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思う。で、書く。

過去の文章を拾い上げて行くと「こんなの書いてた!?」と思うモノもあれば、はっきり覚えがあるモノまであります。
「戻ってみる」のエントリーで触れた『Dressed up to the Nines』アルバムレビューというのが正面切って直球ストレートな表現ならば、「私はひとまずそう思った。で、忘れないうち書いておく」でダダッと他アーチストのアルバムに触れつつ逃走した、その後日の日記なんてーのは"明らかな"変化球。
ソングツリーというわけにはいかないのだが、このアルバムの、この箇所をこう伸ばすと、このアルバムの、この箇所にたどりつきやしないか。
-----、こういうのが考えるの好きだなあ昔から(苦笑)

『Dressed up to the Nines』は、一通り流して聴いた時「槇原の『Such(略』かねえ」と即、結論出したわけだけど『Be as One (通常盤)』の時は曲単位では「SLTの、あの曲の」だの出せてもアルバム一枚を此れ!と言い切れるアルバムを自分自身が知らなかった。正直な話、そういった「このアルバムって、こういうの?」のパターンに入るのが見いだせなかったのだ。で、出さないでおいたと。
そういうヒネた人だから『The Gospellers Works』って、言うなれば尾崎亜美の『POINTS』シリーズの拡大解釈。と今の今も『The Gospellers Works』のCD持ってないのに(大爆笑)思ったりするのよ。
いうなれば「外仕事」のマトメ。
尾崎亜美『POINTS』シリーズの場合、楽曲提供した曲を自分で歌い直す。なお、中島みゆきでも「この手の提供曲を自分で歌い直した」アルバムはある(事実、TOKIO「宙船」をセルフカバーされてるではないの!)。ので、時期によっては、こういうのは出ても、まあー、おかしくないさね。と奴らを温い目で観ていた。

それを経て、の、『Hurray!』考察、中間報告。
アルバム中、シングル曲として切り出した曲が6曲あんのね。
いろんな人と組んだりしちゃー、いるのね。
彼らのアルバムでいえば『Vol.4』ばりに楽曲楽曲に合わせて編曲(洋服)も着せ替えていて取り揃えは良くて、幕の内感覚が満載なんだけどなぁ…
-----、「Real tight」の濃さが懐かしいです(爆笑)
と思ったのは、どうしてなんだろ。そこんところ詰めたいので「中間報告」。

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戻ったまま戻らない(笑

『Be As One』がリリースされた時に「戻ってみる」と戻ってみたら、そのまんま此のブログに書いてねえの!
ということで『Be As One』リリースした頃に書いたレビュー、のようなものなのかなのかわからんがまあ書いたんだ(自爆)といった文章のひと塊への、ご案内。
もともと、の、本家というべき個人サイト。今はブログに移行してしましましたが、此処があって、分家としての「GO UP HILL」という位置づけで。先に書いたまま、此方に移植させるの忘れてました。
リンク、貼っておきます。
"traces"より「Be As One(2006)」

まあ、↑の個人的雑感を羅列した文章をチャチャッとまとめると
・えらく真っ向(勝負)、と思えた
・sg.曲と、そうでない曲との落差がない
・相変わらず楽曲のボトムに人力を使わねえな(起爆)
なんですが、そういう人がすーーーーーッかり疎遠になったのを踏まえてNew Album『Hurray!』を聴いたらどうなるか?これは、ひとつの人体実験だと思います(大爆笑)

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時の隔たり

『ウルフ』('96)と今回の『Paradise』の間には、片道2時間くらいで行ける近場の海でナンパしていたお兄ちゃんが、高級リゾートのプールサイドでカクテル片手のアバンチュールを楽しむほどの"時"の隔たりがあります。

------以上、「ゴスマニア」会報Vol.49、p.2、岩田雅之氏コメントより冒頭部抜粋
斜め読みする筈だった冊子の、この1行、このコメントだけで盛大に爆笑し、爆笑が引いた後にニヤリとしたのは、喩えが余りに的確だったからに因る。
今回の会報の酒井さんを見て「あーー、老けましたなあ、老いがこうも顔に出ますか」と思ったからだけじゃないぞ(起爆)
この手の業種(ミュージシャンと呼ばれる人種)にありがちな「歳とった筈なのに見目が変わらねえよ!」系じゃないんだよなあ、5人揃い揃って。なんつーか、的確に老けて行くって感じが(苦笑)

