてるし。因みにこの日記は手タグです、悪しからず。
(年末の挨拶が入るが、ここは中略)
ここを一体何人の方が読まれているのか、私には解りません。特に「誰が」読んでいるのか解りません(当然だ!!)。
けれど、市井の一個人の意見とは、こういう見方があって実のところ面白いものなのだな、と思ってくだされば幸いです。
とかく強いことを言いますが、私が必ず正しいとも限らないわけで。「そうは思えない」というのは有って当然だと思います。だって、違う人間なら当然考えることが違う。だからといって違うことを一緒にしようと押しつけることも必要はないわけで。その匙加減は兎に角、難しい。
同じ景色を見ることは出来ても、恐らく人が違えば山を見るか空を見るか。となる。
そういう「同じ場所で違うものを見る」のと同じことでしょう?ライブの感想というものは。
だから賛否両論が出て当然なんですよね、もしかしたらそこに違和感を覚えたのかもしれない。
今回、長々と私が思って書いた「bandへの違和感」というものは、違和感の無い人には解らないものだと判って、解って書いたものです。だから「今のbandで良いじゃない、ゴスも気持ち良さそうにやってるよ」と思う人が居てもそりゃ当然なわけですわ。