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[2001/09/09]ゴスペラーズ坂ツアー2001 -凱旋門-@日本武道館

※この文章は2001年9月にweb上にあげられていたものを再録したものです。
なお、ライブレポート集のインデックスページは、此方になります。
ちなみに当時のページは現時点でも存在します(一応、リンクを貼っておこう。此方参照)が、HTMLファイル、41KBあるぞ!と予告しておきます。
つまり、この文章も長いってことです。

2006年9月になって2001年9月のライブレポートを残す、というのもどーかなあ…とは思いますが、こうなると記録です、本当に。
当時の感情までも愛憎こもごもパッケージされておりますが(自爆)まあ、ご笑覧ください。

続きを読む "[20010909]ゴスペラーズ坂ツアー2001 -凱旋門-@日本武道館"

開場数時間前に聞いた話は沢山あるものの(余りの内容の凄さに「伝説」の仲間入りを果たしそうである某氏武道館入りの模様とか…)こういうものもあった。
「今日。KGさん…(武道館は)入るらしいよ」
なんですとッ!?[Winちゃん風口調にて再現希望]
それが事実だったのが非常に怖いのですが(爆)あ、さてー。ともあれ一日を武道館に振りまわされた気がします。では、ネタバレレポート、ゴウ。

日本武道館、東スタンド1階席というのは電光掲示板のデジタル時計が、席につくとよく見える。そういう場所である。開演から10分押して、これで普段、ホールはスタートするものの…
「…、まだ始まらないねえ」
1996 年の夏、今はなきパワステ[NISSHIN POWER STATION]から始まった。
この年の冬、彼ら最初のアカペラライブを、どうにか一般で観てから「ゴスのアカペラは見逃せないよ」と周囲に言う人間になってしまった。
初ホールは渋谷公会堂、これを私は観ていない。
そして「衣食住」の頃、本格的にネットの世界に飛び込んでいた。高校の同級生とは、ここ2 年で「じゃ浜松でゴス観るか」と言うようになっていた。
気付くと30本以上、彼らのライブを観ていたことに驚く。通算33本目は日本武道館。
2年前は五鍵[FIVE KEYSツアーのこと]、静岡シリーズ終わって千葉文[千葉市文化会館]やったんじゃないのかな?その頃だったよ?
1年前は村上さん、ノブさん召集でノブさんの《宴》ライブ[8月27日@二子玉川アレーナホール]に単独出演やって終わった頃だよ?
2 年前。1年前。その頃と今現在とでは、想像以上にすべて変わってしまった。想像を逞しくしても現実にはかなわないのかもしれない。好きだという人が「激増」という言葉を使いたいくらいに増えた。いつしか世間の注目を集めるようになった。今や1998年「衣食住」ツアーに参加したことを理由に「昔から」という表現をするファンがいるという(実話です)、それが昔なら私みたいな「知ったのは「Promise」でグランプリ取った「JD」かな、聴いた最初は(※1994年12月から1995年1月)」という人はどうなるんでせう?(爆)
「衣食住で昔」という人には是非とも教えていただきたいものです。因みに個人的に「いや、そうなると化石?」「なら私の周りを恐竜が走るよ」とは混ぜてみましたけどねー…
閑話休題。
オリコンチャートでアルバム1位を奪取した。「ゴスペラーズ」という名前と、実際の彼らの歌う曲とが、今では同時に認知されるようになった、かな(苦笑)
5枚目のアルバムを提げてツアーをしていた2年前の9月上旬、ファンの賛否両論の渦中で行われた五鍵序盤戦、その頃には想像すら出来ない状況だというのだけは、流石に言い切れる。
思わなかった、思いもしなかった。2年前、静岡の2公演は、そのどちらの会場も当日券で1階20列が平気で出るような状態だった。催物案内に「ゴスペーズ」と書かれたのを見た時には、その前で笑い転げながら「本当に参りました、浜松」と思った。
そういう状態だった、それが「事実」だった、それが2年前。坂道の、途中。
………、ヒット曲は怖いわ。

18:15という電光掲示と共に、一挙に電源が落とされる。歓声…、あれは喚声かもしれない。
薄青のライトの下から、バンドメンバーの白い服の数々が動くのを見る。そして、あれは奈落の底、かもしれない。半分ほど奈落のような出入口から、今度は赤の燕尾付スーツの5人の姿。
始まる前から、奈落があるように見えるステージを観て、単純な私は「アカペラ貴族」を思い出していた。
1996年12月、最初のアカペラライブツアー。最初に2階で歌う4人、声は5つ。
そして奈落の底から階段を上がって来たのは紛れもなく村上てつや(敬称略で申し訳ない)、その人だったこと。満面の笑みで、「してやったり」みたな言葉を言外に匂わせて、少し自信ありげな表情で。それを見たら、私は手を叩いて笑っていた。スカーフタイのシャツ、ブラウンの長めの丈のジャケット。それで長髪、笑顔全開で奈落の底から出てくるか(爆)
いかにも村上らしい、そういう言葉を使って表現してしまうくらいに。まだ人生で2度目に彼らを観る、半年振りに彼らを観るというのに、私は吹き出していた。次には「バカーーーッ、あーもう最高だよッ」と叫んでいた。周囲もそれに似た反応だったように思う。まだまだ「なりきれない」側面を残していた頃、「カッコつけれない」時代。それだけに客席の反応もシニカルなところが残っていたんだろうと思う。
その、当時の場内を知るだけに、今の奈落の底から出てきても歓声が…、というのは時代格差を感じる。悪いことじゃないんだけど、嗚呼、そう思う一瞬。
回想はそれまで。ゴスペラーズを観る時、私のチェック項目の最初。「ひとり」で、村上さんの声の調子を見る(起爆)
私はもっと酷いと思った、もっと酷い歌になってしまうかもしれないと開演前、怖がっていた。思ったよりも酷くなかった。もっと緊張でガタガタになるかと思っただけに、そつなく纏め上げた時に「これなら大丈夫」と思った。

