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Soul Serenade(2000)

金字塔。これで終わりだと思って作った。


それは『Soul Serenade』リリースから20年の日の出来事。

そうかそうか、今もそう思っているのか。答え合わせが出来た、という気持ちで珍しくtweetすることにした。
正確には2001年。凡ミスもいいところである。反省。
して、このように綺麗な折り返しが。
2000年から20年、2020年。このやりとり。SNS時代そのものやねえ…
黒沢さんに教えた、本当は2001年の発言。それが↑のBOTのtweetである(自分管理のBOTなのに捜したYO!)

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Winter Cheers!〜winter special / Higher(1995)

それはまだ、CDシングルが8cmだった頃の話。

8cmシングルでリリースされた当時のものだろう。シングルの宣伝文句は、こう書かれている。

ゴスペラーズの3rdシングル!冬、クリスマスやスキーに欠かせないのがパーティーソング。「Winter Cheers!〜winter special」はモータウンを意識した音作りで、パーティーしたくなるウキウキした気持ちにさせます!(URL
定型的だが、この書き方でよろしいだろう。そうかそうか------、そう思わせてくれる短文だ。
1995年当時の音楽シーン分析(この文章は"マクロ"な分析だと個人的に思う)については【A面】犬にかぶらせろ!: 1995年に見るJポップの転機を一読していただいて、ここでは"ゴスペラーズ"という"ミクロ"な話題に入っていくことにする。
1994年12月デビューのゴスペラーズにとって、1995年は、ほぼ新人アーチストといって良かった頃だ。
まだホールコンサートも出来ていない(コンサートツアーでホールクラスの会場が初めて組み込まれたのは1998年夏の「坂道発進」ツアー、渋谷公会堂だ)。
翌1996年になると10月から「笑っていいとも!」(CX系)でコーナー枠で彼らが登場するようになり、お茶の間に顔を売ることになるのだが、それが起こる1年前。

ペーペーであり、まだまだ雌伏の時だろうゴスペラーズを評価していたのは、どのあたりだろう?
ゴスペラーズがメジャーデビュー曲「Promise」(1994/12)、のちに大ヒットした「ひとり」(2001/3)で月間グランプリ(1位)を獲得したNACK5『JAPANESE DREAM』(以下『JD』と略す)を聴いていた層は確かに彼らを評価していただろう。『JD』は月に多い時で100曲余りの"ニューシングル"の1コーラスを聴いて曲のジャッジを下す、その際「投票プロモーションをアーチストスタッフ側がかけることは御法度」という(ここ重要)或る意味、荒行入った番組だった。つまり、この番組で勝負するならノン・プロモーションが基本。
参考までに『Japanese Dream Vol.6 MUSIC CHRONICLE』からゴスペラーズのランクインデータを引っ張り出してみることにする(本だとp.14、※10の脚注)。
1994/12:「Promise」1位
1995/07:「U'll Be Mine」17位
1995/10:「Winter Cheers!〜winter special」8位
1996/06:「カレンダー」4位
1996/10:「待ちきれない」17位
1997/06:「ウルフ」6位
1997/11:「Vol.」16位
1998/04:「夕焼けシャッフル」13位
1998/06:「BOO〜おなかが空くほど笑ってみたい〜」9位
1998/11:「あたらしい世界」17位
1999/06:「熱帯夜」ベスト30
1999/11:「パスワード」8位
2000/08:「永遠に」3位
2001/03:「ひとり」1位
2001/07:「約束の季節」6位
これはゴスペラーズと同時期に他アーチスト-----ベテランからニューカマーまで-----も等しく、同じようにニューシングルを聴いての順位付けだ。だから『JD』で「ひとり」が2度目のグランプリを獲った際、彼らは過去にリリースした楽曲もランクインしていた頃を振り返って、このような発言を残している(2001/3/11放送)。
村上:「「カレンダー」の4位とかねーー、売れるかな?とかって思ってましたけどね」
安岡:「そんで、その後の「ウルフ」6位とかもさー。この時に僕らの中ではブレイクしてたんですけどー」
ゴスペラーズがデビューした頃には『JD』は「曲が売れる時の"トバ口"」としての機能を果たしつつあった。
実際のことを言えば、『JD』にランクインした楽曲が売れる(売れた)ケースはある。それも数多く。
まず開始当初、1992年4月度1位が「君がいるだけで」(米米クラブ)だったし、同年9月度1位は「決戦は金曜日」(Dreams Come True)だった。どちらも同年の年間チャートに出てくる楽曲だろう。
同年11月度に「抱きしめたい」(Mr.Children)が2位に食い込んでいるが、このシングル、アルバム『Kind of Love』と同時発売だった結果、オリコン順位最高が56位だったりする(Wiki)。「抱きしめたい」だから、まだ「Replay」(※CMタイアップ)も「CROSS ROAD」(※ドラマタイアップ)も出てない頃のミスチルだかんね!と言っておこう。
「君がいるだけで」や「CROSS ROAD」がそうであったように、1990年代はタイアップを付けてCDを売った時代だといえる。更に言えば、その成功例が増えてきたのが1990年代前半、依存を深めていくのが1990年代中盤という感じがする。
何かのドラマのタイアップ曲。
何かのCMの…
ラジオ局のパワープレイで…
-----、そんなタイアップ全盛なご時勢だったから『JD』の「すべての楽曲に平等にチャンスを与える」という番組理念に惹かれ、番組を耳にした自分のような人がいたのだと思う。が、これは閑話休題。

