<< Apr 2021 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  

情熱

近況といえば「3月に腰椎ヘルニアが発覚」の一行に尽きる。体にも金属疲労があろうよ、なぁ(溜息)と己の年齢を思い知る、さちサン@管理人でございます。
症状は左足膝下から足首にかけて顕著に出てますが「ヘルニア自体は左右に存在する」とは医者の弁。隠れヘルニア…!?(恐ろしい!)

家のご近所を数100メートル散歩する(恐らく400メートルも歩けない)(徒歩数分先の最寄りのバス停に行くのさえ、一息、ふた息、途中で入れないと歩けない)(散歩はリハビリの第一段階です)ことすら「大変なのでねえ」という今、自分の体が痛みなく動く状況は幸福なのだと思い知らされます。
思うのは、ライブに行くのは財力もそうだが(最初から財力、と、こうもはっきり言って御免)気力もいる、そして体力もいる。体も健康じゃないと無理(会場にも行けない)。と、思う。そして、これほど対象への情熱がないと続かない娯楽もない(爆)と思い知らされるわけです。同時に自分自身、更に自分の周囲が平穏無事で「行ける状況下」であるからこそ行けるのだ。と改めて思い知ります。

そんな折、「ニュースステーション」でOAされた「靴は履いたまま」のファイル(QuickTImeファイル、しかもversion、相当古い!Mac OSでも今、versionは7ですよ!)を見つけてしまい「あの頃は元気だったねえ、今と世代も違うからしょうがないとして…」とネガに思いつつ、自分自身にゴスペラーズに対する情熱があったのだなぁ…と改めて思い知らされます。
このOPテーマが流れていた頃、私はinternetの世界に入り込んだんでした。自宅開通は1998年7月。自宅にPC(Vaio)が届いて、DTI(プロバイダ)に接続して、で、あの頃ですから回線はISDNで。テレホ全盛期で。あの頃から数年は、まだ一部チャットに参加したこともある(笑)そして、1998年〜1999年当時は頻繁に余所の掲示板にコメントを書き残していたものだ。そんなことまで思い出されるのです。

ニュースステーションOP曲集より「6代目オープニング」

permalink | - | - | posted by さち(sachi)

シャツのボタン、3つ開けるのが流儀(ルール)。

日刊ゲン○イさん(敢えて伏せ字表現で行く)で今年1月下旬、桑野信義さんのインタビュー[total:5回]が掲載されていて、Martin先生の巻。という時。なのにインタビュー前半部がゴスペラーズの話だったのね(起爆)
「勉強」したんだ!と突っ込みながらも(詮索する気すらないが)
どうしてゴスペラーズに便乗してんだ!そこで!となりながらも。
まあ、ラッツもあるし。佐藤さんはゴスの恩師だし。多少は繋がり、あんだろうしなぁ…
そして、2月。
ゴスペラーズ+ラッツ=ゴスペラッツ。とな!(吃驚)

写真を観て思ったことがタイトルに出てしまう(笑)懲りない性分健在のさちサンです。今月はサイトの話で茶を濁そうと思ったのによぉ…(ごにょごにょ)
オイラの中で鈴木雅之先生の印象って「小田和正さんのアルバム『my home town』の「またたく星に願いを」後半の小田×Martin×竹善のコーラス三つ巴だよぉー、豪華だよぉーー」が、今も、ココロのベストテン第1位に輝くのですね。小田先生にあの曲調!ていふ曲のインパクトもあるんだが(爆)あのコーラス合戦は、あたくしの中でBIG3[さんま・タモリ・たけし]揃いぶみ状態なんですもの。忘れないわな。
♪い〜ーーーーっつまでぇーーも。わぁあーすれなぁあーーぁい<違う
(※引用したのは竹善先生パートです)

ただ。「G10」のあと。
長期休暇+個人活動→ゴスペラーズ再始動、という流れのなか、次は苗場ライブだ、だから後はツアーか!その前にアルバムか!待てよ、その前にシングルか!となっていたところに転がり込んだ話だろう。と思う、と。私はとんと思わないところだけど「気持ちの出ばなをくじかれた」と思う人もおるやもしれないな。と思う。
5人のゴスペラーズが観たぁいvvvといふ、ね。
んな中で気になるのは。ゴスペラッツの記事で、幾度も「ゴスの」と書き倒すスポーツ◎知は芸能記事の飛ばし加減。これに尽きる。ゴスですか!(吃驚)

最後に話題に出してまうたので、小田先生のアルバムを紹介し、退散します。どろん。

MY HOME TOWN
MY HOME TOWN
posted with amazlet on 06.02.11
小田和正
ファンハウス (1993/10/27)
売り上げランキング: 9,519

permalink | - | - | posted by さち(sachi)

