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きた。

写真は、昨年頂いた「ウチのFC継続記念ありがとう」グッズ。
光の入射角が悪いのではなく電卓の液晶の一部が破損してました。
届いて早々、見て驚いたって!もう壊れてますよってんだ。
このケース、責任の所在は何処よ?と思い、そうなると債権債務関係を持ち出してあーだこーだとなるの?と思ったところが出身学部を物語りますねえ…<法学部法律学科出身。

思えば、FC継続記念グッズには毎年、破壊され続けて参りました。微妙に実用に叶うかもしれないが大方は使い損じそうな、貰った瞬間に来る「どうすればいいの」の思いが思考回路を此方をフリーズさせる(爆)という意味で毎年、破壊されるのですな。
懐かしいところでは「油取り紙」ですか、2000年の。
ケースにプリントされた写真は五人のもの。
中身は、ごく普通に油取り紙。
あの当時とて男性ファンもいるかもしれないというのに(当時とて数人は知人筋に男性ファンをお見かけしている)これを生み出して記念品として送りつけるところにグラシアスクオリティーを感じます。
この油取り紙、後の「白日」の対談相手、当時はまだ親交の深くなかった(顔を合わせて話をしたのが通算数回目よ!)さんたさんに見せたんですね。
時は2000年5月4日、夜11時過ぎ、大阪は心斎橋駅近くの路上。
実物を見せた途端に「これが私のところにも来るのぉ〜」とお腹がよじれんばかりに身を捩っての呵々大笑ですよ、キタヤマニアから。
思い返せば「さちさん(初めて)大阪に行く」の最終夜の〆はコレですよ!大阪までCROSS YOUR FINGERS、メインの竹善先生を観に大阪まで行ったオチがゴスペラーズってのもどうかーー、って思うんだけども(自爆)

ともあれ私はFC更新の季節が春なので(春に入会したので)春になると「更新かー」(棒読み)となるわけです。FCの更新するのは良いのです、継続記念品が来ることに戦々恐々するのです。
一体、今年は何が我が家に送りつけられるのだ!と。
今年は、3月中にTakiさんから「今年は製作が遅れているそうですよ」と漏れ聞いていたので「一体、何をこさえたら遅れるんだ」と思っていたのですよ。
ブツを戴いて、わかりました。
後から受け取られるであろう皆様、後から受け取るため、この製作遅れの理由は見えづらいと思われます。けれどゴスマニア最初期の番号の方や毎年4月更新組(私だ)は実際遅れ、遅れて受け取った結果、遅れた理由がよぉーーくわかる(爆笑)結果となっております。
理由が丸わかり過ぎて思考回路が止まりました。
それだけの理由でか!と。

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発掘

以前、使用していたPCにあったデータをMOディスクに移してあって、そこには当然ながら過去のホームページのデータもあるわけです。
ということは、ゴスペラーズさんの過去のライブレポートがゴソリとあ(以下発言自粛)

以前「(今はない)ライブレポートのページからゴスペラーズのライブだけ取り直して再録するようにしたい」と言っていたからねえ…
ライブレポートのコーナーを作る度に「再録しないとな」と思っていたし。
このままだと有言不実行になってるなぁ…

で、再録する可能性ありと一時的に仮定したとして。その前に。と、当時の文章を読み直しましたよ、1999年をピークに書いていた「1990年代のゴスペラーズ」に関する文章を。
「あたしは、このテンションに他人をつき合わせて来たのか!」
先ず思ったのがこれだ。別の人が書いたと思ったわ、自分が。
アレにはひいた人がいると思います、あの当時でも。実際、その文章を書いた当人のアタシが軽く退いた。えらく高いんだよテンション。あれこそ「若気の至り」って思うし、言うのだわ。
それに付随しながら、次、喜怒哀楽が激しい。
怒りは怒りのまま、ストレートに露出してるもの。今なら知り合いの間で論議して、今回のライブに関する考察を練り上げて、あのように、ネット上でストレートに出そうとしないと思う。
FIVE KEYSツアー[1999]の神奈川県民会館が怒り爆発の好例で。確かに、あの当時の世相や、当時のファンが持つ感情を反映した文章になっている。それでも驚くほどライブレポートに怒りをぶつけてんだよ。よっぽど憤っていたんだ。それ露骨に出すか!
そう考えたら、過去の画像を出して「こんな頃もあったんですよぉ」のほうが100倍可愛い。わー、なぁ…

以前よりサイト、今ならブログをやっている方も多いだろうと思いますが、5年後、10年後の自分が、今の自分の文章(デザインも、ですね)を見る可能性って、こういう形で存在しているのです。
こういうのを体感すると「過去の自分が読み返して多少、恥じない文章にしといたほうがいいぞ、こりゃ」と思うようにもなるのです。

そういうデータの中に写真も多数、ありました。加工してサイズダウンしたものしかないと思っていた「ゴスペーズ」写真(※)があったよ!
アップロードするなら、やっぱり該当公演のライブレポートを掲載して…
なのだろうか?そうなると掲載するライブレポートって「FIVE KEYS」ツアーの、だぞ。


※「ゴスペーズ」写真:
時は1999年、9月5日(日)「ゴスペラーズ坂ツアー1999・FIVE KEYS」浜松・はまホール(教育文化会館)の会館催し物案内版に「ゴスペーズ」と書かれていた。その様子を収めた写真のことを指す。日記サイトには以前より掲載済だが、そのどれも画像が小さく、少々わかりづらい。

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愛憎?