本題に戻る。
ゴスペラーズとタイアップ、と聴いて思い出されるのが『Japanese Dream Vol.6 MUSIC CHRONICLE』にある「ひとり」について書かれた記事だ。
時は1998年、まだ「ひとり」が「夢みるアカペラ人形」だった頃。プロデューサーの中山千恵子氏がア・カペラのシングルとして推そうと考えて、村上の作品を手に動いたくだりである。
「タイアップが必要だろうということで、村上君の一人多重録音したデモを持って広告代理店やテレビ局に売り込んでみたんですけど、その時はひっかからなかったんですね」(中山氏)
この記事を目にした時に「ああ、そういうことか!」と目から鱗がバラバラと落ちた。
-----、だから「Winter Cheers!」ね。
何故、直訳通りな「冬の乾杯ソング」が出来たのか。この曲が何故シングルなのか。
確かに青春群像モードと恋愛モードの掛け合わせが見られる楽曲で「Promise」や「U'll Be Mine」とも違う形を提示できる曲だけど、サビの「僕らの冬がはじける」とか、い・か・に・も!冬のビールを飲みましょう、っぽい、というか身も蓋もなく言えば劣化版「冬がはじまるよ」(槇原敬之)な歌詞(lyric)だと(数年経ってから)アタシが意地悪く思うわけだ!(キーーー)

そう。「冬がはじまるよ」は1990年代にあった「冬物語」という"冬季限定ビール"のCMタイアップ曲だった。
「冬がはじまるよ」以降、この冬季限定ビールのCMタイアップに採用された楽曲は"売れた"。ヒットした曲が多いのだ。
槇原敬之「冬がはじまるよ」(1991)。
高野寛&田島貴男「Winter's Tale〜冬物語〜」(1992)。
伊豆田洋之「冬の南風」(1993)。
DUAL DREAM「Winter Kiss」(1994)。そしてカズン「冬のファンタジー」(1995)。



カズン「冬のファンタジー」はゴスペラーズ「Winter Cheers!〜winter special」とほぼ同時期-----『JD』でも同時期(1995/11)にエントリーされ、カズンが2位、ゴスペラーズが8位に入っている-----の冬の楽曲。
そして、「冬のファンタジー」を歌っていたカズンは当時、ゴスペラーズと同じレコード会社所属だった。
カズン「冬のファンタジー」の宣伝文句を見ると「ビックチャンス掴んだんだかんね、売るんだかんね」感が凄まじくて此方が驚いてしまう。
いとこ同士の男女デュオ“カズン”3枚目のシングルです。これからの冬の定番ともなりえるスケールの大きさを感じさせる美しいバラードです。TVCMとカラオケとの連動で大ヒットを狙います。(URL)
何で「Winter Cheers!」ってタイトルで、シングルだけは後ろに「〜winter special」ついて、何故に両A面なの?はプロデューサー氏のことだ、タイアップだ、恐らく冬ビールのCM狙ってたんだろうなー…
そんな推論がカッチリ頭の中で組みあがったのは『Japanese Dream Vol.6 MUSIC CHRONICLE』を読んだ2001年のことだった。