静と動、そう言わんばかりの変化。シンプルな照明がカラフルなモノに一変する。バックステージ方面に回した通路、というのだろうか。ホールでは2階を組んだものをバックスタンドに回して、バックスタンドのお客をも取り込むセットを組んでいる。しかしオープンなので360度、観られ続ける訳だ(苦笑)
「ぶどーーーかああーーーん」と叫ぶ安岡さんに去年12月、名古屋センチュリーホールでの「センチュリーーーーー」の絶叫を思い出してしまう(爆)いや、何を思ったか行ってしまったからね、名古屋(自爆)で。「ひとり」がゴスペラーズの「静」なら、ゴスペラーズの「動」のスタートは「靴は履いたまま」かもしれない。やっぱりココはサビの「最高の」で指を指してしまう、あの振りでせう。「夜にしよう」の後に「ハーッ」って手を挙げてしまう、あの振りまで含めて「もう、踊りたくなるよねえ」
特に1番から2番に移るところ、村上さんと黒沢さんの掛け合いで一緒にやるのも、知っている人には「お約束だよね」ってなる項目で。「ウォウウォウウォウ」の箇所なんてのは指で音を取ってしまうくらいに。思わず年少組パートに移行しつつ、それはぬかりなくやっているんですけど(爆笑)
考えてみるに私、ゴスペラーズのライブの時のチェックポイントが多いんだ(爆)
武道館が終わってから「うわー、1曲毎にチェック項目、あるかも」となるくらい。この曲だと…、何だろう。2番の歌詞「君が好きだよと」の箇所で「君が、好きだーーーーーッ」とマイク離して叫ぶ村上さん、コレですよ(笑)その日の気分、調子で叫ぶ、普通に歌う、黒沢さんとのユニゾンに持ち込む、などバリエがあるだけに。ねえ(苦笑)
あ、そうそう、30歳になってから叫んでないと思います(起爆)1998年「衣食住」では渋公で叫んでいて脳裏に残ったモノだったんだけど、次の年「五鍵」では「叫ぶ土地と叫ばない土地があるよねえ」となって以来「村上さんのご機嫌バロメータ?」視されてなくも、ないかも。最近はそうでもなくなったかもしれないけど。
そして「Free Space」。確かに曲のサビのハモ、微妙な和音構成をしていて、私は運良く去年8月に焼津公演(単発でライブがあった)で「新曲のハモリはこうなんだ」ということで各パート毎に歌ったのを観ていただけに、実は仙台でコケた時に「難しいだろ、「靴は履いたまま」そこで切ってハイってのは」と思っただけに。チェックするっていうと、サビのハモリ具合。これでした。
武道館…、冒頭がね、冒頭が力んでた(爆)と思う。

ご挨拶で洩らした、酒井さんの言葉。スポーツ紙の記事にもなった、この言葉。
「これが、ゴスペラーズのお客です。」
確かにそうです。けれど、武道館の中だけがゴスペラーズのお客じゃないこと、忘れないでください。それに気付いているとは思いますが、敢えて。
武道館が観たくても諸事情(地方在住だから出て行けないなどで)あって観れなかった人はいます。そういう人は「遠征してまで観る」と決めて来る人が多い反面、沢山いて、そういう人たちが観れないながらに思いを、この日の武道館へと馳せていること。観れなくて、諦め切れなくて会場前に来る人がいること。こうして目に見える武道館の外ほど人が溢れていることを忘れないで覚えていて、そう思ってやみません。

「Air Mail」〜「I LOVE YOU,BABY」てのはバラードだけに、どぉも声の調子チェックになってしまうのかも…、と思いきや動き、チェックかもなー。個人的には歌も聴きつつ、フォーメーションを重点的に見ちゃうんで(自爆)
『Love Notes』に収録されたことで更に認知度が高まって、という「Air Mail」だけれど元々、丁寧に昔から歌われてきた曲のひとつかもしれない。リリース当時、まだ「カレンダー」「待ちきれない」で出てくる「僕」と「君」が似合っていただろう頃に、繊細に「あなた」「わたし」という人称で書いた曲。
なにせ、ピアノを弾く北山さんをドラマ『あすなろ白書』状態で囲む如く、その曲を「1曲だけ。ピアノを使っていいですか?」という安岡さんの断りと共に歌われたのを目撃してますからねぇ(微笑)1997年12月「アカペラっぽいの好き」生歌ver.でも観ることが出来なくなかったんだけど。
でも、やっぱ五鍵だよねー?あの手をかざす振り付けも(当時は硬直した、カッコよくてというよりは何が起こった?と思って固まった。けど見せ方は巧いと思った)そして印象深いのも。しかも当時、その後に続けたのが難易度の高そーな「八月の鯨」。「難しい始まり方をする」って思っていたもの。
ただ村上さんに一言。「Air Mail」イントロでの後ろから前に回るターン、遅れましたね(起爆)

「I LOVE YOU,BABY」が科白を「Air Maill」間奏の科白とリンクさせつつ、イントロに持ち込んだ形で。この形、「G5」の「予感」だわ(微笑)
「予感が…、するんだ。」の下りを思わず「アタシ「悪寒がするんだ」だと思った」と言うのは、恐らく彼の科白シリーズで脳内ハッキングを食らっているからかもしれません。問いかけたくなるんですよね、「恥ずかしくないの?」とか(爆)「やってんの快感?」だとか(起爆)それ以前の問題で、私、今も直視できるかなあ…、と。だって「歌いながらウインクする」んですよ?(爆)
…、ただ。安岡さんのロングトーンを今こそ!!とは思う。
悪くない。終わり方かもしれないが。後半の「オーーーーーー」が懐かしくなってしまったのと同時に、今の彼だから深みが増して良い塩梅になりそうだったのに!!と思うから。確かに「傘をあげる」の翌年「I LOVE YOU,BABY」を出す振り幅は、むしろあなたにしか出来ないと言う。それだけに…、ね。
まあ、今の今になってやったら「愛の歌」以上に恐ろしい状況を生み出しかねないぞ、…「GOD BLESS YOU」とか(爆)「Vol.」以上に踊りを知らないだろう客席がいるだろうと思うと<安岡さんがハンドマイクで、彼以外がスタンドマイクを立てて踊る踊る…という曲だったのです(涙)。
いやまあ、今年3月〜4月「アカペラ街」での「終わらない世界」でさえ「Fly To Sky」の振りで会場の半分だもの、振り対応可能…(苦笑)18列目で踊ってしまったがな(爆)あれやった最後は「五鍵」だった記憶があるんだけど…、まぁここ2年以内にやっていてもこうなってしまう。それだけ新しく観る人が増えたってことで悪くはないんで(ただ「時代だなー」と言うだろうけど)。

