そう考えた時に、このシングルは大きな動機付けを引っさげて登場しています。
ビク○リアの、スキーのCMという。冬中、シングルが15秒、30秒、大量に放送されるんです。そりゃ対抗馬にアル○ンで広瀬さんがあってもだ、機会多く触れ合える時間があるということは「知ってもらう」ひいては「ゴスペラーズにハマって頂く」のに大きい。
その効果の大きさを知っているからこそ、ファンはファンで気運が高まってしまう。期待する。
「これで売れる」「売れなきゃ困る」
「売れて、やりたい音楽をやって…」
その気運の高揚とは対称的に、…、と前述したんですけど。そうだな、旗振りが激しくても。動かない時は、人って動かないでしょう?その現象に陥ったんだと(爆)大きな現実、見ちゃうんです。
ここまで「売れる」「売れない」の話を何故?となるでせう。
彼ら自身、デビューしてインタビューの中で。かなり早い段階で、です。「僕らは売れたいんだ」と明示してたんです。「ビートルズみたいに」と言った人までいたんです(誰とは言わないが最年少の方)。
オリコンチャートのアルバム、100位に入ったことがないんじゃ?って時期にですよ(1996年8月、じゃないかなあ。『R&R News Paper』初登場の記事)。明確に「売れたい」「認められたい」と口にしていたのを目にしています。
「ボーカルグループが売れなかったら」
まだ、1997年です。当時はゴスペラーズという存在自体に、メジャーで戦うボーカルグループの命運もかかっていたのだと思います。
「ボーカルグループが売れる」というのは認知度と同時に、それ以上に複数のボーカリストの集合体というボーカルグループ自体の存在の向上でもあった筈です。こういったグループが普通にメジャーで戦っていける、その土壌を孤軍奮闘で作っていたと思ってください。
戦う情熱がないとね、やってられないし続けられないよ…
ゴスペラーズがいたことで、後に(特に2001年以降は顕著に)「ボーカルグループは、売れる」という図式が成立したと思います。
「ディスコと(松田)聖子」を下敷きにポップスとしての完成度も高い「終わらない世界」は、確かにアカペラ曲。フルアカペラのようでいて、後半からは斉藤ノブさんのパーカッションも入っているんで完全とは言い難いものの(苦笑)
サビの「もういいかい」というフレーズ、といい、言葉が一発で印象づく。という点ではポップスとしての条件を備えていると思います。…、だから「今度こそ売れるよな」って思ったんだけど(起爆)
むしろ1998年1月からOAされた「Vol.」のほうが、CM放送回数、絶対多いでしょう。それっくらい、この「Vol.」でのビクト○アCMは観ました。
「5人がボーカリストでリードが取れる」から出来る「クルクルと入れ替わっていくボーカル・チェンジ」に間奏(2番後の、低音の北山さんと他メンバー)での掛け合い。後半で出てくる村上さんの「オ、オウ」というソウフフルなフェイク(ライブになると「Vol.」は後半、長くなり必然的にフェイク延長)と聴きどころもが多かったのですが、聴きどころよりも観どころだよ!!この曲は。
「踊るゴスペラーズ」といえば。「終わらない世界」もそうだけれど、何より「Vol.」でしょうよ。
深夜の音楽番組を留守録画して、ビデオ、再生して。「…、ぁえッ?」
まさか後日、会場で、カラオケの席でバンバン踊るようになるとは…(汗)
あとは。そうですね。確か「Vol.」で『FAN』(今の、あーいったトーク形式じゃない時代の時の『FUN』のこと)初登場、じゃなかったかあ?奥田民生さんに、って「ありがとう」[井上陽水奥田民生]を階段で歌ったの。あの時だと記憶してます。
この時の酒井雄二先生。NY行くのあって髭面ですもん、短髪サラサラヘアが髭で踊るんだよ(起爆)カッコイイとか通り越すよ、普通に驚くさあ。
逆に言えば、ね。
こういう、観ているほうも赤面を禁じえない(…、本当です)体験に出来事が、あったわけです。ゴスペラーズに関していえば本当に多いと思います(爆)1996年10月から半年近く『笑っていいとも!』木曜レギュラー後の、この時期で、この状態なんです。
前年1996年12月の「アカペラ貴族」の村上さん登場シーン(奈落の底から一人、階段昇って笑顔でご登場)で歓声じゃなくて爆笑だったから、まあ、受け止め方がヒネた傾向の人間が特に当時は集まりやすかったのかもしれませんが(苦笑)そういった回想するにイタい(…)と思う、失笑の記憶の数々をリアルタイムで経て来ていると、本当に、記憶の呪縛って凄いなあ(溜息)と。そう思うほかありません。
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