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愛憎?

リニューアル案[2]に「永遠に」に関して書いた文章があって、これを書いたのは2003年1月だったように記憶しているんですが、どうもこやつの存在は喉に刺さった魚の小骨に似て(苦笑)心のうちを上手に伝えきれちゃない。そんな自分の筆力のなさを痛感します。
そんなことを何故?と思うかもしれません。先日
私「ゴスペラッツに選ばれた二人は身長で選んだんだと思った。並んだ時のバランスで」
某「いや、あの二人は暇なんだよ。既婚者じゃないからさー」
私「あー、なーるー」
なる会話の応酬が、日曜日の昼下がり、サクリとされたから、というわけでもありません。
ヒーヒーと「他人が読んで、わかるように」を考え努めて書いた当時を、そんなことを思って話を繰り返していた頃を思い出したから、というのが理由です。理由って、なんてことはないですね。

あの量の文章を読み終えた後なら
「「永遠に」の好き嫌いなんて、簡単に言い切りづらいわー!」
そう片付けてしまうんでしょう。
ところが、当時は、それを懇切丁寧に書き起こそう。己の精神の底を掘り返そう。ってんだから他者にとっては「読みづらい」に決まっている。人を選ぶホームページを最初からうたっただけあるわ。妙な、わかりづらさの敷居があるもん<納得するな!(自爆)

確かに。そのアーチストのキーポイント、ターニングポイント、ステップボードとなった曲に関して、ファンが思うことは様々にあるのだろう。けれど、数年後の書き手本人が、そのへんが綴られた文章を読んでみると「こうも捩じれていると、この人、厄介極まりない」って他人事にも思うわけですね。それは通り過ぎたことだから他人事と化している。
けれど、この厄介な捩じれ方に「曲への愛憎」を見る自分がいます。
そう。愛憎。
好きなんだけど言い切るには難しく、嫌いだと言い切るものの認めている。
「北山陽一はいけすかない」なる話題で盛り上がった三者対談があったわけですけど、「いけすかない」よりは自分的に感情が根深いところで推移している(自爆)

もともと、こういうのって嫌いな曲調じゃないんだ。
他のアーチストがやっていたら自然と受け入れてたと思う。
かといって、好きな曲とは言い切りづらい。
「ゴスペラーズで好きな曲10曲」に、私は選ばない。
けれど「ゴスペラーズを語る10曲」に選ばざるを得ない。
ストレートに好きだと言えないし、嫌いというものの自嘲が混じる。
「大嫌い、大嫌い、大好き」みたいなもの?

だから「愛憎」って思ったのかなぁ…(遠くを見る)

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