過去、そして現在でもきっと「NACK5の朝番組のアルバム特集で、この曲がOAされた途端、朝も6時からFAXで
「聴いた?あれは良い曲だーーーーー」
「酒井さんが…、酒井さんが恋愛の歌だッ」
の応酬になったのは、この曲の先になくて、この曲の後にない」という個人的に別格の地位にある曲、こそ実は「t.4.2.」。これは嬉しかった。『MO' BEAT』という3枚目のアルバムの中で、この曲と「MO' BEAT」を選ぶ人なんで(自爆)
因みに「NACK5の〜」の下り、実話です。アハハ…、大学の前期考査前に何をしてたんでしょ(自爆)ねえ。で、ここは黒沢さんの「夜が近づく」に注目していたんですけど仙台以上にコケた(苦笑)苦手なのかなあ…、声が出ないのかも(苦笑)そうなると、もう苦笑いするしかなくなってしまうじゃないのさッ、卓袱台モノになるところだよッ。

ちょっと今回はMCに関しては、他のところ参照!!と他力本願にして<をい(自爆)アコースティック編成[ピアノとギターのみ]で「NO MORE TEARS」。そして、オリジナルアレンジに戻しての「告白」。
「告白」はどうも東京・中野サンプラザ公演から、このバージョンとのこと。CDオリジナルのイントロ、水泡が湧く絵をPVで使われた日には「まったく同じ絵を考えた」と思ったのですが(自爆)その前に入れたシンセソロかな、あれで、逆に客席側が入りやすくなったかもしれないですわ。
前回、「ゴス坂ツアー2000」では完全CDオリジナル状態。しかも初披露した名古屋に始まって、東京で「×2」と「あの時に6本しかなかった坂ツアー12月、終盤戦シリーズ、何故に私は3本、半数を拝んでいたのだ!?(自爆)」ということで去年だけでひとりで合計3回聴いた曲。しかも8 日間で3回って…(汗)暴挙だと思います、ハイ。
近年類を見ない「ゴスの、この曲は好き」状態に陥ったのは、実は「告白」という人で(アハハーさちさん告白してるよ、っていうのは却下!!絶対に却下!!没、没ッ)本当にこの曲が見せた「これまでのゴスの良さ」と「これからのゴスの展望」とを最良の形でパッケージ出来たと思う曲だけに、ねえ(溜息)ともあれ、そのシングル発売の前後挟んで聴いた「告白」にシンセソロを冒頭、長めに付け足した形。
そうしたことで「客側のタイミング」というものが掴めるようになった、って思うんです。てのは、前回CDまんま、だったわけで。で「立って良いのか、立ちたいけど立てない」という状況を生んでいて、東京公演3日目、かなあ。こう言われた日に10列目でオカンムリ状態になってしまったんですよ(苦笑)
「名古屋も大阪も客席、立たねぇ」
君たちで客が立てない状況を講じているのも「立てない」理由なんですよ?それはね悪いけど、求めすぎているって言うの。
実際に立てなかった人の話を訊くと、殆どが「タイミングを逃した」って言うんです。もうひとつが「客の動向のバロメーター、常にそこに求めるんじゃないよッ」ってことで、ええ(苦笑)
更に書くと、私、その「立たなかった」と言われた名古屋で、3階最後列で立って踊っていました(起爆)事前に「やる」と掴んでいたから、逆に「この曲なら」と立てた。
多分、アンケートが出ていたら書き殴っていたと思う。これとまったく同じ内容。
長めのイントロを置くことで、客席の方では「あ、「告白」だ。立とうかな」ってなりませんでしたか?あの時。立った頃に曲が始まるでしょう?(それならお互いに利害が一致するって思いませんでした?)だから、これに関しては「あ、手を入れた」とサクッとした判断を下しました。

あ、さてさて。「夢の外」をすっ飛ばし、この日印象に残った曲ってのが「熱帯夜」。
あの仕掛け、消防法に引っ掛からなかったんですよね…?
武道館サイド、許可出しているんですよね…?
あの、バーナーのデカいもの<酷い表現だ…をバックステージの方に何本も立てていて、そこから火が出た瞬間に
「嗚呼、あのPVのようだ…(倒壊)」
しかも本当に良い意味でクドい[褒め言葉]。良い意味で熱い[褒め言葉]。最初に観た神奈川県民会館での五鍵では空回りをいちばんに思わせたのが、1曲目のこの曲で。それが今や全然なくなってしまったのに驚いた…、ちゃんとモノにしてんじゃなーい<何を今更(爆)
ふと観ると、サビの「Baby,Baby,Baby…」で前後にエラい勢いでガツンガツンと腰のグラインドを見せていた黒沢さんがいた(爆)気付いた人、いるんだろうか…。嗚呼、なんか、そういうことも出来るようになったのねえ…、と老婆の心境に<待て。
気付くと酒井さん、ボタン胸元まで外しているし。この人が珍しい…、あともうひとつふたつ外せば立派なヌーディスト[村上・黒沢]組への仲間入りだわー(大爆笑)
しっかし、この曲のベースがここまで腰に来るアレンジだということ、更にいえば「そのベースが気持良い」というのは、矢張りベース・須藤さん効果っしょ。
黒沢さんのロングトーンに絡んだベースラインとの余白の美しさって、ないよ?あれは短い箇所だったにしろ、ね。
声とうねるベースのラインとが噛み合わさった時に「よっしゃーーーーあ」と思いましたもの。ああいうのを「音だけでOKなの、音だけで溶けるっていうの」と主張する私がいるんでね(苦笑)
まあ、正直なところを言えば。その前にバーナーの火に煽られたのか、火を使ったことでステージ上の温度が高くなったからなのか、兎角鬼気迫ってみえて(苦笑)本当に「熱帯夜」だわ…、「蠢く」という漢字まで思い出してしまうくらい。それっくらい「悪夢として夢に出そうだ…」とひとりで怖かったんで印象深いのかも…(苦笑)

