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GO UP HILL title
永遠に この曲。最初、嫌いだったんですよ。
今回のリニューアル前に出していた文章で「永遠に」に関して触れていますが、そこでも私は「この曲、嫌いだったんですよ」から始めています。
だから今回も同じように始めてみました。
「この曲が本当にスキ!!」「ゴスペラーズといえば「永遠に」ですよ!!」という方が、それこそ圧倒的に多いだろうと承知して、だからこそ敢えて。非常にひねてますが(自爆)
 
「永遠に」
c/w「No One Else
Comes Close」
「夏風」
「永遠に(Radio Edit)」

2000/08/23リリース

本当に私は、この曲が嫌いでした。好きになれなかったですわぁ、ゴスペラーズの色の曲じゃないよなぁ?とCDを聴いて当時特に思ったからなぁ…
それまでは他人の曲でも自分たちの色に染め上げていたけれど。今回、初めて自分たちの色に染め切れていなくて、その違和感。そこが引っ掛りの材料になったのでしょう。
2000年8月、静岡も焼津でフルコーラス、通して。ライブで観て、その場で聴いてみて。「夏風」より「Slow Luv」より「Free Space」より自分自身に来なかった。「印象に残らなかった」と終演後に言い捨て斬った曲が「永遠に」でした。

売れたいと思って切り出したであろう、バラードで。決め切れていない。決定打にして売れたいという気概も見えて来ないし、何より伝わって来ない。
「U'll Be Mine」のようにジワジワ攻める曲で攻め込まれたと思わないし思えちゃあいない。

  「この曲を自分たちの代表曲にしていきたいのかなあ?」
それは自分の中のゴスペラーズに対する考えが揺らいでいたのもあって出た疑問です。

「僕らは売れたい」と思っていて。ファンになると、その思いが痛い程に感じれることもまま、あって。
ボーカルグループという日本では珍しい形態で、良い音楽をドロップしていて。
悩みながら笑いながら果敢に挑む。同世代で。同じ音楽を耳にしてプロになっていて。
一度は「これだ!!」と信じてしまっただろう、坂道を登る貴方たちの背中を信じて良いのか?そう思った時期だったんです。だから、私にとっての価値観の岐路に立たされていた、といえるでしょう。

6月に開催された「FCの集い2000」をスッ飛ばしす決断をして。この時は2000年2月に終わった「アカペラ門」以降は存在を避けるようにゴスペラーズを観ないと決めました。自分への「冷却期間」としていて迷いの先を見定めていましたから。
村上さんの「ついて来るなら」という去年の科白。「FIVE KEYS」の科白の通りついて行って…
「ライブに答えはある?」
夏に。静岡なら。今度の焼津で観れたら。失った鍵が掴めるだろうか?

「「永遠に」で。以前から燻っている売れたいという欲を叶えたいんですか?」
-------、この時は新曲の良さにKOされながらもシングル曲に対して「どうかなあ」と。切り出した新しい名刺にdoubt出してしまったんですね(苦笑)
これによって『Soul Serenade』というアルバム前のプロモーション。ラジオ出演、掲載雑誌の読破、そういった行動殆どを断つ、暇もないんだやらねぇよ!!という荒業に出てしまうわけですよ、この人は。
「ああもーーーーう!!!!考えるのはイヤだッ!!!事前情報なぁんも入れずにアルバム聴いて自分の直感で曲、判断して。それで決める!!」

ツアーに入っても。「永遠に」に対する評価は厳しいままでした。
浜松では「これって編曲で泣かせたいんだ?」と斬り捨て(…、あたしも酷いわ)翌日開催された沼津では周囲を見ていて。曲の浸透具合を知って「もしかしたら、この曲、良いかもしれない」と心を僅かに動かされて泣きが入りかけたものの。
それで東京も中野で一本観たら。日替わりの村上・酒井コンビでの「Higher」も浜松で観てしまったことだし<をい(自爆)睨んだ通り「静岡シリーズ」は観ていて相当楽しかったし。ひとまず「良かったねえ、終わるねえ」と思っていたんです。
あの日。沼津から東海道本線上りで東京へ向かいながら「ああ、これで残りは東京だけだ」とビール飲みながら←ライブの後のお酒が好きな人故の言動です、「これ以上は、ねえ…観るかよ」って思っていました。

けれど、東京だけでは終わりませんでした。…、終わらなかったというのが正しいのか(苦笑)東京前に一波乱、っつーか。東京で終わらなかったことで私の「永遠に」の受け止め方が変わります。

