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FRENZY(2002)

それは一部であって全部でない。

2001年に起こった「永遠に」「ひとり」『Love Notes』のヒットはゴスペラーズを新しい段階へと導いた。その状況を、日刊スポーツの日曜日インタビューで「それまでがJ2ならJ1にあがった」と村上氏がサッカーに喩えて語っていたのが印象深く、味わい深いところ。
同時に「永遠に」「ひとり」『Love Notes』のヒットと引き換えに植え付けられた有形無形のイメージとの格闘が始まったと言える。
「あれもゴスペラーズだけど、ゴスペラーズってそれだけじゃないじゃんよ」「あれはゴスペラーズの一部、全部じゃない」という奴らの言い分、そんな思惑が透けて見えるアルバムが通算7枚目のアルバム『FRENZY』にある。

プレイボタンを押して1曲目からアップテンポ、アグレッシブに攻める(FRENZY)、攻める(Get Me On)、攻める(ポーカーフェイス)、で、アルバム冒頭3曲が進む。アゲ・アゲ・アゲでイケイケで巻きに巻く。
疾走し大雑把に流れを作って、M-4「残照」に来て、やっとスロウな曲に落ち着く。その勢いのままM-5「誓い」まで聴けてしまう。この並びで来る「誓い」はシングルカット時よりも良く聴こえる。
スロウなの、メロウなの、愛する人に愛してると歌うのが「永遠に」あたりから派生するゴスペラーズのイメージ。なら「そう思う人が多かろう」と睨んで、若干は当てつけ半分で冒頭10分ほどの構成を組んだとしか思えん(苦笑)リリース当時、私は、そんなことを思った。
当時のアルバムプロモーションのインタビュー記事を見て行くと、冒頭からの流れに関してインタビュアーから訊かれるケースが多い。タイトル曲になったM-1(FRENZY)については、特に。実際、そう質問されるし、そうなるだろうと"わかって"、この並びにしたと思う。
------、まー、策士だな(微笑)

『FRENZY』冒頭3曲で、ヒット群がもたらすイメージ=バラードなゴスペラーズのイメージを覆そうとする様は、彼らなりにゴスペラーズを誤解されたくなかったからだと言える。
バラード路線がゴスペラーズじゃねえ、ライブ観たらわかっけどアゲアゲで煽るのだってゴスペラーズなんだ-----
過去も過去、若かりし日の奴らは「バラードで売れるのは(方法論として)わかる。アップテンポの曲で売れたい」と青臭いコメントを残していたように記憶している。が、現実は、その言葉に反してバラード(永遠に)が燻っていた彼らをヒット街道にのせたわけだが(爆)
閑話休題。
「永遠に」「ひとり」『Love Notes』がゴスペラーズの全部じゃない。それは一部で、ゴスペラーズの全部じゃない。誤解しないでくれ。ヒットした楽曲らが持つイメージが働いたから、『FRENZY』序盤を産んだと思う。

それほどまで2001年から2002年にかけての世間は「ゴスペラーズって「永遠に」でしょ」「ゴスペラーズって♪愛してる〜、のあの人たちでしょ」「ゴスペラーズってアカペラやってんでしょ」の声が色濃く、根強く残っている時期だったし、新たに彼らを知った客層は彼らにそれを求めていただろう(アカペラに関してはハモネプの影響も大きかった頃で、容易に想像できる)。
ライブで「永遠に」は歌わないと客席は収まりつかなかっただろうし、「ひとり」をやらない限り恰好つかなかったと言える。
そんなヒットのインパクトが色強く残る2002年の「GT」ツアー、4月初旬、場所は宇都宮、ホールの3階席で軽く頭を抱える会話(北山さんが一番若いと主張する妙齢のオバ様がた2名様!)やら、「ひとり」で会場がシンとする中で大きく手拍子する客やら…。まー、あそこまで首尾一貫、手拍子ばっかするかね!は右斜め前方に置いても(ライブの猛者ほど手拍子しないのを私は知っていた)ああいうの目の当たりにすりゃあ、少々此方の勘が鈍くとも客層が大幅に変わったのを感じるわ。FIVE KEYSの頃に離れた云々どこじゃない(苦笑)
で、「アレは一部であって全部じゃないのよねえ、それ伝わってんのかな」の懸念を上回る「どうだよ… orz」的不安にブチ当たってもうて、ワタクシ、此処で軽くブチのめされる(爆)で「悪いが宇都宮のライブレポートなんて書きたくねえーーーッ!凱旋門の武道館あれだけ書いたからいいだろ、もう!!」と(起爆)
此れら客の言動は話の本筋とは関係ないので終りにして、この頃のライブを観て思った「永遠に」がもたらした呪縛に関して話を続けることにする。ええい。

