隣のお兄さんは好きですか?
(1999/11/20)
ゴスペラーズを語る上で外せないキーワード(NOT「パスワード」)を複数挙げろと仮定した際、私ならこの言葉をゴスファンとして取り上げると思う。というより、こんな一介のファンより、ゴスペラーズをしているであろう本人たちがこの言葉に助けられ、逆手に取って利用したりもして、これまで勢いに乗じてここまで来たものの、逆にここ一年でこの言葉の呪縛を痛感しているからだ、と思うから、だ。
隣のお兄さん。
今日はそんなキーワード(NOT「パスワード」)で、考えたことをつらつらと書き記したく思う。…カモナ(笑)もっとも最初に明らかに「隣のお兄さん脱却」を標榜したのが、年長者の黒沢氏だったように思う。
「起爆材料の塊」「雑誌に突込みしか入れられなかった(起爆)」と当時からも称された'99年3月にあった某「B」誌掲載の個人インタビューが、明らかな証拠かもしれない。そこで「料理のことはもう喋らない」と言い切った黒沢氏に、ファン全員が「黒沢さんにできるわけないじゃん(冷静)」と突込みを入れてたことまでも、察するに想像に難くない。
という前に考えて欲しいことがある、そういう「ファンが明らかにアーチストに言いたい放題、物を言う」、どちらかと言えば相手のハードルの低さ、敷居の低い印象を決定付ける構図が出来ること自体、どこかでおかしいのかもしれない(苦笑)
それは「ゴスペラーズって、ほらぁ芸人じゃん」と言い切った人がいることからも明らかなのだが、アーチスト然としたイメージを取るよりも前に、特殊技能でもあったアカペラをもっと親しみやすく、分かりやすく、もっと歌う人が増えるように届ける、という言わば先立つ、自らに科した十字架に似たような独特の使命のようなものがある証拠なのかもしれない。
それを言葉にしてしまえば「ゴスは芸人」だったり「ゴス兄さん♪」というファンからの愛称、でもあったりする。ファンとアーチストにありがちな「独特の距離感」というものが無い、もしくは距離があっても親近感から近い印象を持ち得るアーチスト(それは特にファン層の年齢差もあるように思う)が、ゴスペラーズだったというわけだ。
人間臭さと親近感の塊というのかな、考えるまでもなくて特別凄くルックス良いと一見してその場の全員が言い切れる人もいなければ(思えばすごい言い草だわ…)、全員大学生までただの音楽好きな一流私立大学在籍の普通の人たちだったわけで、と思うと、それを逆手に取れば、この厳しい音楽業界でも己の活路だって見出せるかもしれない…。と、考えられるものである。参考までに挙げておこう。…ゴスペラーズ、メジャー2枚目のアルバムは『二枚目』。この時のプロモーション・トークというのをご存知だろうか。正確には「アルバムタイトルの由来」である。知られてるんだろうか…、この話しというものは。
「ホント僕たち、普通のお兄ちゃんたちなんですけど…(失笑)ホントだからよく(歌う時と普段とが 違うと)言われるんですけど、こんな僕らだけど。それでも僕らが歌えばカッコ良くもなれるんだと。歌うことがカッコ良くなれる方法にもなる、というのかなあ…」
という、以上が『二枚目』のタイトルの由来だったりするわけなんですが。
半分「ウケも狙った」ものなんだろうけど(某ジャニーズと一緒だとリーダーも仰っていたから)要は「歌えば二枚目になれる」というところから拾ったアルバムタイトルだということが、ここでお分かり頂けたかと思う。
でもね、本当に好きなことを全うしてる男性はカッコイイと思うけどなあ、仕事の出来る男性(起爆)
確かにジャケ写真は…、と書こうとしたところで、起爆材料が多くなるので控えておくけれど(苦笑)