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三本勝負

今回のセルゲイ、3月に3会場、お邪魔しました。
自転車で行ける(実際"GT"の時は自転車で会場近くまで行きました、で"号泣"の時は会社から車です。平日でしたんで)浜松と、その前日に沼津、ここで初日(苦笑)
その2週後、三重県は津、の3会場。東海地区を東へ西へ。
津に入る前に伊勢神宮に行ったさ!「わ−い「サイコロ4」だーー」と言いながら←それは「どうでしょう」だ。

で。
ゴスペラーズさんの全国ツアーとなると5本を越えず、を繰り返すワタクシに「むかしっから〜、って人にしたら、さちさん、今回、本数多いほうだわ」というコメントを頂きました。
このコメント。今回、津公演にお誘いいただいた方からなんですが(微笑)

私の周りというのは、確かに"イケてなくイカさない"(それが良かったといえる)彼らの言動、その一方で試行錯誤の中に高水準を保った音楽を享受した1990年代を経て、2001年のファン層入り乱れをもろ被りしまくり(爆笑)を経て。そこまで歳月を重ねると境遇、立場、住居、いろんなものが変わって。
そんななか「まあ、昔は相当観たけども。さすがに今回は行けて1本かなあ」みたいな塩梅で、全国の、何処かの会場に紛れ込んでいる。
だから「参加本数:3本」というのは「多い」と。
だろうなあ、と。
変わって当然なのだから。
それに1999年あたりの勢いのままに今の今も、ってのは持続できないなあ…

"ゴスペラーズ坂ツアー2000"当時、まだ全国ツアーも総数20本程度の時代に
「いちばん観る人でツアー何本くらい観ているんですかね?」
と、ファンの子が当時のマネージャー氏に訊いた。って話を私は故あって知っているんですが、その答が
「前のツアー(FIVE KEYS)だと確か13本かなあ」
だったんですね。当時は「公演毎に振込用紙を書いて、期日までにお金を振り込めばチケットが押さえられた」という時代、だから、その人が申し込んだ本数=参加本数という把握が可能では、あった。だから具体的な数字が出て来たんだろうと思う。
で、アタクシ、その13本の人と2本、今回のセルゲイを観たんですけど(大爆笑)ええ、"G5"時点で「ゴスペラーズを100日以上観た」剛の者の彼女も"GT"あたりから徐々に本数、減ってんじゃなかろうか。
互いに「強運だ…」と思うのが「アカペラ港」をシアターアプル公演、それぞれ第一希望で通った!ってところなんだろうけど(汗)東京公演は落伍者多数、死屍累々な中。

まあ、それはおいておいて。
まだネタバレが出来ない状況下、なんですが(先日、大阪行ったらFM802で大阪城ホール公演のCM、相当うってましたね)、その中で、言えることをあげると。どうも私は「この曲をやった!嬉しい!」で完結しない自分がいることに今更ながら、気づかされました。
ゴスペラーズの時の思考の巡り、と言いますか。久々にそっちの回路が動いたから「今更ながら」「気づかされた」って言葉になってしまうのですが。「この曲をやった!嬉しい!」ってのはライブ中、あるんです。
今回、ある曲などはイントロで「あ、あれだ!」と思った途端、硬直した程です。
けれど、ライブ後、セットリストを書き上げながら「どうして彼ら、今回この曲やったんだろ?」って思うんですよ。
配された楽曲に奴らなりに何らかの意図があるんじゃないか?
そう"思わされて"何年も経っているからか、思考の巡りが其処へと行ってしまうんですね。くるくると。

"FIVE KEYS"ツアーは「FIVE KEYS」の曲中の科白「ついてくるなら、ついて来い」であり、ある種のファンのふるい落とし、で、あったんだと思う。だからこそ出た言葉だ。
それまでのスタイルを変えることによって興味を失う人はいるのは明らかだから。
そして、アジるように展開される「FIVE KEYS」という楽曲に集約されるとしたら。
或いは"GT"で、何故「Atlas」をやったのか。それは途中までMCにもされず、途中から彼らの言葉が入るようになりましたが(苦笑)そこに「Atlas」があった理由。
そういう思考の巡りが往時と変わらずスッと出来た、今も出来る自分がいることに驚いた。ってーのかなぁ…
なーんだライブレポート乱発の頃と変わらんじゃん、其処は。って感じで。

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こんなふうにして、終わるもの

今回のツアーも何処かの会場に紛れ込んでいる。
はず。
ただ、チケット=会場とは限りませんぜ。

んなくらいフラットな心境です。まだまだ昂らんなぁ(苦笑)気持が。

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