2000年。12月3日、名古屋にいました。
この時は地方周りは終わっていて残すは東名阪だけ。
12月3日、名古屋センチュリーホール。「ゴスペラーズ坂ツアー2000」中、最大の会場でした。
集客人数おおよそ3,000人--------
中野サンプラザで2,222人(本当)。それより少し多い2,300人強が静岡は浜松アクトシティー・大ホール。ゴスペラーズにしたって3,000人は「ワンマンで過去最高」だったんでしょうか、ねえ…
私も、勿論彼女も名古屋に行かなくとも、次の週末が来れば東京で観れたんです。この時に呼びかけて誘いに応じてくださった上にチケ確保して頂いた彼女も名古屋公演翌日の大阪で観れる人なんです。
言葉にすると「直感」なんでしょう。大きな見えないものに突き動かされて「行こうよ」と説得力のない説得をしながら(だって「気になるんだよ何か。何かありそうで名古屋」って説得は普通しませんよ、他にも口説き文句で「「takeuchi-webnet」の打ち合わせをしよう」ですからね、説得工作として最悪ですよ)私は二人に声をかけていました。そして暗躍一週間(大爆笑)全ては12月3日、なわけです。

三階席。最後列。
ホール一階10列以内で彼らを観た経験も多い(苦笑)だろう面々が三階席のいちばん後ろに並んでいて、という…、状況。この普段は周ることのない立ち位置、三階席最後列です。こうなると別の意味の挑戦的な姿勢が出て参ります。
事実、私から「今日の私は楽観視だからね」なんて科白も出るんですが、全員「おうし、ここで私たちを楽しませることが出来るかな?」と高みの見物モードに(爆)「おーし、お手並み拝見だ後ろの後ろだしぃ」なんて出るわけですよ(笑)穿っている試している。
しかも御挨拶、安岡氏に「いちばん後ろの後ろまで!!僕らの声が届くように」と言われてはツッ込まないわけがないでしょうに。
「後ろの後ろ?」
「後ろの後ろはここだ。と」(言い終えたところで三者三様に笑う)
「うわッ、届くのか」

心に届くまで。心に曲が届くという確かさ。
届くまでには「距離」が(物理的にも感覚的にも)あるもので。遠くても近くても永遠に存在するものでしょう。その距離を越えるだけの気持ちの力も必要でしょうし、越えることを適える技術も要るものだと思っています。
だから実際、最前列に近い位置に居ても届かないこともあって。かといって最後列だから楽しくないわけじゃなく、その最後列に居て「好きじゃないなあ」と零していた曲でKOされていることもあって、それは可笑しくないんですよ。可能性としてあることだったりするんです。
届くまでに五感に入る情報は多いに越したことはない、だから席が良いに越したことはない。だけど、後ろのほうで観ることだって、こうしてある(笑)わけで。
「席は良ければ越したことはないけれども席があれば十分で。感動するのに席は全然関係ない」これは力説したいし(大爆笑)後ろで観ていたってゴスペラーズに限らず楽しいものは楽しい、私など二階最前列だと「面白過ぎるう」と別の気概で満ち溢れて楽しもうと躍起になるし(大爆笑)
「何処でも同じ」に思えてしまって、今やホールの座席位置を観る際のマイナス要因って余程のことがないと思わないですねえ…
(神奈川県民会館ホールの三階席最前列に回されて「起立不可」の中、怒涛のダンスチューンを上半身だけで踊り狂って楽しむだけ楽しんだ及川光博氏、というのが私にはあるぞ!!)
とはいえ。問題はホールでのコンサートが主流になって次の段階を意識すると「後ろの後ろ」は当然、遠く彼方になるもの。だから物理的距離を越えること、後ろの後ろに届くことが求められる。

「歌が、声が、曲が、何よりステージの上の存在感が物理的距離に打ち勝てる?」

この当時、私がよく言っていたのは。後ろの後ろも、最前列も、同じ金額を払っているお客で。それは等しく同じもの。だから「後ろの後ろまで!!」と言い切るのなら、その後ろの後ろの。それこそ連戦の猛者になりつつあってゴスペラーズに慣れてしまって考え過ぎてイヤになって拒絶反応まで起こしてまう程、何かと感覚の鈍った(…、書くの疲れた…)私みたいなの、打ちのめすこと出来るの?
後ろの後ろでも。前で観た時のように。音楽を楽しむ姿、遠くても。観えるかな?
楽しんでるんだ!!ってvibe、ここまで、この後ろまで、届くのかな?
「永遠に」というバラードを最後に置いて、それでキメに出るのなら。ここまで。届くのかな?

感覚的なモノの捉え方になりますが「心が音に反応する距離」「気持ちが自分の心に届くまでのマイル数」を、音楽を聴く作業の中で「心はどの方向?」「私は何処に向いていて?」と確認しながら詰めるようになって。今では随分と経ちました。
だから以前のゴスペラーズでは多少気にしていた当日の席=ポジショニングを気にしなくなってます。どこでもいい(笑)12月3日の名古屋で三階席最後列があったし、その時にホールの何処で観たって大丈夫だと思えてしまったし。むしろ、その時までの心の置き場所が何処か?そのほうが重要です。
それだけで良かったものも悪く思えたりすることもあるだろうから。