そこから始まった人からしてみれば当然「近付きがたい」距離感は少ない。そう思えるのである。それに拍車をかけたのが、彼らの言う「普通のお兄さんたちが歌うと凄くなる」という表現だったり、初期も初期にウンナンの南原氏の言い残した「歌とルックスがかけ離れている」という発言なり、「笑っていいとも!」に歌うお兄さん状態でレギュラーで出たことであったり(あれはあれで激昂した…)、某『H』誌(全然某ではないが)で書かれて私を激怒させた「テレビでの営業活動」という文句だったり、彼ら全然素で喋ってないかぁ?!と思わせるほど面白い、「FM STATION」誌が残っていたら絶対に人気DJランキングベスト20には入ってくる(ベスト10ではない、何故なら上位には赤坂泰彦さんとかDJアーチこと市川氏、アルフィー坂崎氏とかスタレビ根本氏や竹善さんがいる)ほどのサービス満点のラジオトークに見るセンスの良さ(時に選曲の良さも含む)だったり、する(わけだろう)。
それがファンでも初期段階にあるだろう「刷り込み」の時期にあれば、今になって彼らが事ある毎「いいひとはもう卒業」というのに「それ、できるわけないじゃんか」と口走りたくもなるものである(って、私だけ??ほら、向うッ気強いからさ)。
唐突ながら、「いいひと」という言葉に関しての個人的一考察をしてしまうと、この言葉は決して軽くない、むしろ重たい十字架だと思う。
この話を持ち出すのにあるケースを挙げたいのだが…、もし「いいひと」というものに一定の状況の設定をしていいのならば、今回はこういう形にしたい(苦笑)ある男女の友達がいます。男の方が憎からずも彼女を思ってます。でも、彼女は彼のことを恋愛の対象に捉えてません。ある時に(ああ便利な表現)募り募って、彼は爆発してこう言ってしまうのです。(先ほどから論調が変わっております、ご了承下さい)
「俺、お前のいいひとじゃないからな。いいひとで笑っていられないんだからな」
(しっかし、クサクサに陳腐な設定でごめんなさい)
となると、…「いいひと」ニアイコール、八方美人的なお友達。という図式が出てくるわけである。
お友達というのはフレンドリーでなくちゃならないわけです、誰からも好かれるというのは相手の反感を巧く押える必要も生じますし、それはそれで自分を殺すことにもなりかねません。ええ。 『二枚目』から『Vol.4』と共通して流れている空気があるとしたら、それは「音に流れるポップ感(ある意味での一般層への媚びのようなもの、じゃないと「侍ゴスペラーズ」は出来ない)」だと思って聴いた私からすると、つまり「いいひと」というのは、この3枚のアルバムに象徴されていると思うのだ。
コーラスやハーモニーを、その楽曲を分かりやすく咀嚼し研究し、そして聴く人に届ける。それが「お友達」。
つまり、明らかなとっつきやすさがあったもの。「いいひとを辞める」ということは、その感覚を排除して本質を抉り取る作業となるはずだ…
それは原点回帰というか、1枚目のテイストに戻すことなのかもしれない。そう睨んだ。つまり「いいひと」を辞める。イコール、今までのアルバムで見せた、ともすれば万人皆様に好かれたい根性の削除であると考えた。事実、『五鍵』というアルバムは、今までのポップス感覚の削除された極めて骨太なアルバムだったし(でも、参加ミュージシャンを一掃していないんだよね、そういう変換期のアルバムはミュージシャンを総入替するものだ。それをしなかったのか出来なかったのか(起爆))、先行シングル「熱帯夜」はその象徴であったと思う。(論調復帰♪)
ということは、それまでのゴスはある意味で「いいこちゃん」の音楽を作っていたのだ、と言えなくも無い。そうなってくると、ひとつ、結論のようなものがここらで見え隠れして来る。
…、ねぇもともと、ゴスペラーズって、「悪ガキしても実際いいこちゃん」なんじゃん。という考え、だ。
自分で書いたのだが「音楽好きな一流私立大学」の学生さんが、もともとの彼らの最初だとするとよく判るだろう。
適度な悪さしか出来ない(そりゃそうだ、考えるまでも無く分かる)、恐らく中学でも高校でもそれはそれで五人とも何だかんだと言いながら、それはそれで優等生だったと思うのだ。というか、世間一般で言う「優等生」でないと、たぶん、早稲田も慶応も國學院も無いように思う(爆)
