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戻ってみる。

『FIVE KEYS』を思い出した。いや、正確には『FIVE KEYS』の頃の彼らの姿に始まってメディア露出の際の反応とかを思い出した。もっと突き詰めれば、あの言葉を思い出したのだが。
「お前ら、無理してんじゃないのう?」
TVで初対面で斬り出された言葉を思い出したら、あれはもう何年前だ?となり頭の中で単純な引き算をする。それでも、もう5年前。せいぜい4年半は前、昔の出来事になる。

『Dressed up to the Nines』とタイトルされた今回のアルバムを聴いて一番に思ったことを端的にいえば「年相応になった」に尽きるだろう。
タイトルにある「ドレスアップ」という意味合いと、私が思うことは逆になるだろう。ともすれば背伸びして、大人を気取って、めかして。イッチョ前の勝負をキメに。そういった「ハレ」のドレスアップから外れる。
思うに、音楽でいう「ソウル」は時に「粋」を競う音楽だ。
シャウトに魂を込めていくことも、見えない涙を歌に込めることもソウルだ。しかし、同時に人間の粋が勝負の鍵になると私は思う。
剥き出しの人間の粋。
だから自らをドレスアップした時に自ら光を放ち、映える。
スーツを着こなすのであり、スーツに着られるのではない。雰囲気を作るのであり、雰囲気に飲まれるのではない。それだけの、人間の成熟が必要条件となる。

アルバムのジャケット写真を見る。
何年ぶりだろう、ツッ込みはすれ比較的笑わずにジャケットを見ることが出来たのは。
『FIVE KEYS』の時は見ている此方がシンドくなるほど、そこに無理が生じていたのに。そう思った。カッコつけることが滑稽にも思えたのに。カッコつけはしても、今は笑わずに普通に見ていられる。
慣らされたのかもしれない。けれど、慣らされただけじゃない。彼ら自身に『FIVE KEYS』当時はあって今はないもの、無理がないのだ。だから入ってゆける。

過去、私は「熱帯夜」をライブで観て苦笑を漏らし、「永遠に」に至っては数ヶ月に渡りダウトを出し続けた。それは「似つかわしくない」「らしくない」と観ている此方が思えての反応だ。どっかしらに無理があるもの。
大人の男性の歌を歌ったとしても、歌い手自身の背中から出るものが成熟しない限りはシンドい。そう思っていた。正直、ゴスペラーズの背伸びを全面的に受け入れるにはシンドいと思っていたのだ。
事ソウルならば、それは年齢が幼ければ「早熟だ」と言い切られて、もてはやされる。年齢を上回る素養と才覚があれば「天才だ」と称賛される。しかし年齢がゆくと、そういったコメント自体がついて回ることはない。
むしろ「実」が問われる、音楽の持つ中身と外身との折り合いを年齢と共に重ねて行けるのか?

アルバム冒頭の「Right On,Babe」、それに続く「You're my girl」まで、個人的に、これまでのゴスペラーズにあった音楽的財産をrebuildかけてbrushしてドン!!どうでしょう?といった印象があった。
どこかしら過去のゴスペラーズが新曲の中に断片として存在している、そう思った。ひとり勝手に垣間見ては、そのたびに覚えがあると思った。
しかし「Refrections」で「違う」と思った。実のところは「違う」以上だった。「そんなん斬られた」と思った。完敗だった。
「熱帯夜」のremixを思わせるスムーズで熱を帯びたバッキングを縦横無尽に駆ける、5色の声。ふたつのうねりで攻めたかと思えば、追いかけたり離れたり。時に交錯し、スルーを繰り返す。

そして、ジャケット写真に目を落とす。
その立ち姿に無理はない。ヘッドフォンから耳にする5人の歌声に、過去「無理してんじゃないの?」と思わせた点がない。
スーツに着られるのではなく、着こなす。歌の主人公に歌い手が踊らされるようなことなんて、ここにはない。現実感に乏しいと思えた頃があったことが嘘のようだ。現実感を伴って、無理なく、そこにある。
曲の世界を声は構築する、その世界に委ねればいい。この音楽に身体を預ければいい。
-------、歌の主人公の持つ年齢相応になった?