ところが話はこれで終わらない。
2012年になって、私はこういう文面を目にした。
カズンと言えば「冬のファンタジー」で皆さんご存知だと思いますが、ビールのCMで使われて、そのCMのコンペにも僕のいたTWO of USも出していたんです。つまりカズンに負けたのね(笑)。(URL
以上、抜粋。全文はURL先を参照のこと。
カズンと同時期にソニーに在籍したTwo of US(男性デュオ)の川久保さんのブログの一文に私は「!!」となったのだ(なお、Two of USに関しては2003年「アカペラ港」についてアレコレ語った「replay」なる三者対談も序盤に言及しているので参考されたし。実は「Promise」が『JD』で最終週逆転での1位獲得だったことも触れている)。

と、ここまでドップリ「Winter Cheers!」について書いておいて、もうひとつのシングル曲「Higher」は?と思うかもしれません。が、「Higher」については2005/12/6に書いた「1/5」というエントリー、これが今(2013年)「Higher」について思っていることなんです。だから、これ以上、書かなくてもいい。
サビが「壊していこう」だったら「そうかなあ」と疑心を抱いたと思う。「壊していこうか」だったから、ストンと気持ちに響いた。
そういうことです。
今も変わってないんですね、それは。だから長々と「Winter Cheers!」について書いてみた次第。

Winter Cheers!
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MO' BEAT(1997)

少年は大人になる。

インディーズ時代のミニアルバム『Down To Street』、メジャー(Ki/oon)から出されたアルバム『The Gospellers』と『二枚目』。どちらのアルバムにも現役大学生複数名の日常の延長線上にアルバムがあるように見える。彼らのリアルな生理がそこにあり、平均年齢20代前半の5人の青春群像がそこにある。
恋愛を歌うにしても、恋愛を歌わないにしても、それが等身大だろうと、大人びた背伸びだろうと、彼らの日常が匂いたち、垣間見える。とキレイな言い回しをしてみたが、彼らの日常と歌詞の世界がフィクション/ノンフィクションの境界なく、地続きに繋がってしまう。時としてモラトリアム真っ只中、現役大学生の青春群像が音楽の中に紛れ込んで、心を揺さぶり、響く。これが初期ゴスペラーズの特徴だと言える。
だから大学生の「いかにも!」な合コンの1コマを切り取った(だろう)「Winter Cheers!」も出てくるわけで-----「Winter Cheers!」を聴いて「ええええー!まんますぎる」とズッコケた記憶があるが-----、恋愛を歌った「U'll Be Mine」「カレンダー」にしても、恋愛がおおよそ絡んだ感じのない悩める青春路線ブッチギリな「Higher」にしても、どちらにせよ、根は同じ"現役大学生の日常の延長線上"。

ゴスペラーズの詞は大雑把に、恋愛恋愛する以前/恋愛恋愛する以後と分けられると思う。そのうち、恋愛恋愛する"以前"の時期はインディーズからデビュー数年。「あなたに歌う」というコンセプトで固めた『Soul Serenade』の頃には既に恋愛恋愛するゴスペラーズがいて、それは今なお続いている。
じゃあ何故、以前以後となるのか。『The Gospellers』制作時を振り返っての発言に「これも作った曲、全部入れたんだよな(半泣半笑)」と黒沢氏発言(2002)があるが、この発言が制作当時を端的に、かつ十全に表していると思う(だからBOTに発言を放り込んでいる、というのは、ここだけの余談)。
「作った曲全部」入れたら、『The Gospellers』というアルバム一枚の中に「Promise」と「Higher」が収まるのは必然である。
アルバムのコンセプトは、こう。だから、こういう詞が欲しい、詞の外注を出そう。これは自分たちで手掛けてみよう。こういうことを歌いたい------、というのはあっても出来るかといえば、そのスキルが備わってなければ出来ないことだし、時間不足で出来ないこともある。曲のストックもなければ、曲のふるい分け(ボツ曲と、暫時ストック曲と…といった作業)も出来てたかどうか…
レコーディングというのは音を録音するだけじゃなく、その時々の雰囲気や当時の力量をも記録されてしまう因果なもの、と私が思うのは、だからだ。