伝説て。

今年も頭から郵便事故多発時期に懲りもせず送られて来た会報には非常に打ちのめされましたねえ…
伝説て。ええ。


実のところ、無事元日到着した会報は読まずに放置し(酒井雄二先生の対談相手が、いとうせいこう氏って段階で「対談相手の人選の限界を感じる」と思ふ)殆ど目を通さず(スクラップ用にカットする箇所もないねえ、遂に。と思いつつ)放ったらかしてた。
----、某さんから連絡をいただくまでは。

某さんから携帯にメールを頂くまで、巻頭のレポートなんて直視もしてない(爆笑)←本当に。
驚いたね。
何が伝説なのかは兎も角として!
(かつて『笑っていいとも!』で「マネージャーらしくない」と形容されたことがある!)
(彼がグラシアス入社の際に「将来の夢:馬主」と書いた、とか!)
(NACK5の「マネージャーのファンサイトがある」発言に知人筋として青くなったわ!)
(彼がMC役で一時期ライブのOPにコメントをぶちかましては退散してた、とかね!)
でも!でもだよ。
身内自ら「伝説」とのたまわっちゃうところに「あ、あのー、何を考えてんだ?何に迎合してんのさ」と突っ込みたくなるのですね。これは己の性分としても、ですが(自爆)
それでも。久々の彼のお姿(!)に「これはカットして、スクラップしとくべきか」と思い直しましたわ。ええ、竹内さんが好きだー!それの何が悪い!と宣言する人として必須でしょ<待て、をひ。

permalink | - | - | posted by さち(sachi)

ロマンス

今年も最後になるというので一年を振り返り、改めて思うのは『G10』というライブツアー、は、原田知世の「ロマンス」のよう。なんですね、なんとも把握の難しい喩えをするものだとお思いでしょうが。
全般的に起伏が激しくなく、かつ、ターーッと駆け抜けられてしまった印象が残る。ゴスペラーズが「一陣の風」状態、といえば言葉のさす方向性が掴みやすくなるのでしょうか。


前述のような結論を導きだした理由は、ライブの後、一晩寝たら、前日のライブの記憶がまったくなかったからだった。
帰りの新幹線の酷い顛末はございますが!それがあったとて「曲順は覚えてるけど、強烈に焼き付くものがなかったんだよねえ」→「ライブ自体の記憶がないねえ」と。
過去、そういうことがなかった。「中途半端なあたらしい世界じゃ」と酷評した『G5』でさえ覚えてたというのに。
参加本数を数えるのを40を越えた段階で放棄したし(本当)、今となれば過去のライブで覚えてないものは覚えてない!と実感している昨今だが「ああ!ゴスペラーズのライブを観た!という強い感触がない」ことに驚いた。
これまでの中でも長い時間、やった部類なのに。
--------、今年5月。知人間複数名の間で「ライブの記憶が薄いんだが…」というメールの応酬になったことは、今も記憶している。


それを彼らが自らわかってやっていたのなら『G10』はよしとしよう。
6月の入口で、そう踏ん切りをつけたのだ。
だからこそ、活動再開後が少し気にかかる。
今回の単館公演シリーズ(通称「冬シリーズ」と呼びましょうか?2001年の単館公演シリーズ→「秋シリーズ」を連想させるから)の曲順を見ての(聴いてない、観ちゃない、ここ重要)感想が「ゴスペラーズ本格運転開始なんだけど実際試運転みたいな」なんだわ(爆)
曲順を見て「うっわーいきなりエンジン全開じゃん」「ゴスペラーズ本領発揮ぃ★」と思い切れなかったんだ、どうしてだか。
悲しいかな「ライブの曲順だけじゃはかりかねるのがライブ」である。
事実、実際に目にしないと「なんともなー」の連発になるのだが、それでも、曲順から意図を推察するに(例えば、あの曲を入れたのはリベンジ?だとか、の、ヒントはある)「もう10年越えたんでしょ、大丈夫かいな」のひと言が出そうになる。


2005年から1994年を引くと、11年。
節目だから思うのか、「五鍵での「ついて来るなら、ついて来い」の先が、これ?」の失望は、二度も三度もしたくないよなぁ…(苦笑)と改めて、思う。

permalink | - | - | posted by さち(sachi)

1/5

親しい方から某所[mi○iさん]にてミュ−ジカル・バトンを受け取りました(言ってくだされば招待、出しますです)。
その質問の最後に「Five songs(tunes)I listen to a lot,or that mean a lot to me」とあったので、5曲、選びました。その中に「Higher」がありました。
思えば「私の20代」とやらを1曲であらわすのなら「Higher」という曲になってしまうんですね。
初めて聴いたのが、…、20歳だったし(自爆)