「んでしょうな、これで漸く」

しかし、それは過去に「無理してんじゃないのう?」と斬られた日があったからこそ、今は相応に思えるのだろう。
でも…、慣らされたのかなあ(起爆)

-----以上、diary[040311]より一部抜粋
えー。過去の文章を敢えて取り上げてみました。
ちょうど『Be as One』 (初回限定盤)(DVD付)/(通常盤)が出て最初の週末が終わったわけですけど、漸く手元に!Amazon経由で届きましたよ。私にも。というわけでiTuneにオトして、聴いてます。
まともに曲を全部聴いたのは偶然居合わせた中古CD店で耳にした「Platinum Kiss」のみ(本当)という有様で聴きながら思ったのは
「前のアルバムに関して、文章、出していたな」
ということでした。
『Be as One』の前、『G10』の前。
『Dressed up to the Nines』というアルバムに関して書いた文章がある。
思い出してみよう。
一度、そこまで戻ってみようか。

当時の私が一度、聴いた段階で書いたのが上の、引用した文章です。
更なる考察や逸脱した話は、当該日(040311)や、その後にございます。物珍しいと思ってご笑覧していただければ。
しっかし、こうもbottomに人力を使わないとは!(吃驚)これって『Love Notes』状態ですよ、クレジットマニア物申すが。

permalink | - | - | posted by さち(sachi)

週刊月刊隔週刊

久々に「live」カテゴリー以外で、新しい記事を投稿する状態に「心離れ」という単語が浮かびますが…
それは横に置いて。


ゴスペラーズ、2001年以降はアルバム提げてのツアーとなると長丁場が相場となっておりますね。
昔を思い起こせば(「永遠に」は歌っていたが)ブレイク手前だった「ゴスペラーズ坂ツアー2000」(2000)は総数24本、このうち5本。
浜松(11/2)、沼津(11/3)、名古屋(12/3)、中野×2(12/8、12/10)に参加していたので当時「ツアーの総括しようと思えば総括を出せるわぁ」なんて余裕こいて笑って言っておりました。が、その後の奴らの軌跡はご存知の通り。
結果、1ツアー単位の通算本数は増える。一方、この人の参加本数は横ばいの一路。
内訳を晒すと「GT」(2002)は5本、こんなカンジ。
・4月:宇都宮(4/4)、八王子(4/7)
・5月:秋田(5/18)
・6月:沼津(6/6)、浜松(6/7)
静岡2公演後にW杯コンサート(6/28)を観ていて、彼らのツアーの合間に東京でBeautiful Songs(4/13)、大阪でCROSS YOUR FINGERS(5/4)観てるんですから、自分のこととはいえ機動力有り余り具合に恐れ入る次第です。
当時をより思い出す為に「GT」ツアー開始前の2002年3月14日の日記を一部抜粋します。

47分の11、これは今度の日曜日からツアー開始のゴスペラーズ、彼らの一都四県[東京・千葉・埼玉・神奈川]のツアー開催本数です。
神奈川が2、八王子、大宮と千葉が1ずつで3、中野が全部で6公演となると、ハイ(笑)11ですね。
て考えるとさ、本数だけ見るとホント首都圏重視じゃないか!!って思えません?
しかも一都四県の最大の特徴、この界隈は全部電車で動けてしまう。だから、千葉から神奈川、神奈川から千葉(どちらも横須賀線総武線快速で行けるわ)そんなのが思った以上に出来る。
つまり、はだね。遠征なんぞもくろむことなく複数公演、最低5本以上観ようと思ったなら、たとえば首都圏にいて、ならば。11本のうち半数のチケットを押さえ切れていればいいわけですよね、ってことに気づくわけ。
基本的に「県が違うから無理」なんて発想が、特に、この一都四県ではないといっていい。一大首都圏エリアだって、むしろグローバルに考えてしまう、私がいたりする。
いやなにせ「あー。カナケン?地元だけどさ、私、あそこを地元だと思って観たこと、ないんだわ」
じゃ、これに初日の群馬、4月の宇都宮、北関東を足してみます、関東地区だけで13。割り算してみ?北関東を含めた関東で13本だと全体の25%、越えるんだよ(0.2765…と割り切れない)。
そりゃ本数に制限なければ複数名で保険もかけることになるし、交換条件でのチケット譲渡の話になるでせうに。