『MO' BEAT』のアルバム・プロモーションがかかる前に、アルバム『MO' BEAT』のタイトル曲「MO' BEAT」は彼ら出演のNACK5のラジオ番組でOAされていた。彼らが話をする後ろで流されていたのだ。その証拠に、都内の中古CD店で何度か「ウルフ」と一緒に「MO' BEAT」が入っているサンプルCD(業界配布モノですね)を見たものである(「CDとの出会いは一期一会」な中古CD購入道に照らし合わせると"何度"というのは遭遇率高いほうですよ)。
彼らがここでプラスしたのは"MO' BEAT"-----つまりは"MORE BEAT"、もっとビートを。時代に対応したビート感。
こういうアゲ曲、オレの好物なんだよねー弱いんだよねー(この後、「真夜中のコーラス」で同じように悶絶したのだった)と『MO' BEAT』リリースまでの間、心躍らせたのをよく覚えている。今となれば「こんな頃がオレにもあったのよ…、ョョョ」なのだが(自爆)
「MO' BEAT」に出てくる、日曜の朝に踊りつかれる人物像は夜遊びが効く人間ということなんだろうけども、社会人というよりは、どうにもモラトリアム真っ只中な大学生(作詞した村上本人)っぽいんだよなー…
そうやって詰めて考えていくと、「MO' BEAT」の詞の傾向は「Higher」に見られる非恋愛系・青春群像モノになるのかしらん?なら恋愛系・青春群像モノ…となった時には「Winter Cheers!」になるのか(爆)となるわけでして。

とはいえ、この手のモラトリアム大学生的青春群像は「MO' BEAT」を境になくなったように思う。非恋愛系・恋愛系あれど、そこに"青春群像"がくっついてくる感じは「MO' BEAT」で最後!という。
少年は大人になる。その大人になる最後の時に出たのが「MO' BEAT」という…
この後、ゴスペラーズは学生気分が抜けた作品が並んでいく。「終わらない世界」とか「Vol.」とかは青春群像とはチト違う仕上がりだし、「夕焼けシャッフル」の頃に一部現役(留年)大学生組が卒業を迎えるが、その「夕焼けシャッフル」は青春群像から、より普遍的なところ(皆が「あるある」と言いそうになるところ)に落とし前をつけようする努力が見える。
それに『Vol.4』自体がスキルを備えたプロミュージシャンらしい作品集という仕上がりになる。
徐々にビルドアップされつつあるプロミュージシャンらしい音楽面と(格上路線のない)等身大の彼らの生理、それでも歌詞に残る青春群像。
「酒井さんが恋愛モノをおおおおおお」と早朝からFMで曲を聴いたら最後、絶叫→知人筋にFAX流して大騒ぎという顛末を繰り広げた「t.4.2.」の話とかしたいのだけど、結局アルバムタイトル曲「MO' BEAT」の話しかしなかったなー…
その点は反省。

MO’BEAT
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Be as One(2006)

Let's dance We are livin' for the beat????

♪だ〜らけったッ というフレーズが思わず口をつく。何故でしょね。
無性にSing Like Talking(SLT)「Livin' fot the beat」を唱いたくなったのは、ヤツらが出してこなかっただろうファンク寄りの引き出し。こやつに今回、手をかけたかな。
ニタリ、そう思ったから。
さもなくば。同じくSLTでも「風に抱かれて」のホーン隊のブリブリな音圧、あれを思い出したから。
んなことを思ったのは『Be as One』もM-11「SAYONARA」を聴いて、なんだけども。
あー、でも一歩間違えたら「Together」なんだろうけど「SAYONARA」正直あそこまで音圧アゲアゲ、ホーン隊ブリブリじゃあないしなぁー…(ライブ映像が動画サイトにあがっているけども、こういう http://www.youtube.com/watch?v=8hgZxUdWm1s のですぜ。この時のバックボーカルが露崎春女嬢であーる)

