何で「Winter Cheers!」ってタイトルで、シングルだけは後ろに「〜winter special」ついて、何故に両A面なの?はプロデューサー氏のことだ、タイアップだ、恐らく冬ビールのCM狙ってたんだろうなー… そんな推論がカッチリ頭の中で組みあがったのは『Japanese Dream Vol.6 MUSIC CHRONICLE』を読んだ2001年のことだった。
ところが話はこれで終わらない。 2012年になって、私はこういう文面を目にした。
カズンと言えば「冬のファンタジー」で皆さんご存知だと思いますが、ビールのCMで使われて、そのCMのコンペにも僕のいたTWO of USも出していたんです。つまりカズンに負けたのね(笑)。(URL)
以上、抜粋。全文はURL先を参照のこと。 カズンと同時期にソニーに在籍したTwo of US(男性デュオ)の川久保さんのブログの一文に私は「!!」となったのだ(なお、Two of USに関しては2003年「アカペラ港」についてアレコレ語った「replay」なる三者対談も序盤に言及しているので参考されたし。実は「Promise」が『JD』で最終週逆転での1位獲得だったことも触れている)。
インディーズ時代のミニアルバム『Down To Street』、メジャー(Ki/oon)から出されたアルバム『The Gospellers』と『二枚目』。どちらのアルバムにも現役大学生複数名の日常の延長線上にアルバムがあるように見える。彼らのリアルな生理がそこにあり、平均年齢20代前半の5人の青春群像がそこにある。 恋愛を歌うにしても、恋愛を歌わないにしても、それが等身大だろうと、大人びた背伸びだろうと、彼らの日常が匂いたち、垣間見える。とキレイな言い回しをしてみたが、彼らの日常と歌詞の世界がフィクション/ノンフィクションの境界なく、地続きに繋がってしまう。時としてモラトリアム真っ只中、現役大学生の青春群像が音楽の中に紛れ込んで、心を揺さぶり、響く。これが初期ゴスペラーズの特徴だと言える。 だから大学生の「いかにも!」な合コンの1コマを切り取った(だろう)「Winter Cheers!」も出てくるわけで-----「Winter Cheers!」を聴いて「ええええー!まんますぎる」とズッコケた記憶があるが-----、恋愛を歌った「U'll Be Mine」「カレンダー」にしても、恋愛がおおよそ絡んだ感じのない悩める青春路線ブッチギリな「Higher」にしても、どちらにせよ、根は同じ"現役大学生の日常の延長線上"。
♪だ〜らけったッ というフレーズが思わず口をつく。何故でしょね。 無性にSing Like Talking(SLT)「Livin' fot the beat」を唱いたくなったのは、ヤツらが出してこなかっただろうファンク寄りの引き出し。こやつに今回、手をかけたかな。 ニタリ、そう思ったから。 さもなくば。同じくSLTでも「風に抱かれて」のホーン隊のブリブリな音圧、あれを思い出したから。 んなことを思ったのは『Be as One』もM-11「SAYONARA」を聴いて、なんだけども。 あー、でも一歩間違えたら「Together」なんだろうけど「SAYONARA」正直あそこまで音圧アゲアゲ、ホーン隊ブリブリじゃあないしなぁー…(ライブ映像が動画サイトにあがっているけども、こういう http://www.youtube.com/watch?v=8hgZxUdWm1s のですぜ。この時のバックボーカルが露崎春女嬢であーる)
たたみかける疾走感でM-4「残照」に到達するまでの3曲を息巻いた『FRENZY』とは違う。 かといって、クルリと頭とエンドとが繋がるような印象を受けた-----それはまるで「うたたね」で始まって「Such a Lovely Place」で終わった『Such a Lovely Place』[槇原敬之]のようで、とひとり勝手に喩えた-----、あんなふうだ、と。静かに「Right on,Babe」で始まって「街角-on the corner-」で終える、そしてクルリと「Right on,Babe」に戻ってゆける『Dressed to the Nines』とも、また違う。 なんというか、真っ向。真っ向勝負で真っ当。そう思えた、感じたことに驚く(苦笑)
個人的にはM-9「Let it go」からM-11「SAYONARA」の基軸に、前述にあるようにSLT1990年代さしかかり時期(3rd〜4th)のファンク寄りな流れを思い起こさせるには十分。 ここでSLTのファンク路線てのを軽く触れておくと、Rod Antoon氏と組んだことで前に押し出された路線であるといえる(もともとファンクっぽいのもブラコンなのもなくはないよー、というのが初期SLTの特性だった)。 して、RodとSLTの連携は(3rd)『III』から(6th)『ENCOUNTER』の4枚のアルバムに集約される。 その後、SLTは13CATSのCat Grayと手を組み、(7th)『togetherness』を叩き出して…という流れになるのだが、その流れから出てくるsg.が「together」であり「風に抱かれて」。
SLT『III』から『ENCOUNTER』に繋がる以前にRodと手を組んだ日本人artistとのお仕事といえば、そらぁーあーた、久保田利伸『Such A Funky Thang!』(1988)だったり、中山美穂「人魚姫」(1988)になるわけですよ。 『Be as One』が出る前、2004年に『SOUL TREE〜a musical tribute to toshinobu kubota〜』でゴスペラーズはナニワエキスプレスと「Dance If You Want It」で共演している。その「Dance If You Want It」が1曲目に収められたのが『Such A Funky Thang!』であり、このアルバムからだろう、音楽を語る際に"funk""funky"という言葉が出てくるようになる。 ただSLTの場合、久保田ほどのファンク路線にはならなかった。久保田ほどファンクファンクしなかった、というべきか。「Livin' for the beat」は兎も角、その後「La La La」「Hold On」「With You」「Rise」…とザックリsg.曲を並べてみたが(それもSLTの代表曲だろう楽曲!)アフリカンテイストだったり(「La La La」)'80年代ディスコ調だったり(「Rise」)でファンクっぽさは薄い。 ゴスペラーズがやるファンクは他の音楽もあれこれ手をかけた上「ファンクもあるよ」という打ち出し方だと思う。それを考えると、久保田「Dance If You Want It」から引っ張るよりも、SLTファンク路線楽曲っぷりのほうが、自分としては、しっくり来るのだ。
なるほど、ゴスペラーズにファンクの脈があったか。 ファンクという鉱脈を「Dance If You Want It」で見つけて、そこから「Let it go」なり「SAYONARA」なりに昇華できたのなら、これは良いフィードバックだ。そう思ったらニヤリ、しますって。