そして、鯨の夏のなか。(休閑話)



(2002/08/01)
 

タイトル、非常に詩的ですが、意味…。8月に入ったから「八月の鯨」だから「鯨の夏」って…
猛暑に頭がイカレていますな、そういうことにしておいてください。
随分と、ええ、本当に随分と、この「裏ページ」というのを更新していませんでした。
更新しなかったのか、更新できなかったのかは私だけが知る(爆)という有様ですが、リニューアルしたり他にも水面下で動いていたことがあれ、これ、それ、どれだ?(自爆)ってな有様で散逸気味です。…、私の脳みその中が散らかし放題(自爆)
 

「坂の途中」を放置するだけしていた間に、ゴスペラーズは2001年の音楽シーンを考察する時のキーワードにまでなっていました。
アカペラ、男性R&B、男性ボーカルブーム…
そういった経緯から、ファンになって、まだゴスペラーズと過ごした日々が少ない人も多いだろうと思います。
今日は「休閑話」と称して、今回、裏ペイジをリ・デザイン、リニューアルした中で触れておいたほうが良いだろう「当時の背景」に触れられるようにしようと思いました、なので休閑話ですが思い出話です(キッパリ)
 

「坂の途中」でいちばん新しい作品が「売れる矛盾」
これを書いた時は、目次に書いたとおり「永遠に」が出る前のことです(日付も2000年7月です)。で、FCの集いに行った人から新曲だった「永遠に」の感想をいくつか、頂いた頃だと思います。
他のアーチストの名前を出して、ゴスペラーズの状況と比較するという手法が、この時ほど際立って出ていると思います。というのは、他と対比させない限り、長所も短所も説明できないのではないか?といったことを考えると、出さないと説明の仕様がないんですね。
平井堅ちゃんのスタイルと対比させることで、ゴスペラーズのとった手法がどういうものだったか明示できたのではないか?双方のスタイルの浮き彫りに出来たのではないか?と思います。
もうひとつが、Sing Like Talkingで出てきた「売れる」云々の話によって「音楽を売ること」が、どういったことなのか?というアプローチをすることでした。
「ゴスペラーズが「売れる」ことで何を得て、何を失うのか?」
読み返してみると、当時は、そこまで踏み込めてかけていないように思います。
ゴスペラーズのアルバムの作り方、出来方に触れながら、彼らがどういった試行錯誤をしてきたのか、私なりに言葉を拾い、言葉の裏の当時の状況を探り、そこから推察したことを書くことも、この時のテーマにありました。
けれど、終盤に太字で表現したように「歌いたい歌を歌ってきたから、人の心を打つ」ということは忘れていけないことだと思います。
 

さて、この調子で遡りましょう。「隣のお兄さんは好きですか?」です。
これはタイトルの段階で「キレイなお姉さんは好きですか?」からひっぱってきていますが、その通りです(爆笑)
親近感たっぷりだった彼らが、後に松尾KC潔さんをして「二枚目に」@『日経エンターテイメント』、徹することができるようになっていくわけですが、二枚目に育つ過程の中で、どういったことが起こっていたか?なの、かなあ…
この文章には、どうも、それが山ほどちりばめられていて懐かしいほどです。
なんというんでしょうね、『FIVE KEYS』界隈から、シングル「ひとり」に行くまでの間、ええかっこしいだと思えてしょうがなかったんですよ。外側のスタイリッシュさや、大人びたところに、彼ら自身が間に合ってない(起爆)そう思うと「隣のお兄さん」の呪縛は深く、そして頑強なものだったのだなあ…
そして、当時のファンの呼吸。これに尽きます、彼らのコメントに対して倍に返す(大爆笑)このまぜっ返しの精神こそが「ゴス的」だとも言えました。
 