たたみかける疾走感でM-4「残照」に到達するまでの3曲を息巻いた『FRENZY』とは違う。
かといって、クルリと頭とエンドとが繋がるような印象を受けた-----それはまるで「うたたね」で始まって「Such a Lovely Place」で終わった『Such a Lovely Place』[槇原敬之]のようで、とひとり勝手に喩えた-----、あんなふうだ、と。静かに「Right on,Babe」で始まって「街角-on the corner-」で終える、そしてクルリと「Right on,Babe」に戻ってゆける『Dressed to the Nines』とも、また違う。
なんというか、真っ向。真っ向勝負で真っ当。そう思えた、感じたことに驚く(苦笑)

「Platinum Kiss」といったsg.曲も多く収録されたアルバムだが、収録されたsg.曲とそれ以外との落差が感じられないことが嬉しい。むしろ、それ以外の曲での気の張りようが有難い。
そして、曲順もかなり練って、こだわりにこだわって、この順番にした?と勘ぐりたくなるのだが、どうなのだろう?事前情報(雑誌、ラジオにテレビと)を全然入れていないので浦島全開で?をつけて書いてしまう体たらくなのだが。
曲の終わりがハッキリした、フェードアウトしない曲が多いからだろう。それを巧みに使っているな、という印象を受ける。バッサリ曲を切られることで、前の曲の印象を時には切り捨てられて、次の曲にゆけるのだ。
そうした上で大きく前半、後半(※これは"reprise"で置かれた曲が楔となって前と後とを分けたように思う)、その中にも前半、後半とパートをわけて聴き手をダラけさせない作りにした。
これは『FRENZY』とも違う、選曲の勝利。

個人的にはM-9「Let it go」からM-11「SAYONARA」の基軸に、前述にあるようにSLT1990年代さしかかり時期(3rd〜4th)のファンク寄りな流れを思い起こさせるには十分。
ここでSLTのファンク路線てのを軽く触れておくと、Rod Antoon氏と組んだことで前に押し出された路線であるといえる(もともとファンクっぽいのもブラコンなのもなくはないよー、というのが初期SLTの特性だった)。
して、RodとSLTの連携は(3rd)『III』から(6th)『ENCOUNTER』の4枚のアルバムに集約される。
その後、SLTは13CATSのCat Grayと手を組み、(7th)『togetherness』を叩き出して…という流れになるのだが、その流れから出てくるsg.が「together」であり「風に抱かれて」。

SLT『III』から『ENCOUNTER』に繋がる以前にRodと手を組んだ日本人artistとのお仕事といえば、そらぁーあーた、久保田利伸『Such A Funky Thang!』(1988)だったり、中山美穂「人魚姫」(1988)になるわけですよ。
『Be as One』が出る前、2004年に『SOUL TREE〜a musical tribute to toshinobu kubota〜』でゴスペラーズはナニワエキスプレスと「Dance If You Want It」で共演している。その「Dance If You Want It」が1曲目に収められたのが『Such A Funky Thang!』であり、このアルバムからだろう、音楽を語る際に"funk""funky"という言葉が出てくるようになる。
ただSLTの場合、久保田ほどのファンク路線にはならなかった。久保田ほどファンクファンクしなかった、というべきか。「Livin' for the beat」は兎も角、その後「La La La」「Hold On」「With You」「Rise」…とザックリsg.曲を並べてみたが(それもSLTの代表曲だろう楽曲!)アフリカンテイストだったり(「La La La」)'80年代ディスコ調だったり(「Rise」)でファンクっぽさは薄い。
ゴスペラーズがやるファンクは他の音楽もあれこれ手をかけた上「ファンクもあるよ」という打ち出し方だと思う。それを考えると、久保田「Dance If You Want It」から引っ張るよりも、SLTファンク路線楽曲っぷりのほうが、自分としては、しっくり来るのだ。

なるほど、ゴスペラーズにファンクの脈があったか。
ファンクという鉱脈を「Dance If You Want It」で見つけて、そこから「Let it go」なり「SAYONARA」なりに昇華できたのなら、これは良いフィードバックだ。そう思ったらニヤリ、しますって。

