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きのう
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ひとこと
なんつーか、まぁ、人生ネタです。
昨日は日記書けなかったよ…、ちょっと急いでたので、それどころではなく、簡単に感想を終わらせるのもなんだと思いまして。あと長文ひとことシリーズ(いつシリーズ化したん?)もうちょっとネタがあるので、ここでやめてしまうのはちと悲しく。
14日
に書いた、人としてダメだろう視聴形態を長く続けていることにより、アニメならたいていのものは楽しめるようになった光希桃ですが、この「何でも楽しむこと」に対してはちとコツがあります。もっとも、前書いた通り、自分の中でそれは自動化されてるんですけど。
制作サイドの意図を汲もう
これが基本ですね。制作サイドがどのような意志を持って、そのシーンを作り、そこで何を見せたいのか考えます。これがちゃんとできれば
制作サイドがそれをおもしろいと思っている限り
、おもしろがることができます。「何を見せたいか」というのは、そのシーンで何を汲んで、
何を汲まないか
を考えることです。制作サイドが特に意識しないで作ったけど、視聴者サイドには意識せざるを得ないようなものは結構あるものです(男女差別発言とか、時代考証のミスとか)、そこにこだわらずに、「何を見せたかったのか」だけを拾うことで、物語が素直に楽しめるようになります。また、制作サイドがわかっているけどやめられなかったヘボ演出、ヘボ作画等はできる限り脳内補完します。
また、意図された対象年齢を考慮し、自分の精神年齢をコントロールするのも大事ですね。
声を聞こう
声優見というやつです。あまりにも見ていてあくびが出るようなストーリーが展開されている時はこっちに注目してみるのもありです。知ってる(わかる)声優さんが出ている場合は、他作品との演技の違いを気にしてみるのもまた。
萌えてみよう
多少1と被るところもあると思いますが、世の中別に萌え推奨アニメだけじゃないですし。
自分は基本的に萌え否定派なんであんまり得意な楽しみ方じゃないんですけど、最近のアニメはこれをするだけで大多数が楽しめてしまいますな。問題は絵が崩れるとかなり難しくなるところですな、そんな時は声とのコンボでカバーするしか。
萌えること自体が苦手な人は「萌え観測」をするのも結構おもしろいです。ある人が言ってました「萌えは記号だ」と。キャラデザや演出的に「どこに萌えさせようとしているのか」を気にして見てみましょう。
絵を見よう
絵を見る、というのは決して萌えることだけじゃありません。普通に「作画」のことを指したり「構図」だったりするわけです。きれいな絵は、それだけで幸せになれる可能性があるものです。
展開を予想しよう
この先の物語の展開を予想してみるのもまたおもしろいですね。まぁ
わかりきってるようなやつ
だとこれをやると逆に楽しめなくなっちゃうこともありますが。
技術を感じよう
アニメは日々進化しています(きっと)。最近だとデジタル化や3DCGとの合成とかがありますね。その辺の発展途上の技術だと、新しい技術への挑戦とか、新技術を使ったアイディアが盛り込まれることがあって、そういうのを見ると「あぁ、なるほど、そう見せるのね」とか思うわけです。意図を汲む作業と合わせてみると技術に感動したり。
あと技術は新しいことばかりでもないので、アニメ独自の演出とかその作品の監督等の技術とかも「ほー、巧いなぁ」とか見るのもありです。でも「巧い」場合はそんなこと気にするより素直に物語見てた方が幸せになれると思いますけど。
妄想してみよう
1の逆にあたるものですね。制作サイドの表向きに見せたいこと(爆)から外れて、その作品の世界を使って妄想します。「同人」的なテクニックですかな。例えば「×」はだいたいそうですな。うちだとハム太郎のカナちゃんの黒い話とかがそういう楽しみ方ですなぁ。
頭のネジを外そう
最終奥義(^^;。あまりにあまりでイライラするときはもはやネジを外して耐えるしかない…。さぁ、乾いた声で「あははー」。
一応、今思い出せるのはこれぐらいかな。あとうち限定だと「感想でネタを書いてみよう」というのもありますな(爆)。何度も言うけど、私はアニメに関してこの作業が「自動化」されています。でもアニメ以外は自動化されていないし、上記の要素がないことも多々なので、それを楽しむ事に対して少々ハードルがあります。無理して実写とか見ても幸せになれる確率はかなり低いです。自分の人生のためにはそっちも頑張った方がいいのはわかりきってますけど、今の楽しさを捨ててまでやりたくもないことやるのもどうかと思いますからなぁ。しかも、それやると普通の人生になっちゃうし。
なんつーか、まぁ、人生ネタです。
今日のアニメ(水曜日)
▽キン肉マンII世
▽シャーマンキング
▽X(BS)
▽テニスの王子様
●ヒカルの碁「三度目の対局」
確かに、塔矢がいかにこの対局をするために頑張ってきたかのを考えると重いが、目の前にある「塔矢と対戦するチャンス」を逃すのも捨てがたい。「塔矢のため」に佐為に打ってもらっていたけど「自分のために」打つのも間違った選択ではない。
ヒカルの涙は負けた悔しさだけではなく、「塔矢を怒らせるような実力しかない」ことに対する憤慨もあるのだろう。
同様に塔矢の震えは対戦できる喜びだけでなく、ヒカル(佐為)と対戦する恐ろしさからも来ているのだろう。
▽Hellsing(終)
今日のビデオ見
なし
記号の説明
◎:見て感想あり
×:見たけど感想なし
▽:今日は都合により見られなかったのでビデオ送り
◆:まだ放映前か、まだアップロードしていないもの。とりあえずリストにしておくと便利なので。
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