で、もうここまで来ると後半戦。この頃にはそれ相当に踊って暑いわ、それだけじゃ済まなくて、1階スタンドというのは上が直ぐ2階スタンドで天井があるので吹きぬけないわ、空気が篭るわでだだ汗かきまくり。タンクトップ一枚、みたいな恰好でした(苦笑)
それを更にheatupさせるかの如くに始まったのは、この曲出来てから外したことがないんじゃないのか?というくらい、お馴染みソング「FIVE KEYS」。
アレンジが「なりきりゴスペラーズ」をする為に昨年の「坂ツアー2000」時点で一度、今のバージョンに大幅に変わったんですね。そのバージョン、まま流用。だからCD宜しく、村上さんの口上があって「カモンジャンプ」で客席が意気込んで飛んでいた五鍵な頃が、時には懐かしくさえあるのですが(苦笑)まあ、それは己の回想モードということで読む人は受け流してください。
て、ことで。自己復習を兼ねて列挙しますか、てーか、なんか多いんだ。「FIVE KEYS」驚異のお約束な項目、たった1曲で「これだけある」ってのも凄い(苦笑)惑わされない程度に取り入れると楽しいかな、ってことで。参考になるかならないか判らないままに列挙しまふか。
今の形態になるまで、それだけ試行錯誤、トライアルも若干の構成変更もあってこそ、今の形です。一緒に時代考証も出来ると良いわねー

五鍵ツアー時てぇのは本当に最初の最初はCDバージョンに近い形でやっていたんですけど、序盤戦途中も確か広島で観たという「ゴスペルのPVで集団でヘドバンかます」というのに影響されて、広島か神戸以降、かな。あの曲のイントロで5人並んでヘドバンかませてましたから(大爆笑)
あーれーはー、凄かった。
初めて観た沼津で驚きつつ、次に観た翌日の浜松では楽しくなって、なんだか一緒になって真似ていた(再度大爆笑)っていうのも思い出。
更にツアー途中からKGさんがショルキー(ショルダーキーボード)、真里さんが突如ギターで参戦する…くらいに、ある意味「ツアーひとつで内容ガラガラと変わった」曲でもあるんじゃないか?と…、ね。
おかげでツアー終盤になった頃にはヘドバン、定着しちゃって(笑)
「あのイントロでヘドバンかませてナンボだわー、ライブが楽しみー」というコメントが洩れるほどに。以来、勢い「客もステージも壊れる」曲になっていて、事実、今やそういう曲ですよね…。
ある意味「動」のゴスペラーズ、この人たちの強み。客を煽るんだー、マジ。TVでチラと映ったことがあったりする、煽るシーンの映像って観ると大概「FIVE KEYS」ってパターンが多い。
これさえ知ってて会場行けば、あなたもかなりなりきれる。楽しいっすよ?>ゴスのライブをご存知ない方。
まあ、振りをしたなら一緒に踊らないと損かもよ?楽しむ時に壊れるほどに楽しんでしまえ。だけど聴く時は黙って聴く。余計で無駄なチャチャ入れはしない。これが絶対ルールなんだけど「場の空気を読んで的外れな真似はしない」。これがゴスであろうと誰のライブに行く時であろうと、ライブというモノ全般における基本中の基本。
私は何せ「○○対応」という言葉を使うんだけど、行くライブで臨戦体制、要するにライブで「どれだけ踊るか」「手を叩くかどうか」というのを自然とシフトチェンジさせることにしてて、むしろそうするものだって思っているから。楽しみ方の構えって場所によって変容するものなんですよ、意外にも。

・曲にある「Hey,Hey」というバックの掛け声、あれをやりながらメンバー宜しく「ヘイヘイ」とジャンプジャンプ。昔は、本当に五鍵も序盤戦ってのは固まってなかったから「ヘイ」のジャンプが3回だったんですけど、今は2回のジャンプ。
いちばん参考になり易いのは「パンツ見せてもジャンプする(爆)」北山さんでしょうか…、いち時期など前のほうになると半ば義務として「北山陽一のパンツレポ」というモノもございやしたね…(泣)淡い色が好きだとかチェック柄が多いとか言われておりましたねえ(大起爆)
・ここはやる人やらない人の出る箇所かなあ、私はしてしまうんだけど「持って生まれた・鍵で」の間、「オー」のハモ、あれやっちゃうんですわ(苦笑)
しかも指で音をとりつつ、下から上へ腕を動かしつつ。「鍵で」のハモは、この逆。指を下に差しながら、ってカンジで。その後の「開けられるものが」で出る「アーアー」は上に上に!!で、つい言ってしまう「あーるのだと言い切れぇ」<言わなくて良い(自爆)
・やっぱりコレは必須でしょ?「右手ーーーーー」は、右手を差し出す!!
このへんはバンドの方がやってくれるので、それを観ながらご一緒に♪っていう箇所のひとつです。前の方にいる時などは良く、そっからアイコンタクトなんぞ始めたものでした…
でもね武道館、総立ちでやっていたのには驚きと同時に圧巻でしたわ。1万人の右手って見ないぞ(苦笑)その後の「それがKEYS、いわばFIVE KEYS」は個人個人でキメていいんだろうけど、私は拳を固めてしまうかな。そのままでも良いんだろうけどねん。
・「その上、また上」は、やっぱり上に、上に、って指差し。曲に合わせて「その上、また上ッ」って。
・これもまた凄かった…、「1、2、3、4、5ーーーーーー」でのカウント。これは「右手」「カモンジャンプ」と並んで「やらな損」的ポイントなのかもしれぬ。
・で、村上さんが口上するパートで「Hey!」と入るようになったのって確か「G5」からのような…<うろ覚え。
あの時に「カモンジャンプ」が消えた記憶がある、その時に出たのが「Hey!」だったような…、後ろで残りのメンバーが拳を振りかざしてアピールしまくって「Hey!」と叫ぶってのが始まりだった気がするんで…、ね。「G5」前にあった学園祭シリーズからかもしれないんだけど、学園祭。オイラ虎馬なんで(大自爆)
・あと「歌わせようとしてんな」と思ったら歌っちゃうまで、ですよ。今回、村上さんの口上に合わせて合いの手状態でモー娘。状態のコーラス「フウフウ」ですから(笑)
村「なんだか気持が」
客「フウフウ」
ってな具合に。ここまで来るとね、言えます。「踊れ、楽しまないと損」