「拮抗する声の行方は」ですが、これに関しては…
これの続編を書いていて頓挫したままデータ消去の憂き目に遭いました(爆)力作だったのにい、あうあう(号泣)
じゃなくて、ですね、この文章、日付で判るとおりでアルバム5枚目までの段階で書いている文章です。
その後に起こった「エロビームでの夫婦随唱」(「パスワード」の♪熱く、の箇所ですね)にはじまり「ひとり」(村上による♪愛してる、唱和)「永遠に」(そばにいる、という黒沢的キーワード)などのここ最近の楽曲を引っ張りあげながら、村上の歌える範囲、黒沢の歌える領域、そういったものには何ら、触れられていません。というか、触れられっこないじゃん(自爆)
だから、2002年に読むと非常に中途半端な気持ちにさせられる、そういう文章になりました。試みに『FIVE KEYS』までのシングル、アルバムでメンバー各自のボーカルを考察してみると面白いかもしれません。
あと、アルバム『FIVE KEYS』そして五鍵ツアーを契機に、「年少組」と呼ばれた酒井・北山・安岡の台頭というのが自分内テーマとしてデカかった…、です。特に2000年は「化けた」「他のメンバーを食ってる」「この人の成長で観ていけると思わせた」と言われるほど日、一日と変容を遂げる酒井雄二の存在、彼の存在をサカイストとして見逃すまじ!!となったので、それを軸に書いていった「Side B」と、年長組に関して従来同様ピックアップした「Side A」と、その両方が未完のまま、データ消去(大爆笑)
バックアップを取らない癖がいけないのでしょうねえ、こうなると笑うしかないっすねえ…
 

「裏でないといけない?」は、もう、そのまま。
直球なまでに「私」そのものです。まんますぎて恥ずかしいくらいに「まま」な私です。
別に裏ペイジじゃなくとも、書いているなら表に出しちゃえ!!というアドバイスをくれた人も現実、いました。裏ペイジをしたことで、その文章を読んで、そこから交流が起きた人も多かったです。
私は、ホームページを始めた時に「無闇に大きなサイトにしない」ことを決めて、このサイトを始めました。サイトが自分から離れてひとり歩きすることに、私は人一倍恐怖を感じていましたし、同時に、そうなっていった知り合いを見て、知った上で始めています。
だから「大きくしない」、サイトを開設するということは初対面の人に会う可能性が増えることですから…
そして、会う人が良い人ばかりじゃないこと。
というのは、世の中、悪い人ばかりではないと思いますが、メールの上で印象が悪く取られやすい文章を書いている人があなたが思う以上に、これが予想以上にいるんですよー、そのへんを見極められないで出されるメールってのが(苦笑)読み手の此方が返答に困るメールってのがねえ…
最初の返事から説教のメールなんて本音を言えば出したくないです(爆)
 

「藪の中の真相」は、目次に経緯を書いて行ったとおり「ゴスショウ編集部」の解散に関して書いたものです。
書いてもやり取りに関してまったく書かれていない、という、これもひどい話ですが、このへんのやり取りは伏せたいと思います。イヤな思いをしたからではなくて、アッサリ決まりすぎたから(爆笑)というのが書けない理由にあります。
なんというか、それぞれに忙しい毎日の中で時間を割いて書いていたわけですね。プレッシャーもないわけじゃなかったですし。で、ラジオを聴いていても、この頃がいちばん安定期ゆえにラジオの内容としては凡庸として爆発的に面白くない(起爆)かといって、彼らを、このラジオ番組を嫌いにはなりたくなかったのは、誰の心にもありましたから。
 

最後に、いちばんこの中では古い日付の「キーワードはラジオの言葉」
この「キーワードはラジオの言葉」と酒井雄二考察の「酒井雄二は何故、恋愛が苦手なのか?」が、裏ペイジ開設当時の二大連載になってしまいました(大爆笑)
これは一回目、その時の文章です。この文章を読むと、村上てつやが好きなのか?と思えるほど愛情ある文章ですが違います(断言)
で、この頃から村上てつやという人の素性は変わっていないように思うんですよ。変わりようがないし変えようがないでしょう、この人ほどゴスペラーズで生き様が不器用な人もいないと思うと、酒井さんが嫌がる「カワイイ」という言葉を彼にブツたくてしゃーない時さえありますね。
 


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