そうやってニヤリとする自分がいるのだが、「SAYONARA」で「風に抱かれて」「Together」と(7th)『togetherness』収録楽曲が出てくるあたりは、曲へのホーン隊の有無から出るところに起因するかと思われる。
その一方でM-1「Street Corner Symphony」からM-2「一筋の軌跡」の夏!的流れで思い出すは山下達郎『FOR YOU』なのだ。どうしてなんだ(自爆)
決して頭から、あの有名なギターのカッティングが入る「Sparkle」じゃないってのにー!(ムキー)

あと「熱帯夜」の代わりに「狂詩曲」がライブでガツンガツンくるようになったら、ライブの最中、嬉しさに笑いながら踊り狂うこと間違いない。だーーってさあ、これは踊れ!と言われてるような曲じゃないのよ。この手の楽曲の打ち出し方こそゴスペラーズの独自性、と私は見る。
そして、M-9「Let it go」のスムースなサビ展開に掛け合い、エラく好物。それでも評の殆どが「SAYONARA」なんだけどもな!(ヤケ)
それでも重箱の隅をつつくならば。
『Love Notes』ばりにボトム隊に人力を使わないのな!(毒)
人の叩くドラムとか使いませんかね?ゴスペラーズさんよ。

☆☆☆☆☆

尚、今回は、以下の自分の文章をリライトの材料にし、実に大胆に(笑)加筆しました。ご静読感謝。
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永遠に(2000)

珍しく、シングル曲のハナシ。

これまで過去幾度か「永遠に」に関して文章をオトしてきた。そのブラッシュアップ版になれば良いかなと思いつつ。こう前置きして書き始めるとする。

「永遠に」について語るとなると、どうしても、自分自身の心の過程を語らねばならなくなる。だからか、基本、私にとって「永遠に」の存在は、"重たい"。
その心の過程を非常に大雑把にまとめると「最初は良いと思わなかった。が、途中、ある日を境に評価を改めることとなって、現在に至る」だが、この過程が1年余りに渡り、少々ややこしい感情の吐露となる。文章が長く、言い訳じみてくる。感情が碇のように重しとなり、どう書いても文章が重くなる。
書いてて厭になる、そんな言葉が出てしまう。

☆☆☆☆☆

「永遠に」が出るまで。当時の私が、彼らがシングルを切るたびに思ったことは「ゴスペラーズ、本当に、このシングルで売れたいんですか?」だった。
『R&R NewsMakers』初登場時のインタビュー席上で、安岡さんが「僕等は売れたい」という趣旨の発言をしている。1996年リリースのアルバム『二枚目』の時点でハッキリ示された指標は、ゴスペラーズにとって、別に変わったものではない。『二枚目』リリース以前から幾度と繰り返されて来た言葉だ。加えて別の席上ではメンバーの「バラードで売れるのはわかる。だから(曲調は)アップで売れたい」という趣旨の発言がされており、これも己の記憶にロックされている。
兎にも角にも「僕等は売れたい」というのは、それだけ彼らの切なる望みだったのだ。それを一度ならず何度も、これでもか!と否応なくラジオや雑誌で知らされていて、此方は彼らの「売れたい」望みとやらが思考に刻まれている。だから、私は「売れたいのかなあ、このシングルで」とゴスペラーズがニューシングルを出す都度毎に思うようになる(苦笑)
実のところ、この「僕等は売れたい」こそが、ゴスペラーズが翻弄され振り回される、なかなか手強い指標だったのだと(今なら)思う。
後に"苦節7年"で括られやすい「Promise」から「永遠に」までの過程を見ると、「夕焼けシャッフル」「あたらしい世界」「熱帯夜」という流れに、今なお、翻弄の"果て"が嗅ぎ取れる。
「熱帯夜」を出したら「さよならゴスペラーズ」の手紙が殺到した、と後に(『What's IN!?』でかな)彼らは笑い話にしているが、「売れたい」「売れたい」の結果「「夕焼けシャッフル」の次の次が「熱帯夜」かあ…」というものは確かに存在した。その逆(「よくやったぞ!ゴスペラーズ」)もあったが、ファンの反応が二分されるほどのものが「熱帯夜」には、あった。