あと…。
五鍵の頃は、酒井さんが「手の鳴るほうへ」で盛んに手を叩いていたのを観て、それを真似る子、特にサカイストに多かったかもしれぬ。本当にねえ、酒井さんが勢い込んで叩いてたッ(笑)てので。
トライアルとか試行錯誤とかで思い出しつつ、そぉいや、という話。
「坂ツアー2000」かなー、確か「FIVE KEYS」のなりきり導入前にだと思うんだけど、浜松では別に客へいじっても短く歌わせて掛け合う(「フウフウ」とかで)くらいでしかなかったところ、翌日の沼津公演で何を思ったのか、きっと客席の感度の高さにだろうと思うけど(沼津、おかしいもんね。あそこでしかない空気が出来てしまうんで。と苦笑)
その最後に「騒げーーーーーーッ」と村上さんが言うと、客席が一斉にワーーーーーーっと、これみよがしに騒いで返すってのがあったように思うのね。
それに気を良くして彼ら、その後も続けていたようですが<ツアー終盤では定着しちゃっていたよーな(爆)あれは驚いた記憶がある、だって「あれ?昨日はーーー??」って(自爆)

早かったな反応、と思ったのが「愛の歌」サビでの左右腕振り、かな。
1998 年「衣食住」ツアー以来ですよ、実は、この曲やるの。たぶん今年、豊田サウンドブリーズ参加者とかは、逆に知っているのもあるんだろうし…、あとTV[中京テレビ・ミヤギテレビ]で放映されたのを観た人も多いでしょう。
しかし、この曲の安岡パートは難しい…。ずっと私のいるところコレのような気さえするんで、こうなってくると呪縛パートなのか(爆)
韻の踏み方が巧くて最初聴いた時に驚いた「東京スヰート」になると、それまでの空気から一変。聴きモードになる、豊田で激痛を覚えて仙台で安堵した安岡・酒井の「Stop」のコーラスが入ったところでCD同様、曲が止まってしまう、そして動きまで止めてしまう。あれ、巧いわ…(溜息)
豊田で激痛だった、というのは、ここで曲が止まって、場内が静まっているのに「リーーダーーーー」と叫ぶ人がいたから、なんだけどね…
ともあれ、この人たちの強さの一部って、些細だけどこういうところにもあると思う。

そして「「ひとり」か「永遠に」でスタートしないと客が納得しないと思う」と凱旋門ツアーの前に呟いていた、その片割れ「永遠に」。
ここでは、2番が終わって「逢いたくて」の下りからブレイクが入って、直後の「あなたの」。
いちばんの決めどころ。ちゃんと決まった、かな。もう、ここの不出来で一日決まるってくらい(苦笑)
そこまで息を詰めて聴いていただけに、そこが決まると私はいつも安堵する。それだけ難しい、それだけトライのしがいのある曲、なのかもしれない。んだけど、この日の昼にNACK5を聴いていたところ、何故か「永遠に」が流れて「?」と思っていると曲が終わったところで、その番組のDJ氏、確か、こう言ったんですね。
「あなたの風になって、すべてを包んであげたい。……、使って(口説いて)いる人、いるのでしょうか?」
曲紹介の前に、これっすよおお(号泣)だから好き、この埼玉的「斜に構えた姿勢」。だからこそ「NACK5、ビバ」。
流石だわーー、1996年当時に『UP TOWN SQUARE』っすよ。テーマ「口説かれたい、こんな台詞」で、かつてリスナーから「Sparklin'」の歌詩「1000℃の熱さでこの想いを〜」の下りを出されたら最後、読み上げた直後に「こんなこと言う男はいません」とキッパリ土井晴人氏に言い切られた(実話です、ラジオの前で泣き笑いをしました)放送局だけあるわー。

今回の「凱旋門」ツアー。
仙台公演、私は「終盤、ボロボロと泣いていた」と書いている。悔しいけれど、遂に。流石に2度目だ、もう展開も知っている、変更することなんざしないのも知っている、幾ら何でももう泣きはしないだろう。そう思った。
けれど「あたらしい世界」で、スロープをあがって踊り場に来た黒沢さんの、その足元を観た途端、何故だろう。不覚にもまたグッと来てしまって、またもちょっとだけではあるものの溢してるんである(苦笑)
懲りてないな…。でもね、ダダ泣きしてないんですよ。これは言う。仙台ほど、武道館は泣けなかったよ、それは言える。だってジワで終わったんで、武道館。それがボタボタ泣いてしまったのが仙台だったわけです。

「ようやっと、本当の意味で「あたらしい世界」が見えた気がした」
凱旋門、仙台公演が終わった直後だと思う。ホテルへの帰り道での会話。
五鍵ツアーで、ツアー構成は大胆にシフトチェンジしたと思う。アカペラで始まって、DJが入って、最後にバンドも入って、構成+見せ方が決まっていた「衣食住」と違って「五鍵」というのはバンドメインでの最初の最初。
「凱旋門」を観た人が観ただろうライブの、本当に礎。
もしも「坂ツアー2000」を観た人がいたなら、その前段階に置かれた本当の意味での変化の過渡期。
けれど私には、その音楽は何も変わっていないように思えて、しょうがなかった。やろうとしていることも、考えていることも、それが新しい音とは思わなかった、むしろ戻したんじゃないの?と思ったほどで。
だから「あたらしい世界」だ、彼らがそう言っても私には新しいと思えなかった。やろうとしていること、やっているメンツ、何も変わっていない。それのどこが新しいの?中途半端な「あたらしい世界」では納得しないですよ?その年の終わる頃に、そう言い出すほどになっていた。
ようやっと、あたらしい世界が見えたよ?
傲慢と言われるかもしれない、生意気だと思われてしょうがない。けれど、私が「FIVE KEYS」で聴きたかった「あたらしい世界」というのは凱旋門公演でやっと、だった。

「今回のツアー、「衣食住」から「坂ツアー2000」までのリベンジのような気がする」
ここ3年ほどのツアーの習作。当時は力量が足りなくて出来なかったことを、力量が備わった今、ここでやってみる。あの日飛べなかったハードル。ボリュームアップして、歌の筋トレをして、「僕は、あなたに歌っている。セレナーデを歌っているんだ」ということを掲げて。そうしたら、あの頃は出来なかったけど今なら、そのハードルは飛べるはず。
確かに新曲は織り交ぜられているものの、「あの時の」というアレンジが口に付くということ。過去のライブを観た人には判る、この曲はこの時、このアレンジはこのツアーというもの。それを悪いとは思わない。けれど、それはここ3年ほどのツアーの良いところ取りした、ある意味ダイジェストテープのようだ。
だから、それまで観てこなかった人へのイントロデュースとしては、この上なく優しいし、丁寧過ぎるほどだった。その丁寧さが、リプレイ状態になるのが、私には毒を含んで目には届いたのかもしれない。その後、こんな言葉を足している。
「ざまあみろ、って言いたいんだと思う」

