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ロマンス

今年も最後になるというので一年を振り返り、改めて思うのは『G10』というライブツアー、は、原田知世の「ロマンス」のよう。なんですね、なんとも把握の難しい喩えをするものだとお思いでしょうが。
全般的に起伏が激しくなく、かつ、ターーッと駆け抜けられてしまった印象が残る。ゴスペラーズが「一陣の風」状態、といえば言葉のさす方向性が掴みやすくなるのでしょうか。


前述のような結論を導きだした理由は、ライブの後、一晩寝たら、前日のライブの記憶がまったくなかったからだった。
帰りの新幹線の酷い顛末はございますが!それがあったとて「曲順は覚えてるけど、強烈に焼き付くものがなかったんだよねえ」→「ライブ自体の記憶がないねえ」と。
過去、そういうことがなかった。「中途半端なあたらしい世界じゃ」と酷評した『G5』でさえ覚えてたというのに。
参加本数を数えるのを40を越えた段階で放棄したし(本当)、今となれば過去のライブで覚えてないものは覚えてない!と実感している昨今だが「ああ!ゴスペラーズのライブを観た!という強い感触がない」ことに驚いた。
これまでの中でも長い時間、やった部類なのに。
--------、今年5月。知人間複数名の間で「ライブの記憶が薄いんだが…」というメールの応酬になったことは、今も記憶している。


それを彼らが自らわかってやっていたのなら『G10』はよしとしよう。
6月の入口で、そう踏ん切りをつけたのだ。
だからこそ、活動再開後が少し気にかかる。
今回の単館公演シリーズ(通称「冬シリーズ」と呼びましょうか?2001年の単館公演シリーズ→「秋シリーズ」を連想させるから)の曲順を見ての(聴いてない、観ちゃない、ここ重要)感想が「ゴスペラーズ本格運転開始なんだけど実際試運転みたいな」なんだわ(爆)
曲順を見て「うっわーいきなりエンジン全開じゃん」「ゴスペラーズ本領発揮ぃ★」と思い切れなかったんだ、どうしてだか。
悲しいかな「ライブの曲順だけじゃはかりかねるのがライブ」である。
事実、実際に目にしないと「なんともなー」の連発になるのだが、それでも、曲順から意図を推察するに(例えば、あの曲を入れたのはリベンジ?だとか、の、ヒントはある)「もう10年越えたんでしょ、大丈夫かいな」のひと言が出そうになる。


2005年から1994年を引くと、11年。
節目だから思うのか、「五鍵での「ついて来るなら、ついて来い」の先が、これ?」の失望は、二度も三度もしたくないよなぁ…(苦笑)と改めて、思う。

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1/5

親しい方から某所[mi○iさん]にてミュ−ジカル・バトンを受け取りました(言ってくだされば招待、出しますです)。
その質問の最後に「Five songs(tunes)I listen to a lot,or that mean a lot to me」とあったので、5曲、選びました。その中に「Higher」がありました。
思えば「私の20代」とやらを1曲であらわすのなら「Higher」という曲になってしまうんですね。
初めて聴いたのが、…、20歳だったし(自爆)

「リニューアル案」の中に書き起こした文章の核心という箇所だけを拾い上げて、大幅に(←ここポイント)加筆、削除などした上で掲載することにします。
この人が過去の文章をどう修正し、核心を拾うにあたり新たに文章を足したり引いたりして、多少はスタイルよくしてったかの過程も見えるでしょうから、そのへんも面白いやもしれぬ。と思いつつ。
かといって文章を捜すの、大変だろうけど。

「信じていこうか」「現在を壊していこうか」と「Higher」では歌われる。
「いこう」じゃない。
「いこうか」と。
なんだかそれは自己確認のようだ。
自信はある、けれど不安もある。だから自分に投げかけるのだ。
自分は大丈夫か。このまま、いけるか。
「いこうか」

正直な話、私は音楽に癒されたとは思わない(苦笑)それは明言するくらいだ。
癒しを欲して音楽を聴くような人じゃない、むしろ血を騒がせるものとして音楽を欲しがる。
けれど、20歳当時、体をド派手に壊して、それまで懸命に励んだものを切り捨てて、結果「なーんもない」「なにもしたいと思わない」「何が好きなんだろう?ってなってる」スッカラカンの私にとっては、サビのフレーズの中に見えたものが暗闇の中の仄かな明かりのように、何もない中の確かなものだった。
それこそ他人の存在を脅威に感じたほどだった。私は、この当時、他人を信じきれていない。なにせ他人を信じるのを辞めてしまったのだ、巧く周囲と渡り歩く為の代償として。
けれど思う。
こんな膠着状態の現状なんてくそくらえだ、けど、抜け出せてはいない。でしょう?


これが「信じていこう」という励ましだったら「促すなよ」って思ったんじゃないか。
「壊していこう」だったら「そうかなあ」と疑心を抱いただろう。
「信じていこうか」「壊していこうか」だったから、ストンと気持ちに響いた。
「あ、信じていいんだ」と素直に思えた。


この曲の歌詞の心理は正直、青臭さが残り、キツい。
「ラブソングを歌うゴスペラーズ」から入った人には「え?」と思わせる、相手に思わせてしまう曲だ。
それはそれで、先に印象づいたヒット曲などによるイメージの都合上、出るもの。
この曲がツアーの本編、ハイライトに置かれていた頃---遅くとも『FIVE KEYS』を携えてのツアー---を知っていると、反応が違う。現に『FIVE KEYS』以前からゴスペラーズが好きな人と話をすると「Higher」に関して出る言葉は、こういったものになるのだ。初期をリアルタイムに知れば、知るほど。
「「これじゃない?ゴスペラーズ」と思う曲だよね、「Higher」って」
感慨と共に。共感のまま、思い入れのままに。楽曲への理解、心情への理解、メンバーへの分析から来る理解、自分の心、そういうものを重ねて「Higher」という曲の存在の確かさを言葉にする。


「ごめんよー、ファーストアルバムの4曲目なんて地味な曲で盛り上がらせて」

1999年、「FIVE KEYS」ツアーも浜松公演での村上さんの言葉だ。
けれど、ファーストアルバムも4曲目の地味な曲が、「なりきり」という御膳立てナシに自然発生的客席大合唱にさせてたんだよ?(苦笑)
確かに安岡さんのパートになると声がフェードアウトする。けれど、黒沢さんのパートなどは客席が一緒に歌い上げる。しかも1番と2番の間奏のコーラス(歌詞カードに記載なし)も手を振り上げながら歌う。
かつて、1列目で観た時に歌いながら「これ、客席vs黒沢さんだよぉ」と思った。あれと向こう張って歌うんだから、この人たちはとんでもない。

「Higher」は思った以上に、ゴスペラーズが持つ人間臭く、泥臭い存在ってのを物語っている。その人間臭さや感情を焼き付けた歌詞が、人の心を揺さぶる。
人は壊したい、変わりたい、信じたい、そう思っていても膠着する現状に飲まれることが多い。
そして「いこう」「しよう」とポジティブに自分を鼓舞し、思い続けるのも、疲れる。
だから「いこうか」が、心から離れない。

『FIVE KEYS』というアルバムを提げた、1999年のツアーを最後に、この曲がハイライトに置かれることはなくなった。
その後は2002年「GT」日比谷野外音楽堂でハイライトに歌われて。それきりだ。
2000年のツアーは日替わりのデュエット、アコースティックで村上さんと酒井さんで、だったから。

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