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シャツのボタン、3つ開けるのが流儀(ルール)。

日刊ゲン○イさん(敢えて伏せ字表現で行く)で今年1月下旬、桑野信義さんのインタビュー[total:5回]が掲載されていて、Martin先生の巻。という時。なのにインタビュー前半部がゴスペラーズの話だったのね(起爆)
「勉強」したんだ!と突っ込みながらも(詮索する気すらないが)
どうしてゴスペラーズに便乗してんだ!そこで!となりながらも。
まあ、ラッツもあるし。佐藤さんはゴスの恩師だし。多少は繋がり、あんだろうしなぁ…
そして、2月。
ゴスペラーズ+ラッツ=ゴスペラッツ。とな!(吃驚)

写真を観て思ったことがタイトルに出てしまう(笑)懲りない性分健在のさちサンです。今月はサイトの話で茶を濁そうと思ったのによぉ…(ごにょごにょ)
オイラの中で鈴木雅之先生の印象って「小田和正さんのアルバム『my home town』の「またたく星に願いを」後半の小田×Martin×竹善のコーラス三つ巴だよぉー、豪華だよぉーー」が、今も、ココロのベストテン第1位に輝くのですね。小田先生にあの曲調!ていふ曲のインパクトもあるんだが(爆)あのコーラス合戦は、あたくしの中でBIG3[さんま・タモリ・たけし]揃いぶみ状態なんですもの。忘れないわな。
♪い〜ーーーーっつまでぇーーも。わぁあーすれなぁあーーぁい<違う
(※引用したのは竹善先生パートです)

ただ。「G10」のあと。
長期休暇+個人活動→ゴスペラーズ再始動、という流れのなか、次は苗場ライブだ、だから後はツアーか!その前にアルバムか!待てよ、その前にシングルか!となっていたところに転がり込んだ話だろう。と思う、と。私はとんと思わないところだけど「気持ちの出ばなをくじかれた」と思う人もおるやもしれないな。と思う。
5人のゴスペラーズが観たぁいvvvといふ、ね。
んな中で気になるのは。ゴスペラッツの記事で、幾度も「ゴスの」と書き倒すスポーツ◎知は芸能記事の飛ばし加減。これに尽きる。ゴスですか!(吃驚)

最後に話題に出してまうたので、小田先生のアルバムを紹介し、退散します。どろん。

MY HOME TOWN
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振り返る。

カテゴリ「about」に入れるのもチト横暴だと思って、カテゴリを一応…(自爆)
過去の「GO UP HILL」って、どんなデザインのサイトだったろう?ってのを日記サイトでは以前(2003年!)に特集していたので、ここでも特集してみます。
なので全然ゴスペラーズの話題、ないです(キッパリ)


まず開設当時のサイトです。アップデートは1999年2月になります。作ったのは前の年(1998年)の年末…、じゃなかったかなぁ…
今じゃ想像もつかないのですが、当時は画像を使ってなかったのでした。サイトやりだして1年はやらなかったですね、画像使うのは。断固としてやらなかった。まだ画像に対する勉強も足りてない、てのもありましたから。
1999年にFireworksを知って、以降は面白くなってやってましたけど、1998年〜1999年当時はナローバンドの時代だったように記憶してます。だから今のように画像ガンガンやっても表示するのにストレスがない!という時代じゃなかったので「画像ガッチリ作り込む」なんてのは忍びなかった、なので、しなかったんですね。
しかも英字が全角!2byte文字だもの。唖然とするわ…
でも、さすがに実はページ5分割(本当)は放棄しまして(自爆)シンプルな2分割のフレームを使ってのトップページの頃。これは作成:2000年だろうかと。
これは凄いぞ、誕生日モノ2連発で(私にも「誕生日を祝う」頃があったのか)!今じゃやろうとも思わないですが(動く気配もない)当時はやってましたねえ熱心に。
まず安岡さんの誕生日の時ですね、で「2000年来るのを前倒したんだよ、あの人は。誰が誕生日当日に祝うってか、前倒してやる!」と本当に誕生日を前倒してサーバーにあげたのが酒井さんの誕生日の時でした。
こっぱずかしいかな、これは当時のメッセージもあります。今じゃ書かないよ、若気の至りです。だから読んでおけ是非(暴君状態)。でも、酒井さんの誕生日の時の画像は自分で撮った写真(@御茶の水ニコライ堂)に文字を入れてデスクトップカレンダーを作ったんですね。これは自分で見ても好きです。よかないかい?(爆)自画自賛(自爆)

その合間にも「GO UP HILL」から派生するように枝葉サイトを作ってました。今では「枝葉」だと思うので「presents」という括りになるのかなー、と思いますが、当初は計画性ナシ。作りたいから作ってた、そんな調子でした。
サイト初期のリンク先、よぉく見ると「Featuring Web」なんてありますが、あれもそうでしたね。酒井さんFeaturingのサイト、当時はひとりのメンバーを対象にしたサイト、なかったですから。それもあって「語録でやりたーい」と、やってみてたのでした。
今なら、かの竹内さんファンを繋ぐサイト(takeuchi-webnetさん)も、この位置にあるサイトですね。あと2つある対談サイトも、そうなるのかなぁと。なんというか、サイトやっていく中で常にニッチ(隙間)に手を伸ばすのが好きだったんですね。人がやらないところを、やる。コアな、というか、マニア過ぎる、といいますか。
そんな中でも有益だったと思われるのが1999年の冬にやらかした「苗場率向上委員会」のサイトじゃないでしょうか?これこれですよ!
このふたつ「懐かしい!」と思ってご覧になった方、相当、昔から。ですね(ニタニタリ)と返しておきます。ええ。本当にコレは貴重、期間限定でしたから(実際「Limited」という単語が何ヶ所か散見される)。私も思いました「酷い!でも懐かしい!」←酷い!というのは作成者としての立場で。
なにせ当時は「苗場のチケが余る」頃でした。アカ人の時に参加したんですが、その時、いちばん売れてなかったのって苗場じゃないかと。「向上委員会」は「アカ門」になるのか、だから(今、気づいた)、2000年のアカペラライブだから。
だから「向上委員会」だったんですね、架空団体と称してますが、まあ、シャレです。「苗場率」というのは「ファンの中で苗場に行く人の率」ってのを「苗場率」と称したことから来ています。

このへんで少し、お腹いっぱいだろう。と思います。中休み(逃亡)

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