どうしても、そう思えてならなかった。むしろ、こうして好きになってくれた人たちがいるのを承知で、でも、こんな敵に回す言葉が出てしまうくらいに、どうも一部に含まれた毒や棘の所在を嗅ぎ取らずにいられなかった私がいる。リベンジという言葉を出した時に、そう口から零れていた。
観て来た私も、そう。けれど、それまで観て来なかった人に、俄かに興味を持った人に、それまで興味もなかった人に、取り上げもしなかったメディアに、ある一定の基準を満たした途端に手のひらをかえす対応を見せる業界というものの尺度に。或る意味「それまで」というものに。私は、そんな毒に似た気持ちを見てしまったから、だから「リベンジ」という言葉を使ったのかもしれない。
それまでだって、良い曲を出して来ていた。それはNACK5「Japanese Dream」という「良い曲」チャートで投票のお願いなんぞしなくとも常にベスト30に入っていたことに起因する。
俗に言えば「ブレイク前」の彼らは、何ら変わりなく、同じように客に向き合うとキッチリと歌を歌い続けていた。確かにライブの集客は伸びていたけれど、それでもCDの売り上げに繋がってこなかった時期ではある。或る意味『Vol.4』が出て『Soul Serenade』が出て、という間は売り上げの面で足踏みを続けていた時期だ。
その頃と「凱旋門」で歌った今回と変わりがないんだけど、と思えてならなかった。
確かに今なら武道館は埋まる、全国でチケット争奪戦になって完売してしまう。でも、それは去年12月でもなかったことなんだと思うと「今頃気づいたんだ?」と思えてしまう。悪いけれど沼津の20列目までと、武道館満員と、その両天秤を観てしまった今、それは彼らにもあっておかしくない感情だと思う。
「ゴスペラーズに気づいたの?」

「武道館やった、で終わりじゃないんだよね。先があるんだよね。だから、ある程度成功しないと、これからが思いやられる」
開演前に溢した言葉。
実際にステージを見ていて思ったことが、その場にいる感動以上に「これから先の不安」だった。この場所、成功させないと先に進めないとちゃうん?
どうなるんだろう?どうなってしまうんだろう?武道館を挟んだ、その前後で。中野サンプラザ公演の話を聞くと、日替わりで誰かしら調子を落としている(爆)観た数回では気づかないものの、数年ないし回数を重ねると気づいてしまう。その程度とはいっても不安要因に変わりはない。
対するのは、あの日の3000人じゃないんだよ?
去年12月、名古屋センチュリーホールが今まで観た中では最大だった筈。しかも3階席最後列、あの場所で観たもの。私に見えたもの。届くと思ったということ。前にいても届かなかったものが、ちゃんと後ろまで届くこと。
それが出来ないわけがない、センチュリーで出来たもの。高く望み過ぎないようにしているけれど、ある程度やってくれなきゃ困るのだけは判るんだ(苦笑)
だったから、私の思うことなど見透かされた、と思ったのはアンコールも最後、安岡さんのこんな言葉だ。
「続きがあるんだよなーッ」
その通りだ。
続いてるよ、その前もこれからも。まだまだ終わらない。
ここは沢山の通過点のひとつ、でも、貴重な通過点のひとつ。
そう思っているんだと思ったら「なんだ…」と思った。
開演前に私が言っていたこと、自分たちがいちばん気づいてるんじゃん(苦笑)

武道館までは長かったのか短かったのか、本人じゃない私は一生解らないままだ。むしろ解らなくて良いんだと思う。
ただ。まだまだこれから、その上、また上、って思わないと出ないぜ?まだまだ、じゃないと。これで終わりじゃないから、だから出るんだって思ったら「なんだ…」
あの場所で、何が変わって、何が変わっていないか。朧げに見えた気がする。
武道館を目前にして2年前を思い出したのは、2年前のガラリと空いた後ろの空間、束になって売場に置かれた当日券を思い出したからかもしれない。
「いつか、その席が埋まる日が来る。」
去年の終わりに、今は閉じてしまった自分のところのネタバレ掲示板に書いた言葉を思い出した。あの言葉を書いていた時、私は無性に怒っていた。
満席だからイコール、それが良いライブの条件なんて悪いけど、それは必須条件とは限らないんだよ?そう言いたかったのだが、言葉が纏まりを欠いていたと思う。
静岡は2年連続で完売しなかった、けれど動員が伸びているのは確認できた。それだけに、余計に思えたことなのかもしれない。
空席が多いから?空席が多くても、この人たちはやる。むしろ観れなかった人の分を見返すくらいの、それほどのこと、しかねない。
満員はいいことかもしれない。けれど満員じゃないことで見えるものが、実はその場所にあるんだよ?現実に見えるものの他に、見えていないものも見えている?それが凄く言いたかった、それがなかったら私はこれほどまで観続けない。
もうとっくに観ていない、浜松に帰ってまで観るわけがない。東京だけで十分だ、複数本なんて観ない。ファイナルで良い。ファンなんてスッパリ辞めている。なのに続けられたのは、その時々に「きっかけ」になるライブがあったからに他ならない。
本当に、この2年で、そういうライブがあったから。だから、かろうじて、かろうじてで続けられたようなものなんだもの。

今も覚えていて、話に出てくるのがFIVE KEYSツアー、沼津公演。1階しかないホールの、その1階、20列しか当日でも売れなかった。去年後半、今年から知った人には想像できないと思う。土曜日の会場で、こういう会場があったのは2年前のことだったということ。
観た人が今も「何だろう、沼津は違った」と言う。翌年の沼津公演を観た人でさえ同じような言葉を洩らした。翌年の沼津公演で、村上さんが「去年の沼津は印象に残る一本で」と洩らしたほどの、それぞれの印象に深く残った場所。
あの前後で、あの数時間の中で何か、掴んだのかもしれない。
浜松以降、ガラリと変わってしまった。むしろ、それ以降観る人は幸せだと思った。素直に楽しめる、そう思った。憤って失望して、そうして得たものなんてない、ただ熱い歌が届くと思ったから。それは反面、期待を良い意味で裏切られることを意味していたんだけど。
彼らを何が変えたのか、今になっても解らない。解らないなりに今でも解き明かそうとするけれど、それは最後「あの場所だから」になってしまう。それほど現場にいた人間にしか解らない、そういう空気が生まれていたことだけは確かで、ただその空気を私は的確な言葉に置き換えることが出来ずに、ズルズルと2年を重ねた。こうなったら最後、一生解らないままでいいのかもしれない。
そして翌年だった去年の沼津公演、遂に後ろ数列残すのみになった時に「次は満員のお客さんで〜」と言った時には、きっと誰も予想だにしなかった今の状況が、ここにある。
あれが2年前のこと、あれが去年の11月、そう思ったら。その落差の激しさが、私にはただただ怖いと思えたまでだ。