リニューアル案[2]に「永遠に」に関して書いた文章があって、これを書いたのは2003年1月だったように記憶しているんですが、どうもこやつの存在は喉に刺さった魚の小骨に似て(苦笑)心のうちを上手に伝えきれちゃない。そんな自分の筆力のなさを痛感します。
そんなことを何故?と思うかもしれません。先日
私「ゴスペラッツに選ばれた二人は身長で選んだんだと思った。並んだ時のバランスで」
某「いや、あの二人は暇なんだよ。既婚者じゃないからさー」
私「あー、なーるー」
なる会話の応酬が、日曜日の昼下がり、サクリとされたから、というわけでもありません。
ヒーヒーと「他人が読んで、わかるように」を考え努めて書いた当時を、そんなことを思って話を繰り返していた頃を思い出したから、というのが理由です。理由って、なんてことはないですね。

あの量の文章を読み終えた後なら
「「永遠に」の好き嫌いなんて、簡単に言い切りづらいわー!」
そう片付けてしまうんでしょう。
ところが、当時は、それを懇切丁寧に書き起こそう。己の精神の底を掘り返そう。ってんだから他者にとっては「読みづらい」に決まっている。人を選ぶホームページを最初からうたっただけあるわ。妙な、わかりづらさの敷居があるもん<納得するな!(自爆)

確かに。そのアーチストのキーポイント、ターニングポイント、ステップボードとなった曲に関して、ファンが思うことは様々にあるのだろう。けれど、数年後の書き手本人が、そのへんが綴られた文章を読んでみると「こうも捩じれていると、この人、厄介極まりない」って他人事にも思うわけですね。それは通り過ぎたことだから他人事と化している。
けれど、この厄介な捩じれ方に「曲への愛憎」を見る自分がいます。
そう。愛憎。
好きなんだけど言い切るには難しく、嫌いだと言い切るものの認めている。
「北山陽一はいけすかない」なる話題で盛り上がった三者対談があったわけですけど、「いけすかない」よりは自分的に感情が根深いところで推移している(自爆)

もともと、こういうのって嫌いな曲調じゃないんだ。
他のアーチストがやっていたら自然と受け入れてたと思う。
かといって、好きな曲とは言い切りづらい。
「ゴスペラーズで好きな曲10曲」に、私は選ばない。
けれど「ゴスペラーズを語る10曲」に選ばざるを得ない。
ストレートに好きだと言えないし、嫌いというものの自嘲が混じる。
「大嫌い、大嫌い、大好き」みたいなもの?

だから「愛憎」って思ったのかなぁ…(遠くを見る)

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さよならの物語(0)

「彼岸」というのは「彼の岸」だと思ったら、思い出されたのは、中盤に「川を渡る」から「プロになる」決意を描き、その心情に沿う形で披露された「参宮橋」-----
2001年3〜4月を駆け抜けたアカペラライブ「アカペラ街」のことでした。
2001年。
2006年の今や、もう5年前(!)のことであり、こうなれば「ひとつ時代前」の出来事であるだろう。そう思います。

今回、blogに、こうして過去に書いた文章を再録しようと思い立ったのは、前述の「彼の岸」もありましたが、何と言っても先日「replay」を久しぶりに(年単位、で、「久しぶり」ですよ)読んだところ、自分が言っていること自分がやっていることなのに「なんだ!?」という位に他人として読めて、かつ、可笑しかったから(別称:自画自賛グループに仲間入り)です。
その会話の中で「アカペラ三部作」に関して3人ケンケンガクガクやっているものの、思えば、過去に自分が書いた文章は先だっての過去のサイト云々…の時も掲載しておらず、何年もほったらかしていたことに、ここで改めて気づいて。まー今更こんなの何人が読むかわからんが、出してみますか、ねえ、過去の汚点とやらを!(爆笑)と思ったのです。


はじめに「さよならの物語」は、2部構成です。
「極私的アカペラ街論」という、ライブに関する考察。主題に関して突き詰めて考えてみよう。という一文、これがひとつ。
もうひとつが、そこから派生した「極私的村上てつや論」です。2001年4月の俺は、村上に関してこぉー思っていたのか!という。ここまでくると精神的恥部です。
是非とも(1)をお読みの上、(2)を読んでください。その順で読まないとわかりづらい構成になっているので。


2001年。3月、4月という「ブレイクしだした」時期のゴスペラーズの背中を観て。その5年前に、5年前に当時ありったけの、持ちえた情報だけで、これだけバカバカしくも考えておったといふ、このバカさ加減を。ご時世のファンの方に「あー、昔からファンだった人って、こんな観点で観ていたのね」程度に笑いながら斜め読んでくださったなら、それで十分。懐かしいと思った方は懐かしいとニヤッと笑って、今一度、ご確認ください。


さよならの物語(1)
さよならの物語(2)

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さよならの物語(2)

※この文章は「GO UP HILL」に2001年4月にweb上にあげられていたものを再録したものです。
「さよならの物語」は「極私的アカペラ街論」と「極私的村上てつや論」のふたつから成り立っております。これはその「極私的村上てつや論」の再録です。
カテゴリーを「monologue」に分類したのは「アカペラライブに関して」ではなく「私が思うに」で綴られた文章による、この一点です。
事前に「さよならの物語(1)」を読了後、お読みください。これを一読しないと、論の序盤の展開がわかりづらくなっております。何卒ご了承ください。

続きを読む "さよならの物語(2)"

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