この「曲が心に届く」確かさが失くした「鍵」だと、こういった文章を書く中で気づかされます。

この曲のリリース時は、「永遠に」に関しては、本当に離れていて。ダメでした。
うーん…、黒沢さんが歌い込めてないなあ(起爆)Aメロの低いところ酷く音がとれてない(苦笑)と本気で思ったし。これは悪くない。むしろ良い曲だけど同時に難攻不落だと真剣に思ってましたから。
この12月3日まで。夏の焼津から始まってシングルを聴いてもアルバムを買った後も、秋の浜松で沼津で観ても「これでいい」と思えず、思えなかったことで距離を詰めることが出来なかった曲です。
最後に聴いた沼津が11月3日、そして名古屋が12月3日。その間1ヶ月------
「化けたねえ…」
帰り道、感嘆の溜息で漏らした感想。「化けた」は主に酒井さんに向けられたコメントではあったんですが、メンバー全員を観ていて肌で感じたことだったんです。
黒沢さんの歌が変わった、良くなった、成長した、考えられる賛辞をその場では冷静になれないまま乱雑に並べた程に。曲の終わった直後に「アタシ、ダメだった」と漏らしたけれど、それは「私がダメになりそうだった」という泣きの極限まで持っていかれたのよ、という褒め言葉として。
あの日を境に一気に距離が詰まって、この曲を素直に聴けるようになれた。「嫌いだった」曲が好きへと近づけたのが冬、12月3日。

翌年。2001年に入って「永遠に」という曲は注目を浴び、ゴスペラーズ躍進の原動力となりました。
名古屋がなかったら今以上に穿った見方をした上で、このヒットを素直に喜べなかったでしょう。納得しなかったでしょうし、私のことです「こんなんで?」と斬り捨てたに違いありません。
けれど2000年12月3日を境に自分の中にある確かさを元に「これは、このタイミングで出したから沢山の人に聴かれる曲になったんだよ。この曲で良かったと思う」と言い切れていました。
だから「ゴスペラーズが注目を浴びて…」
それで不安になることがなかったんですよ、この人。むしろ安堵の観点に立っていたから。その時が来ただけだよ、って。不確かなモノで顧みないで行動に出て、結果、お金で買えない確かなものを手に入れたから。だから今暫く惑わされないでいられるんじゃないかな。

「悔しいけど、あんなに歌えるなら売れても良いよ。今日の「永遠に」なら。もう売れて良い」

あの日、私が繰り返した言葉です。
「売れても良い」ってのも生々しいですよねえ(苦笑)なんというか、これは沢山の人が手にして満足できる曲だろう。感動できる、人の心を揺さぶる曲になるだろうから。それだけだったんですけどね、表現がよろしくないですね(自爆)
後日頂いた某嬢からのメールには「あの日には、結局、「予感」をお持ち帰り出来たんだわ。これから、ものすごい事になるっていう、不思議な予感。」 そう書かれていて。
なんかねえ…、本当に。こういったライブ経験って色々観てきたって、そう、ないんですよ。俗に言う「呼ばれる」ってのはツアー中、あるかないか。「導かれるようにして」現場に居て、というのは本当に巡り合わせに近いですから。

好きな曲への熱い思いの丈を語るのを「思い入れ」と呼ぶのなら、ここまでの文章は「思い入れ」に当てはまらないだろうと思います。
現に今も「永遠に」という曲が好きか?と訊かれたら「好きだけどね」と言うでしょうから。「今は好きだけど嫌いだったしなあ、昔」って。好きな曲の思い入れというよりは「永遠に」という曲で本当に精神的紆余曲折これでもかあ!!と経験させて頂きましたよ!!ってのが本音だから。だから、ここまで長く書いてたり(大笑)
以前は嫌いだった曲です。嫌いだった、ゴスペラーズのモノになってない曲だと思った。この曲で売れても良いのか?そう思った。それをひっくり返される経験(名古屋ね)をして漸く素直に聴くことが出来るようになった曲だから。最初に「嫌いだ」言った手前、抵抗感てーのは残存してますから、それだけに、余計簡単に「好きだ」って言えない曲なんです。

私にとって「永遠に」は「好きな曲」という範疇では収まらないです。
長々長ッ!!と書いたように色々あってあり過ぎて(苦笑)悩んで考えて思うことが山ほどあって…。そんな中で答えを見た曲だったから。だから、この曲に関していってしまえば「永遠に」は特殊でありながら…、やっぱり特別な曲なんですね。
c/w曲の「夏風」や、このシングルに収録されている(私はアカペラライブ「アカペラっぽいの好き」の席上アカペラversionで聴いていた)Joeのカバー「No One Else Comes Close」のように面して、その時に「この曲は!!」と思えて好きだと思えた曲ではないから。
聴いた当時の気持ちと現時点の気持ちが大きく違う分だけ、それだけの思いがある、そういった意味での「思い入れ」はありますね。そうなると「特別な曲」なんでしょうね。
ま、まあ、今は昔と比べて好きなんだけどねえ(大爆笑)ってことで、ね。
これでよろしいでしょうか、お後。

 
 
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made by Sachi (as Sachiko Kaga)
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