「これだけ歌えるなら売れても良いよ、こんなに届くなら」
素人が偉そうに、そんな大きなことを言ったのは去年12月のこと。
「3階席最後列」という場所だからこそ、逆に大きすぎてボヤけた輪郭を形として目に入れたのかもしれない。
それまで聴いていてどこかで拒絶していた曲に納得が出来て素直に感動した時、本当に「これなら売れて大丈夫、売れても構わない、だってそれだけの歌をコイツら歌っているもの」と思ったこと。言葉にしたことが現実となった時、そういう状況を生み出した彼らに驚いたし、それ以上に「そう思った」という自分に驚いたまでだ。
あの時に感じたもの。先を少し信じてもいいのかな?そう思わせるだけのもの。
何故、あの時、あんなことを口にしたのだろう?興奮状態でただ、ただ、そう思って口にしたのが「こんなに歌えるなら売れていいよ、今日の「永遠に」なら」という言葉だった、それは「もっと多くの人に届くだけの曲になったよ」ということだった気がする。
それまでずっと「ダメ」と思った人の心をも変えてしまうくらいに歌えている、これなら届く。
それからCDの売り上げが伸びて…、なんてこと、思いやしなかった。「永遠に」がこれだけ歌えて、新曲「告白」があれだけ良い曲なら。こうなるなんて思わなかった(苦笑)年明けの快進撃なんて思いもしないで。

売れている状況に慣れた、慣れていない。という話ではない。
ただ身体の上を流れる歳月の恐ろしさに息を飲んだまで。
彼らが口にした「7年」という歳月、その歳月の後半の2年でさえ、こんなに変化に富んでいたこと。だからこそ武道館満員のお客で、全会場完売で…、という状況に照準を合わせづらい。ピントを合わせたくて、私は時々しゃがみ込む。
その都度、踊る、盛り上がる客席を見る。腰を下ろして、その光景を見て、なんとはなく、自分の記憶の整理をしていたのかもしれない。

「今はその坂道の途中でも、その席がいつか埋まった時に、後ろを振り返って、きっと何かを思う筈です。」
あの憤りの最後、そう書いたことを思い出した。
何を思う?見えなかったものが、見えてしまった瞬間、心の動きを自分で見た?
その時、自分の先見を誇った?昔から知っているんだと言い切りたかった?武道館に来れるんだと思った?
それとも事態を怖いと思う?それとも、ここまで来たことにただ驚く?後ろまでいる、バックスタンドまでいる客を見て、何か見えた?
空席が埋まる様を見て、満員の場内を感じて、言動ひとつひとつに歓声が飛び交う状態を見て、一度後ろを振り返って。私は、あの言葉を出したことを思い出したらしゃがみ込んでいたまでだ。
今、こうして現実に後ろに沢山の人がいる現在がある、それに何を思うのだろう?って。

私が観て来たことなど、ただの過去の出来事として語られるようになるのだろう。それでいいんだと思う。「あんな頃もあったよね」という言葉で、こんな時期を経て今なんだよという言葉で、伝えていっても構わない過去の話になってしまったんだと思う。
2年前、を指標にしたものの、たった2年だけれど、その2年は、それだけのものを生み出す歳月だった、ということかもしれない。
思い出した、1997年。彼らの最初の渋公、「坂道発進」でさえ「出来るの?ライブハウスでやるほうが好きだなあ」と洩らした人だ、私は。武道館なんて、九段下で下車して彼らを観るなんて、あの当時にまったく思わなかった。
それがホール主流のライブが殆どになってしまった。…、振り返りたくもなる理由って、これなのかな(自爆)
思い出してみたら、あの時はSLTの武道館(1997年9月下旬)観たさに、私はゴスの渋公を蹴ったんだった。「まだホールなんざ観たくない」と言って。これは奇縁というべきなのか。はてさて。

前述の通りで、私は何度かしゃがんだ。
ライブの最中、しかも盛り上がる曲で。
何度か武道館の2階スタンドを見たくて、ひとり、その場に腰を下ろした。
ちょうど見えたのは南西のスタンド。背もたれによりかかってしゃがみ込んで、いちばん上の上まで埋まった場内で踊る人たちを見て、その都度「凄い」と洩らしていた。
「Love Machine」で、いちばん上まで踊っていることに気づく。バックスタンドも負けじと盛り上がっているのが見える。
サラリと「涙の理由を」と「カレンダー」で歌う客が多いのは、まあ、遠征で来た人の力もあるのだろうけれど(苦笑)それにしても武道館全体で、かつてのライブハウス歌声喫茶状態が起こるのは凄いことだ。「なりきり」にしても、だけど。

武道館、感慨深かったですか?というメールを頂いて、それに応えるうちに思ったのが「感慨なんて、なかった」ということだった。
確かに、その場所に行けることを考えると感慨深くなっておかしくないし(しかも最初が900でしょ?それが1万3千なら思われておかしくないわな…)ここまで振り返り倒すと感慨深いのかなと思ったものの、それ以上に歳月の流れ具合の方がむしろ怖いほどで。
実際に歌う本人たちは寸分違わないのに周囲があまりに激変したことのほうが、私に感慨なんざ抱かせなかったんだろうって。
感慨も感傷もなくて。
初の武道館で何をする!?とは言っていたものの、半面で「ああ、武道館て来れるものなんだ…」という按配で。近づくにつれて思い出したのは、客席の空白が多かったFIVE KEYS静岡シリーズのことだった。

