ところで。「いい音楽を作り出す」「それが人に届く」という括りで動くのならば音楽表現上のスタイル定義、ジャンルでのカテゴライズというのは、時として枷になるのかなぁ…と思います。
確かに強いジャンルは得てしてあって、私が強いのは…というのはあるわけです(女性アーチストも聴かないわけじゃないけれど、男性は強いであるとか。HipHopは強くないけれど歌モノのソウル系は追う習性だ、であるとか)。
カテゴライズしちゃえば、ね、この「夕焼けシャッフル」は純粋にポップスだと思うんです。ソウルの流れを汲んだ上で作られたポップス。
けれど、実際に観ていて。そんなに今とは違う、別のことをやっているようには思わなかったな。
思わなかったから「ジャンルは時として枷になるのかなあ」となるんですけれども(自爆)
そう思ったのにはスタイルはどうであれ、いい音楽を生み出そうという音楽家の「根」を、彼らの作品に見ていたから、でせうね。
2001年の凱旋門ツアー、武道館公演で。私が思い出したのは、その2年前の1999年、FIVE KEYSツアーの静岡は沼津公演、浜松公演のことでした。
客がいなくてねえ…(苦笑)という、あの。
特に「ゴスペーズ」と書かれた催し物案内@浜松はまホールに「だから言ったでしょ、ゴスペラーズ不毛地帯なんだよ!!」と当時の持論を展開してしまった、という(自爆)
あの頃、2年前と、やっていることは同じだ。そんなことを思ってました。
日本武道館で、あのステージを観ながら。時には満員の観客を見て(なにせ「Love Machine」の最中に急にしゃがんで盛り上がる客を観ているような人だったの)思っていて。確かに私は回想しているのだけど、それは感慨から来るものじゃなかったです(事実、そう書いてます)。
「怖い」と思ったんですね、変化というものが。時の流れが生んだものが。
やっていることは同じこと。5人が歌う、いい音楽を伝える。ステージに立つ。
で、この頃だって同じ筈なんですよ。いい音楽を渾身の力を込めて、歌にして。5人、横並びで。
けれど、どうして2001年だったのだろう?
今となれば確かに「異色」だと言えます。「Vol.」で経験したことを踏まえて、様々な試行錯誤の上に出来たシングルと言えるかもしれません。
だけど歌に嘘があったら、人の心に届かないよな。ては、思います。
この時期にしっかり、この歌で、この言葉で、心を動かされた人だって現実、いるわけですから。
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