終了番組評価 評価詳細(コメント有りor評価公開可のもののみ)
No. | 作品名 | 評価 | コメント | 転載許可/評価公開可 |
1 | ぱにぽにだっしゅ! | 殿堂入り | これほどまでオタクを真っ直ぐから見据えて、オタクの生涯を肯定してくれるアニメは今後そうそう出てこないのではないだろうか。 今作ではアニメが元来持ち合わせている「実写では不可能なアングル」や「舞台装置を隠す必要が無い」といってアドバンテージを悉く視聴者の前にさらけ出し、視聴者にネタをねだるなどと、作り手と受け手との格差を無くそうという仕掛けが作中のいたるところに挿入されている。手の内を晒し続けて視聴者に接近し、今作のテーマを視聴者がより受け取り易くしている。この真摯な姿勢がオタクに阿るだけの作品と「オタクの生涯の肯定」がテーマである今作を分けるポイントの一つでは無いかと考える。 さて、何を持って私が今作のテーマを「オタクの生涯の肯定」と捉えたかというと、やはり今作の特徴としてしばしば挙げられる数多くのパロディや「2ちゃんねる」や「ふたば」で話題のネタを知らないと理解できないものが多い「黒板ネタ」の占める割合が多い。実際私もそうであるが、これらのパロディ・ネタを三割でも理解するためには怖ろしいほど膨大な時間をアニメ・映画・インターネットに費やさねばならない。時間を費やしている間、ふと「オレ、何やってんだろ…」と想うこともままあっただろう。だが、そのような後悔や、一般人からすると時間の浪費でしかない行為さえ、今作はありたっけのパロディ・ネタをもって肯定する。パロディや局所的なネタに触れて我々が喜ぶメカニズムの詳細はよく知らないが、パロディを楽しめるということで、そのパロディの元ネタに触れていた途方もない時間が肯定されたと感じるからでは無いかと考えている。 今作の節操が無いとすら言われるパロディの多さは、受け手のオタクの生涯をあますところなく肯定したいという、作り手側のオタクへの後半で無尽蔵な愛故のものではないか。もちろん、視聴者を肯定するためだけのパロディやネタの量だけが美点ではなく、それらを作品に昇華してしまう辺りも今作の素晴らしい所だ。嘗て流行ったグループサウンドのテイストを意識しつつも決して古臭さを感じさせない黄色いバカンスや、やはり一時期ブームになったテクノ風のサウンドを意識した少女QなどといったOPなどがまさにそうで、受け手を肯定するためのジャンルを広げるだけに留まらず、パロディやネタの質も良いものであるということを示した好例だろう。 (嘗てモーニング娘。に現を抜かしたことのある私としては、「ブンブン」と「黄色」というフレーズから、モーニング娘の分家筋である黄色ファイブを想起させる黄色いバカンスが中々にツボだった。正直、モーニング娘。にハマった過去は消し去りたかったが、曲に潜められた小ネタでクスリと笑えたことで、少しその過去も肯定することが出来たからだ。) 語りたい事は未だ尽きないが、そろそろ(既に?)「そんな妄言手前のサイトで書け」と怒られそうなので(苦笑)この辺りで筆を置くこととする。 作り手と受け手の格差を利用して、脱オタクを為した作り手がオタクを嘲るような作品が氾濫する中で、ここまで真っ向からオタクとしての道程を肯定してくれた作品は、私の生涯の中でははじめてで、正直かなり嬉しく、癒された。新房監督をはじめとするスタッフの方々には、この場の最高の評価をもって報いたい。 | 転載可
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2 | ARIA The ANIMATION | おもろ | 特に癒されはしなかったが、面白かった。良好な作画、演出や凝られたディティール。毎回毎回テーマが明確なシナリオなど、佐藤監督の気合の入りようが伝わってくる、文句の言いようが無いクオリティで大変満足した(佐藤監督の気合の入りようは、視聴率の高低で分かるとオカルトなうわさがある。低ければ低いほど本気らしい。ちなみに今作の視聴率はかなり低いようだ)。ただ、アニメへのツッコミを生きがいの一つとしている人間からすると、佐藤監督の作品は無理にツッコミをいれようとするとイチャモンをつけているようになってしまうため非常に扱い難く、歯がゆい思いをすることが多いのが難ではあるが、そんなことは作品の評価になんら影響は及ぼさない。可愛げこそ無いが(笑)良い作品だったと想う。 | 転載可
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3 | Rozen Maiden traumend | ふつう | ジュンの成長物語と捉えれば及第点。だが今作の魅力はそこでは無いだろうに。 確かに前作から視聴し続けてきたファンとすれば、ジュンが社会復帰の準備を着々と進め、今作の終盤に今までの経験から「作り手や他人からすれば失敗作かもしれないが、当人達がその仕上がりに満足であるならば良いでは無いか」という考えに至ったのは中々感慨深いものであった。アニメ版銀盤カレイドスコープや批判を受けやすいバカアニメのファンである自分としてもクビが折れんばかりに頷いたのを覚えている。 しかし、ジュンのたどり着いた考えやジュンの成長物語がいかに素晴らしいものであっても、私が求めてきたのはドールたちによるドタバタ劇や萌えシチュエーションであり、ジュンの成長物語云々というのは個人的にどうでも良い。この「どうでも良い」というのが今作のキーワードで、前作で今ひとつ描き切れなかったからか、今作でメインに扱われたアリスゲームも今ひとつ必要性や切迫性に欠けあっても無くても「どうでも良く」、オチとしてついた困った時のデウス・エクス・マキナが今作の「どうでも良さ」を加速させる。 兎角、求めていたものと違う「どうでも良い」ものばかりが提示され、さらにその出来もいまひとつのものが多く、作品全体の印象まで「どうでも良い」に染め上げられてしまったように感じる。と言う事で、評価は特に腹が立つことも無く、得るものも大して無かったアニメに捧げられる「普通」。 | 転載可