「本当に、この曲で売れたいんですか?」と新曲リリースの度に思う人(私だ)にとって、「永遠に」は、リリース時の段階で、ゴスペラーズらしさに欠けるバラードに映った。よく出来た曲、他の人がやったら私は好きになる曲だ。そう思う。そして、ここから先の評価が出来ず、思考回路が止まるのだ。
「この曲で売れたいのかね?」
そう思って。
ゴスペラーズの"個性"を幾分、感じづらい。だからか、ゴスペラーズの色に曲が染まり切っていない。そう思えてしまう。誤解ないように言っておくとリードが黒沢さんだけだから、ゴスペラーズの個性を感じづらい云々ではない。形態がそれでも、ゴスペラーズの個性や色が出そうなところ、それが曲から漂ってこない、そう思っただけだ。
c/wに収録された「夏風」のほうが「バラードでも、ゴスペラーズらしいじゃないか!」と手放し称賛なのに対して、「永遠に」は「どうなの?「永遠に」で本当に売れたいのかヤツらは」と思う。思うと、袋小路にハマった気分になる。結果、心がドンドン暗澹としていく。
「永遠に」初見が焼津だったのだが、その時の歌の評価は「CDのほうが歌えてる」だったのも己の暗澹たる心境に拍車をかけた。その結果が「アタシは、アルバムプロモーション見ないし、そういうのも聴かないぞ」-----
情報を完全拒否して、事前情報入れず先入観持たないでアルバム聴く他ないなぁ…、と思うほどゴスペラーズが楽しめず、この頃には厭になっていたのだ。

「永遠に」は「ゴスペラーズ坂ツアー・2000」ツアー中、僅かに僅かに、じわじわ私の中で評価を上げていく。その最大にして最終決定打が、2000年12月3日、名古屋センチュリーホール、3階席歳後列で聴いた「永遠に」だった。
どこか"彼ら"らしくない曲だ、だから好きになれないと思った。どうなんだ?そう何度も思っては嫌いになりかけていた曲への評価が一気にひっくり返る。
「悔しいけど、あんなに歌えるなら売れても良いよ。今日の「永遠に」なら。もう売れて良い」
私は、この日の「永遠に」に対して感想をえらく俗物的表現で洩らしたが、この感想は、後に、この名古屋行きにご同行した方の、この言葉に昇華される。

「あの日には、結局、「予感」をお持ち帰り出来たんだわ。これから、ものすごい事になるっていう、不思議な予感。」
「永遠に」が売れだした2001年には「永遠に」に対する暗澹たる気持は消えていた。
「このシングルで売れたいの?」という暗澹たる気持はなくなっていて「「永遠に」?あの曲なら大丈夫。売れて良いよ、そういう曲だから」と、えらく自然に、あまり不安もなく、私は「永遠に」が売れる様を見ていた。

じゃあ「永遠に」は好きなのか?というと、それもまた言い切り辛いのだ、厄介なことに。
ベストアルバム『G10』リリース前に「ゴスペラーズで好きな曲、10曲投票」というのがあったが、私は100%「永遠に」を入れない。他の人が入れるから入れないのではない。「もっと好きな曲がある」「もっと良い曲がある」と他の曲を選びに走るから、ない。
これが「ゴスペラーズを語る上で外せない10曲」だったら「永遠に」は絶対入るし、選から洩れることはない。
心の過程が前述よろしく、あって。ある程度の起伏があれだけあったのだし、思い入れもあるでしょう?と言われると「それもまた違う」と返すだろう。こんなの、思い入れじゃないよ。この曲で手を焼いて、非常に苦労させられたんだ!と言うに決まってる(笑)
だから、今も「永遠に」の存在が重たい。あの当時、私が抱いた暗澹たる気持が消えても、重たいまま、今もどっかり居座られている。

☆☆☆☆☆

尚、今回は、以下の自分の文章をリライトの材料にし、書きました。ご静読感謝。
diary[010317]
GO UP HILL : discography - 永遠に[2003/Jan]
GO UP HILL - 愛憎?[2006/Apr]

永遠に
永遠に
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ゴスペラーズ
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