「Higher」は個人的に思い入れが強い曲。
この曲をラジオで耳にして「イイ」と思ってアルバムを手にした。いわばキッカケの曲でもあり、本腰入れてゴスペラーズを聴き出したのは「Higher」という曲があったから。
20歳の時、大学2年だった私は派手に体を壊したんですね。
1995年2月に「Promise」を聴いて「いいなあ」と思ったわけですけど「その後、14ヶ月の空白があって…」という、その空白域の時です。
食べても一日一度は必ず吐くの、これが。ピリピリと緊張して食欲が湧かない。ホットの紅茶を口にすると胃の内壁を液体が透るのを感じて「胃に触る」と繰り返していた(苦笑)ってーから半端じゃない。
最後にソイツは内側からキッチリ身体を蝕んで、夜にタクシーを捕まえると救急で病院に駆け込むほどになって。
で、この時。神経性胃炎で胃に穴が空いてはいたようなんです。胃の治りかけの頃になって漸く胃カメラを飲んだ(それで胃炎で穴が開いていたことを知った)から。胃の穴は塞がったんですけど食欲は戻らず、吐くのは収まらなかったですね。
通院を続けて半年後、医者が診断書に「自律神経失調症の疑い」と書いたのを目にした(爆死)これで逆に「心底ヤバかったんだ」思ったわけですけども。
大学2年当時、学園祭のスタッフとして奔走してました。胃を痛めた原因は、そこでの仕事、人間関係といった「学祭絡み全て」ストレスに変わったんじゃないかな。
学園祭が終わった後も仕事は終わらず(金絡みだったもので)郊外の校舎から都心の校舎に通う日々を続けてて。アルバイト、観たいライブ、学部の専門的な勉強、そういったものを「学祭あるからなあ」と切り捨てていて、気づくと滅私奉公のようになってました。
ふと
「これが大学4年の5月まで続くのか」
そう思ったら。プツリと張り詰めていた糸が切れて。戻らない。糸が繋がらなくなってしまったんです。頑張っていて、評価もされていて、懸けていたものがあって、それを続けていくには耐えられなくなっているとわかった瞬間。
「続けるのは無理だ」
こんな毎日を、自分を騙して、鼓舞し続けて、そうやって送り続けて身体を騙して。これ以上頑張ったとして何が残るだろう?というところまで追い詰められて。役職を解かれたのは、1996年4月です。
この1996年4月、郊外から通うには大変と、都内の5畳もないワンルームに越します。
何もないことに気づくんです。
食べたいものがない、胃の負担を考えると食べれないモノのほうが多かったし。
やりたいこともない、何かをしたいと思えなくなってました。『ぴあ』を読んでいて、行きたいライブをメモしたのは、そこにライブの予定を入れていたら励みになるだろうと思っての行動で。
行きたい場所もない、大学と部屋の往復で十分だと思ってました。「寄り道しよう」と思えたのは少しして、落ち着いてからのことです。
好きなもの…、何だろう?そんなカンジですよ。
胃が治っても、身体の不調は収まらなかったです。これは参りました。当時は一週間に一度は偏頭痛が出る、季節の変わり目に腸炎だの風邪だの患っては伏せる、微熱が下がらない、…、身体のコントロールが利かないんです(だから自律神経がヤバかったんか…と)。
だから。アルバイトなんて考えられなかった(苦笑)これからのことなんて思わなかった、なーんも。「何も思えなくなっていた」のだから。なにせ当時はいっそのこと大学を辞めたいと思っていたのだから。
そう、それまで自分が懸けていたものを捨てて、いざ欲していた自由を手にして、しかも身体も心もズタズタにして。「その後」というのは、その偏狭なまでの虚無な感じというのは、普通じゃなかった。本当に空になるんだ…
そんな時に聴いたのがラジオでかかった、この曲「Higher」。
サビの「信じていこうか」「現在を壊していこうか」----------
音楽に癒されたとは思わない(苦笑)それは明言する。
癒しを欲して音楽を聴くような人じゃない、むしろ血を騒がせるものとして音楽を欲しがる。
けれど、「なーんもない」当時の私にとっては、サビのキツいフレーズの中に見えたものが暗闇の中の仄かな明かりのように、何もない中で確かなものだったから。
人の存在を脅威に感じたほどだから、私は、この当時、人を信じきれない。信じるのを辞めてしまったのだ、巧く周囲と渡り歩く為に。自己武装の為に。
身内のスタッフだって油断ならない。むしろ身内ほど敵。ひとたび信用したらアタシの足元がすくわれる、くらいに冷めた目でいたのだから。
そう。膠着状態の現状なんてくそくらえだ、けど抜け出せてはいない。でしょう?
これが「信じていこう」だったら促すなよって思ったんじゃないかな。多少は頭に来たと思う。
「壊していこう」だったら「そうかなあ」と疑心を抱いただろう。
「信じていこうか」「壊していこうか」だったから、ストンと気持ちに響いた。
この曲の歌詞の心理は正直、キツい。
ラブソングを歌うゴスペラーズから入った人には「え?」と思わせる、相手に思わせてしまう、そういった曲。だから。初期だよねえ、時代だよねえ、異色の曲だねえ、そう思われても、それはそれで先についたヒット曲などによるイメージの都合上、出る言葉だから。
けれど、この当時、そして『FIVE KEYS』以前からゴスペラーズが好きな人と話をすると
「「これじゃない?ゴスペラーズ」と思う曲だよね、「Higher」って」
感慨と共に。共感のままに。楽曲への理解、心情への理解、メンバーへの分析から来る理解、そういうものもないまぜにして「Higher」という曲の存在の確かさを言葉にしていくのだから。音楽は不思議。
「ごめんよー、ファーストアルバムの4曲目なんて地味な曲で盛り上がらせて」
1999年、「FIVE KEYS」ツアーも浜松公演での村上さんの言葉だ。
けれど。ファーストアルバムも4曲目、地味な曲が、ファンを「なりきり」という「歌わせます!!」って御膳立てナシに自然発生的客席大合唱を起こしているんだよ?(苦笑)怖いぜ。
この曲はもしかしたら本人たちが思った以上に、ゴスペラーズが持つ人間臭くて、時には泥臭い存在を物語っていて、その人間臭さや感情を焼き付けた歌詞が、人の心を揺さぶるのだと思う。だから気づくと客席大合唱になったり、ゴスペラーズの本質を「Higher」の中に見る現象が起こる(爆死)
『FIVE KEYS』というアルバムを提げた、1999年のツアーを最後に、この曲がハイライトに置かれることはなくなった。その後は2002年「GT」日比谷野外音楽堂でハイライトに歌われて。それきりだ。
2000年のツアーは日替わりのデュエット、アコースティックで村上さんと酒井さんで、だったから…
で。「日替わりデュエット」4パターンで一巡だとわかった後の、周囲の行動。凄かったですねえ…
村酒(村上・酒井)の「Higher」聴きたさに「マボロシィ!!」と仙台に行った姉さん、急遽東京は中野サンプラザ初日のチケットを押えた方と…てくらいに。狂わせてる。あ、あの時。私、あの時の中野サンプラザ初日は予告ナシだったんすけどもねえ(溜息)
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