2年前、やっと掴んだツアーへの賛否両論の最初の鍵。この重たいドアの開け方。
その開いた扉の向こうの印象が強くて、だから歌うサイドも、そして観ているサイドも「あれは印象に残る」という言葉を洩らすことになったのかもしれない。
これなら大丈夫と思った日。
あの時に「まだ、ついていく」と思えた日の直感。
それが今、想像もしなかったことが現実になっている事実に繋がっている。
そのことに「怖い」と思ったほうが大きかったまで。
それでも2000年後半でさえ、地方公演でも満員、そんなこと出来なかった。平日の大阪、厚生年金でやっと満員だ。仙台も2階席が半分。浜松アクトホールは1階席も売り切ってない。PAから後ろの席は空いていた筈。だから「歳月の」という言葉になってしまうのだと思う。

武道館で気づいたこと。
変わっていないものがある、けれど変わってしまった現実がある。

ただ、帰りに話をしていて、出たのが「今だから武道館をやっても成功したんだ」
初回の武道館であれだけ出来れば十分すぎると思う。むしろ出来たことに驚いたほうだ。正直、失敗するほうに6割入れるくらい、私は警戒心の塊でステージを観ていたから。
正直、「坂ツアー2000」でやっても、早くて「FIVE KEYS」で。たとえ動員が出来たとしても、悪いけれど、私には昨年12月・中野サンプラザ初日がある限り無理だと思えてしまう。場所に負ける。場所の伝統と尊敬が気持ちを空ぶらせてしまうかもしれない。ヒット曲の生んだ自信が、ちゃんと歌に跳ね返ってきたから出来たんだろうって思った。
今のような状況になる前に、あれほど盛り上がりを見せるライブになったか?となると「むしろ、あの時にやったら失敗ライブだったろうなあ」と思える。
武道館。今だから、逆に出来たんじゃん?と思えてしょうがなかった。だから成功したんだよ?観終わった今、そんなふうに思う。それまでに印象に残るライブも、しくじったライブも空回りしたライブもあって、そういうものが積み重なったからどうにか武道館、成功していて、その「武道館」という氷山の一角だけで損得勘定していたとしたなら私は苦笑いする他ない。

紆余曲折、あったんだけどね(苦笑)って。苦笑いをする。その一通過点にいたかいないか、それひとつで判断されるものじゃない。その途中を観てきた事実のほうが大きいと思うんだ…、観て来ていたなら。
私の場合は、それこそ1996年7月から。気づくと5年余り。細く長く5年、その時々の紆余曲折を知っている。特に、ここ2年は集中的に。
もしも過去を知らないで、今の状態だけで言っていたなら、それは、そう言い出すことのほうが悲しいことかもしれない。過去を否定することほど、その存在を否定することになってしまうから。
過去と現在は恐ろしいほど繋がっている。過去があるから現在がある、ならば過去は認めないといけない、そうじゃないと現在すら認められない。

まだまだ終わらない。
ブルーグレイの永遠は、きっと青空の向こうに突き抜ける。だから「終わらない」。
「もういいかい?」そう問いかけたら、きっと返ってくる言葉は、あの言葉だと思う。
「まだだよ」
…、明日の僕にはかなわない。「ちょっとずつ上向き」「その上、また上」って手を上に上に伸ばして求める限り「まだだよ」。
今日よりも明日、過去よりも未来。終わらない、終わらない。だからもっともっと思うまま、思った歌を、言葉を届けてほしいとは思う。そこだけは正直に。
あの夜、耳にしたラジオで聴いた曲。サックスの入るイントロ。「これだ!!」と思った時、心を鷲掴みにされた時の衝動は、感動は偽りじゃない心から出た歌だから、出来たもの。
その歌の想いを、その歌の主人公の鼓動を、あの時にちょっとだけ信じてみたから現在がある。
たぶん、その「まだだよ」に「…続きがあるんだよなーッ。最高だぜ!!」という思いでいっぱいになってしまうんだろう(苦笑)
ズルいよ、あれは。
脳内ハッキング対象だった(スマヌ)彼が、実はいちばん武道館で凄かったのかもしれないとさえ思えるほどに。

最後まで、ご静読ありがとうございました。一ファンの戯言でした。

■songlist

01.ひとり[a cappella]
02.靴は履いたまま
03.Free Space
MC[全員・挨拶]
04.AIR MAIL
05.〜I LOVE YOU,BABY
06.〜t.4.2.
07.約束の季節
08.Wanderers
MC[酒井+北山]
09.NO MORE TEARS[acoustic set]
10.告白
11.夢の外[keyboard,guiter solo]
12.熱帯夜
13.FIVE KEYS[なりきりゴスペラーズ]
14.愛の歌[なりきりゴスペラーズ]
15.東京スヰート
16.永遠に
MC[村上]
17.あたらしい世界
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※アンコールのguest:田辺恵ニ[key]
EN-01.U'll Be Mine
EN-02.カレンダー[bass solo]
EN-03.〜シークレット[voice percussion solo]
EN-04.〜Love Machine[DJ,drum solo]
MC[全員・挨拶]
EN-05.Promise[a cappella]



…、えー…
5年前(!!)懐かしのライブレポート、如何でしたか?
最後まで読んで頂き、有難うございます。2006年の「さちさん」です。

この凱旋門ツアー、武道館ライブレポートを書き終えて、暫く経って。「もうライブレポート、書かなくて良いかな?」と思いました。
彼らを、他の人が語ってくれるだろうから。
オイラの、語り部のお役目は終わったかな。
それは後にライブレポートがおろせない(爆)ことで自覚しました。このライブレポートを越えない限りは自分が許せないし、表(web上)に出せない。かといって、このレベルの文章を書くのに気力、体力が無い。なにより書く情熱が無くなってしまった。
その後「replay」とか、やってますけど、なかなか、一個人のライブレポート。というのを書き下ろすのはしなくなりました。で、現在に至ります。

この武道館のライブレポートで、書きたくて書きたくて。それを書き切った!だから「書かなくても良いかな、もう」と思えたんです。ここまでのもの、書いたから。
当時の日記を紐解いてみても、そう言及していますが(自爆)本当に、そう、思ったのでした。到達点。行き着く先は、たった2行です。

武道館で気づいたこと。
変わっていないものがある、けれど変わってしまった現実がある。
あの当時「変わってしまった現実」と書いた状況が、今も(緩やかに下り坂がありながらも)続いているように思います。

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