「リニューアル案」の中に書き起こした文章の核心という箇所だけを拾い上げて、大幅に(←ここポイント)加筆、削除などした上で掲載することにします。
この人が過去の文章をどう修正し、核心を拾うにあたり新たに文章を足したり引いたりして、多少はスタイルよくしてったかの過程も見えるでしょうから、そのへんも面白いやもしれぬ。と思いつつ。
かといって文章を捜すの、大変だろうけど。

「信じていこうか」「現在を壊していこうか」と「Higher」では歌われる。
「いこう」じゃない。
「いこうか」と。
なんだかそれは自己確認のようだ。
自信はある、けれど不安もある。だから自分に投げかけるのだ。
自分は大丈夫か。このまま、いけるか。
「いこうか」

正直な話、私は音楽に癒されたとは思わない(苦笑)それは明言するくらいだ。
癒しを欲して音楽を聴くような人じゃない、むしろ血を騒がせるものとして音楽を欲しがる。
けれど、20歳当時、体をド派手に壊して、それまで懸命に励んだものを切り捨てて、結果「なーんもない」「なにもしたいと思わない」「何が好きなんだろう?ってなってる」スッカラカンの私にとっては、サビのフレーズの中に見えたものが暗闇の中の仄かな明かりのように、何もない中の確かなものだった。
それこそ他人の存在を脅威に感じたほどだった。私は、この当時、他人を信じきれていない。なにせ他人を信じるのを辞めてしまったのだ、巧く周囲と渡り歩く為の代償として。
けれど思う。
こんな膠着状態の現状なんてくそくらえだ、けど、抜け出せてはいない。でしょう?


これが「信じていこう」という励ましだったら「促すなよ」って思ったんじゃないか。
「壊していこう」だったら「そうかなあ」と疑心を抱いただろう。
「信じていこうか」「壊していこうか」だったから、ストンと気持ちに響いた。
「あ、信じていいんだ」と素直に思えた。


この曲の歌詞の心理は正直、青臭さが残り、キツい。
「ラブソングを歌うゴスペラーズ」から入った人には「え?」と思わせる、相手に思わせてしまう曲だ。
それはそれで、先に印象づいたヒット曲などによるイメージの都合上、出るもの。
この曲がツアーの本編、ハイライトに置かれていた頃---遅くとも『FIVE KEYS』を携えてのツアー---を知っていると、反応が違う。現に『FIVE KEYS』以前からゴスペラーズが好きな人と話をすると「Higher」に関して出る言葉は、こういったものになるのだ。初期をリアルタイムに知れば、知るほど。
「「これじゃない?ゴスペラーズ」と思う曲だよね、「Higher」って」
感慨と共に。共感のまま、思い入れのままに。楽曲への理解、心情への理解、メンバーへの分析から来る理解、自分の心、そういうものを重ねて「Higher」という曲の存在の確かさを言葉にする。


「ごめんよー、ファーストアルバムの4曲目なんて地味な曲で盛り上がらせて」

1999年、「FIVE KEYS」ツアーも浜松公演での村上さんの言葉だ。
けれど、ファーストアルバムも4曲目の地味な曲が、「なりきり」という御膳立てナシに自然発生的客席大合唱にさせてたんだよ?(苦笑)
確かに安岡さんのパートになると声がフェードアウトする。けれど、黒沢さんのパートなどは客席が一緒に歌い上げる。しかも1番と2番の間奏のコーラス(歌詞カードに記載なし)も手を振り上げながら歌う。
かつて、1列目で観た時に歌いながら「これ、客席vs黒沢さんだよぉ」と思った。あれと向こう張って歌うんだから、この人たちはとんでもない。

「Higher」は思った以上に、ゴスペラーズが持つ人間臭く、泥臭い存在ってのを物語っている。その人間臭さや感情を焼き付けた歌詞が、人の心を揺さぶる。
人は壊したい、変わりたい、信じたい、そう思っていても膠着する現状に飲まれることが多い。
そして「いこう」「しよう」とポジティブに自分を鼓舞し、思い続けるのも、疲れる。
だから「いこうか」が、心から離れない。

『FIVE KEYS』というアルバムを提げた、1999年のツアーを最後に、この曲がハイライトに置かれることはなくなった。
その後は2002年「GT」日比谷野外音楽堂でハイライトに歌われて。それきりだ。
2000年のツアーは日替わりのデュエット、アコースティックで村上さんと酒井さんで、だったから。

permalink | - | - | posted by さち(sachi)
< monologue 8 | top |