じゃあ、ゴスペラーズ。頭が良いんだな??となる。当然出てくる質問だ。
それは俗にテストの点数という成績上での頭の良さはあるんだろう、と思えるのだ(正直に言う)。が、私は徹底首尾にひねくれる。頭の回転が早いことは認めるにしても、だ。そんな彼らに知性を感じる瞬間があったかというと…、実はコレそういう分析系の話になった時に訊かれた質問なんである、が、これに対して答えたものの、その回答は「頭は良いと思うけど、性格とかを考えると知性を感じ切れない」だったのだ(自爆)
余談だがふたり共通で「ゴスでまだ頭が良くて知性があるのは酒井雄二」となったんだけど(爆)
それは生まれたところが地方か都会かとかいうどうしようもなく下らない議論でもないし、かといって家庭環境がどうこうとか、そういう問題じゃなくて、その人の佇まいで、話しの持ち様で「本当に頭が良いんだな」と負けを認識する、そう思える、そういうものである。なんというか、五人並んだところを見たとして私が思ったことが「あ、この人たちって多分、塾通いでもしてたんだろうな。そうして大学も入ったんだろうな…」
…、書いてるお前だって一応三流私大まで現役で進学しておいて発言、キテレツ奇妙だと思うだろ。(大川興行の大川総裁風に再生願います)思われて当然だ。しかし、私の場合はそういうことだった。そういうことだ。
なぜなら、私自身(これは弟も含め)塾へは通年で通うほど行ったことが無いからだ、講習だけ狙い授業を取る状態だけ(本当に夏の講習とか直前講習だけ)で、私は大学、弟は高専。
通年で塾に行く人には頭の良い人が多いことも知っている(そっちの方が向いているケースも、話を聞けばゴス内でないわけじゃなかったし)。けれど、勉強する際に塾を「頼りにした」というのと、「全然しない」とで人生のスタイルに違いが出るのだけは、私自身が痛く感じていることなのだ。特に自分より年が下の人と対峙するとよく解るが…。なんというのか、人生の後半で、意外な差を生み出すのは結構、そんな経験の差だということなんである。ちょっとお茶を濁し気味だけど、そういう勉強のスタイルの方が意外と人間までもしぶとかったりすることもある。そういうことなんだけれど(苦笑)
私が、そういう点での異端児だからだろうか。
ある意味、ゴスペラーズのメンバーを間近で観たライブで日本の中庸な優等生たち、という印象が残った。優等生といえども成績のことじゃない。態度の点での、だ。
少し生真面目で臆病でバカも出来て、でも羽目は外さない。外し切れない。感情も態度も生活も全ての振り子が破滅的なリミッター限界まで振り切れることは無い、そういう人たち。適度なまでに「いいひと」で、ともすれば「最高の友達」になってしまって、何事もやらせてみてもそれなりに出来てしまって、それを点数に直したなら恐らく80点は確実に出せる、けれど決して唸らせるほどの文句無しというところまではいかないだろう、成長が止まったらきっと、結局そこで留まるのかもしれないんだ…。ライブを体感しつつ、一緒に歌いつつ「凄い」と思いつつもボンヤリながらも、正直に思えたことが、これだった。
同じ早稲田を出た、レコード会社の先輩でもある真心のお二方を参考に見ると、違うと分かるだろう。YO-KINGが幾らフラフラ~としながら歌おうと、例え背後で炎上するパチもんのDJバリ”K”~ん氏に驚きの反応する演技があまりに大根(役者)入って脱力してしまい思わずこちら側も爆笑しようとも、彼が紡ぎ出す、作詞された言葉を見ると、この人は頭も良い。知性がある。と思えることを。