-----以上、diary[020314]より一部抜粋
日比谷野音が出ていない時点の数字なので、実際は、この書いた当時(2002年3月)より増加してます。
2002年当時、ツアー日程を見て思ったことは「(自分の住む)首都圏近郊で観るか否か」でした。
私の場合、2001年「凱旋門」ツアーで武道館FC優先で落選が頭にあったからかもしれません(中野は確保できたが人に譲ったのであって無きが如し)。なんというか「確実に取れる」感覚といいましょうか、保証が何もないと思えた。場所にこだわり過ぎたら危ないな、と思ったくらいに。
最終的に。このツアー、静岡2公演(個人的に「静岡シリーズ」と呼ぶ)を取るなら、首都圏全部諦める。それっくらいの覚悟を決めました。そうしないと参加するのもおこがましい、それっくらい思い詰めてもいた。
一都四県の争奪戦に参加しない。まだ多摩川越えた所に居住地を構えていた頃だったので、話題が関東、首都圏寄りなのは否めない事実です。だから47分の11なんていう発言にもなるし、北関東を含めれば、なる発言も出ています。
こう書くことで「地方が如何に努力しないと、たった1本の公演すら観に行けないか!それを解消する為に奴ら全国回ってるんだ」ってのも浮き彫りになる、と思いたいのですが…
話を少し戻しますね。「一都四県」にこだわりすぎない(苦笑)結果、移動可能な幅を広げて、北関東(スタレビの根本要さんの発言を借りれば「埼玉県北部も南東北」)は栃木、宇都宮の公演を押さえます。でも、これはFC経由ではなく、私が当時登録していた某イベンター経由で確保したもの。席は「なりきり」で村上さんからパートの指導が入らず(爆笑)忘れられた「3階席」でした。
この時の経験を生かして(東北新幹線使えば神奈川県内だろーと当日帰るの出来る!と知っちゃった、これはデカかった)後日、スガシカオさんを観に宇都宮を再訪することになるとは!(大爆笑)あの時は夢にも思ってなかったさー、なんてことも起こるわけですが、それはまた別の話。
最後に。「GT」の八王子は本当に他人のご好意、本当に棚ぼたでした。ツアー開始前も、開始後も、そして当初から計算に入れていません。もしも首都圏で観れるものなら、どの会場でも、それは儲けだ。そう思っていました。


その2年後、「号泣」(2004)に至ってはツアー前半戦の日程が出た段階で、かなり放棄モード(苦笑)と化しまして。どうも場所と日程と己の3つが噛み合わないんだ!
結局
・6月:三重・津(6/26)
・8月:浜松(8/9)、沼津(8/10)
・9月:東京(9/23)
ツアーの前半と後半、その折り返し直前の公演をどうにか観ることで「前半戦参加」とし。ツアー後半戦は、静岡2公演を押さえられたらネ申降臨モノ。東名阪の都市圏オオバコ、何処か1ヶ所はキープして。という内容となりました。


長期ツアーになって。自分が行く日を手帳に書き込み「今月は此処、来月は…」とやっていると「それって月刊誌みたいじゃん」と思ったことから、以来、参加する間隔を「月刊」「週刊」「隔週刊」「隔月刊」等、雑誌の出版間隔になぞらえて呼び習わすようになって久しいです。
今度の「セルゲイ」を、どういった日程で攻めるのかは想像にお任せしますが今回「月刊」のペースになるのか、「隔月刊」あたりになってまうのか。ハッキリしているのは「有休取得も出来ない今年中に観れるわけないじゃん」ですかね。

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