------、あの時は周囲プラス、自分がネガ思考に片足は膝まで浸かってたから余計に性質(たち)悪く、「永遠に」を歌う彼らを遠くから観ていて「皆にこの曲を歌えるヨロコビ」よりも「ヒット曲を歌わねばならない足枷」を一人、勝手に嗅ぎ取ってしまって軽い鬱を覚えたんだわ…
てのを、今も尚、覚えている。ヒットの持つ暗部を序盤(3曲目)で見て、肌で感じた。なんというか、息苦しそうなんだ。歌うのが。
2000年のツアーで観た(見せた)「この曲を伝えなくちゃ!あなたに伝えなくちゃ!(じゃないと俺ら、歌で生き残れないよ!)」なる必死さ・懸命さは2001年を挟んで見事に変容してしまっている。嗚呼「永遠に」は彼らの足枷になるのかな…、そう思うと悲しくなった。で、鬱と。

アルバムに話を戻す。
序盤3曲までがアップテンポ、で攻める攻める攻める。そこから「残照」「誓い」という畳み掛けに「5曲目までは飛ばせない状態を作ったのは彼らの選曲勝利だなぁ」と素直に思う。それは一通りアルバムを通して聴いた2002年2月から現在に至るまで変わらない点だ。
自身のラジオ番組のテーマ曲をシッカと形にしてお披露目した「真夜中のコーラス」なんていう心憎いプレゼントもあって、当該ラジオのリスナーになる程のファンに対するサービスも抜かりない。
そして、これほど序盤のアゲ曲3連続に目がいく(だから、私もここまで書き連ねている)アルバムなのにもかかわらず、K-MIX(FM静岡)のメルマガで、このアルバムの紹介文に「バラード中心の充実した内容」とあった(本当)。
吃驚したわ。
てーーー、か、さあ、レコード会社がプロモ資料出してんなら、どういう文章こさえてラジオ局含めたマス相手に渡してんだよ!どうなってんだよと問いたい。小一時間問いたい。
彼ら、アルバムのプロモーショントークで「次のアルバムはアップめ」と各所で触れ回っているんですよ。なら、それが指針となるわな普通。アルバムプロモーションを然程追わない私でさえ「今回はアップめね」と知ってただけに、その最中に、この内容が飛び出したんで驚き呆れたんだよなぁ…
ああいう曲で日の目を浴びたんだから今回着目すべき売りどころはアゲ曲だろ、そのフックになってんのがアルバム冒頭3曲だろ?そう思ったのが間違いか?

そりゃー受け止め方は人それぞれ、様々だ、とはいえ「作り手の意図が伝わってないんじゃないか?」と不安がるには十二分の、随分的外れな、ツッコミどころ満載な大ネタが投下されたと言えよう(爆)けど、ねえ…
「永遠に」「ひとり」のゴスペラーズしか知らないとしても、アルバムの冒頭がああだと自然と「「永遠に」と対称的なモノを前に出してアピールしてるんですね」って思うじゃないか。それが。
まー、過去にSkoop On Somebodyのライブのネタバレ(曲目バラシ)を当該ツアーファイナル前に堂々やってのける放送局がK-MIXだったわけで足元どの程度か見当ついてんですが、それでも敢えて言いたい。あー、言いたいともさ。

FRENZY
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