「拝啓、ジョン・レノン」で、ジョンのファンから非難されるほど暴力的に言葉をまくし立てても、言葉の裏には溢れるばかりの愛情があるように、「あんた、バカぁ??(c)アスカ・ラングレー」と思える手前で、「表面的バカ」であっても、真実のバカにならない。それは知性がある証拠である。しっかり表立って見せることが知性じゃない、ということでもないという典型例かもしれぬが…流石Ki/oonだな(起爆)通った県立高校が女子を余り採らない(事実、460人強のうち女子は120弱でした。まず静岡県内の進学校、「県立高校普通科」という自体、他の私立の女子高に人数をまわすのもあり高校受験に対して県の基本気質が男尊女卑もいいところである。まあそういうところ出身なので、しょうがないとしても)ということから、高校そして大学に至るまで、今現在、職場もそうだが、人生の大半を男性が多くいる場所が当たり前というところで過ごしてきた。
定員の過半数を超える女子という環境が異質だと思えるくらい(じゃ東京ドームのバイトはどうなん??>自分)様々なタイプの男子を見て来てしまった。その時に見て来た男子たち、もしくは男子運動部の先輩たちと全く同じ印象が残ったのだ。だから「隣のお兄さん」という言葉がしっくり来たんだと思う。
何をやらせても人並み、もしくはそれ以上に出来て、またちょっと頭が良く気を配れて、それなりに気立ても良くて(あ、褒めてますね)歌を歌わせると、それがまた声も良いし結構上手で。そういう、優等生だった、兄さんたち。「典型的・お隣の○○さんとこの(優等生の)○○くん」は、基本気質が良くないと出来ないことである。イコール「いいひと」じゃないと当然、アカンやん(関西弁)。というか、今の今までが「いいひと」と呼ばれて当然のご身分だったのだ。と言いたいのだ(起爆)。じゃないと、今までやってきたことの裏づけが取れないじゃないか、とまで思う。
何をやっても平均以上に器用に出来るから、ポップス路線を標榜してみせても、それを認められて一定度の評価を受けたのだ。それが出来たのは、ひとえに彼らが「いいひと」だからかもしれない。出来の「いいひと」、性格の「いいひと」そういう、良い人でもあったのだろう(苦笑)
それを20数年してきて、今更イメチェンするっていうのは「三つ子の魂」の諺を参考にしてみても、「できっこないじゃん」という呟きに変わってしまうだろう。幾ら「俺たち危険なんです」と凄んでも、その育ちが見えてしまえばイメチェンというのは失敗だろうし、それこそ冷徹至極なまでに即座に「ハイ、それまでぇーよ(c)ハナ肇とクレイジーキャッツ」なんである。ホント危険な賭けに出たなあ…そこそこだ、そこそこの点数を取れて、実際、その通りに採って来ていたんだ。と思った、ゴスを見てそう思えたという私。
恐らくたぶん、それを痛感していたからこそ、1999イメチェン計画を打ち出してきたであろうゴスの面々。
そうでないと『五鍵』というアルバムが、何故あれほど力まないとならない作品になったか分からないだろう。簡単に言い切りたくないが覚悟を叩きつけたからだと私は思うし、だからこそ「好き嫌いと聴く場所を分けないと聴けない、とんでもない一枚を作った」と言うのだが(爆)まあ、たぶん。楽しいくらいの本当の勝負はこれからだ(笑)私はそう思っている。
なぜなら。「いいひと卒業」というのは、イコール、俺たち本気で牙をむく。ということじゃん!!(起爆)
そりゃ言いますよ、「ゴスペラーズは行く、ついて来い」って…(号泣)笛吹きなのか、てつ…(起爆)
これは「ウルフ」リリース時の、その歌詩よりも大胆な変革だ。「熱帯夜」リリース時にあった衣装の改革どこの騒ぎじゃない。革命だ。ゴス、メイクス、レボリューション(起爆)ということはG.Mなのか?!酒井雄二の一国酒井主義どころの騒ぎじゃないぞコレ(笑)折も折、ミレニアム目前である昨今だ。時代も激動しているけど、ゴス、お前もか!?(煽動)と煽りたててしまおうじゃないですか。ええ。
脱・隣のお兄さん。
ゴスペラーズのアーチスト化計画。出来るかどうか、そのお手並み拝見。当分高みの見物をさせて頂こう(苦笑)