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4 | 銀盤カレイドスコープ | おもろ | フィギュアスケートは芸術であり、観客の歓声が得点に影響する稀有な種目である。三次元と二次元の格差はあるといえ、作中の観客や審判団を、世間の悪評をものともせず感動させた演技の迫力、芸術性を少しでも味わいたいというのが放映開始時の希望だった。このことは結局叶わなかったが、それでも充分満足のいく出来だった。キャラクターは揺らがず、マイナースポーツの抱える問題やマスコミの問題点などに切り込みながらも、しっかりとラブコメもしていて、本当に作画以外は(笑)上手い作りで安心して見ることが出来た。個人的には作画の向上がいよいよもって期待できなくなった頃から挿入されるようになった、悪い薬でもキメながら演出を決めているんじゃないかと見ているこちらが不安になってくるようなブっ飛んだ演出がたまらなく好きで、乱れた作画に先の演出を加味することで極上のギャグに昇華してしまうスタッフの技術や決断にはほれぼれとしたものだ。 過剰な演出入り混じったスケートシーンはワハハと笑い飛ばし、ストーリーの妙におっと感心しながら見ていたら、作画の乱れなど些細なことだと思えるようになった。それどころか最終的には「スケート中に一々読者の事を考え、技の難度や心理状態、状況説明を語ってくれる賑やかな主人公が語り手」の原作ならば、これくらいのやかましい演出がもしや一番忠実に原作を映像化しているのではないかと思い至るようになったのだが……毒されているのだろうか? | 転載可
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5 | 魔法少女リリカルなのはA's | ふつう | 正直「なのはさんマジ外道」のひと言で済ませたいのだが(笑)流石にそれもどうかと想うので少し書かせていただく。今作、闇の書の闇の部分だけが抽出できたり、闇の書に取り込まれた人々が無傷で復活したりと、視聴者が嫌がるような展開は避け、絶対悪を創り出しメインキャラ全てに救いを齎したラストを用意したというに、釈然とせず妙に後味が悪いのは何故だろうと考えてみた所、脚本家に創り出された悪よりも、脚本家が意図せずに視聴者に悪・外道・腹黒と捉えられてしまったなのはさんの方がより邪悪に感じるからではないかと思い至った。前作や今作の序盤まではまだ脚本の傀儡程度にしか捉えていなかったが、いやはや、よくぞ脚本家の操り糸を断ち切って立派に、その性質が作品に影響するようになったものだ。負の方向にだけど。さて、視聴者の嫌がる展開を避けるということは、カタルシスは確実に期待できないということの裏返しであるが、今作も例に漏れずカタルシスは無く、先に書いた理由でラストもそれほど後味が良くなかったのでこれくらいの評価で。しかし脚本家のどうすることも出来ない次元であおの悪辣ぶりを発揮し、作品に陰を落とすなのはさんのなんと怖ろしいことよ。「高町なのはは傀儡ではない、もっとおぞましい何かだ。」とでも言って〆ておくか。 | 転載可
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6 | ふたりはプリキュアMaxHeart | 見切り | | 評価公開
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7 | B-伝説!バトルビーダマン炎魂 | 見切り | | 評価公開
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8 | ガン×ソード | 見切り | | 評価公開
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9 | 涼風 | 見切り | | 評価公開
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10 | Paradise kiss | 見切り | | 評価公開
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11 | トランスフォーマーギャラクシーフォース | 見切り | | 評価公開
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12 | D.C.S.S.〜ダ・カーポ セカンドシーズン〜 | 見切り | | 評価公開
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