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シングルという考えの下に聴くと…。「この曲、華があるか?」といわれると…、となって。
サビの広がり感はよろしいのだけども。むう。と辛口評価に傾く。アルバムに使われたらアクセントになるだろう、と思う。と同時に「やっぱり黒沢さんの鼻歌で作られているなぁ」と実感する。 黒沢さんが出しやすい声の域を越えないのだ。 実に彼の声がいちばん「鳴りのいい」だろう中音域で構成されている、そう思える。無理がない。そぉんな音域の幅が広い曲ではないな、と一度聴いただけでも判断できる。 「永遠に」というのはクリエイターが勝つ曲だ。ゆえにシンガーを苦しめる曲だっただろう。 聴き手の想像以上に広い音域。黒沢さんが苦手だろう低音域の存在。ブレイクを置いての一声。生半可では、中途半端では乗りこなせない。だからこそ私は「永遠に」に「歌いきれていない」という印象を抱いた。 それに比べたら「誓い」は無理がない、「歌い切れている」と言い切れる。この時、私が思ったのは「「永遠に」の余韻で出していないか?」という一点に絞られていた。余韻は長く続かないからだ。 トコロテンのようにツルンとしたバラード。私は「聴き手を期待を裏切るという点では全然、裏切ってないね」と斬ったのを覚えている。 「バラードで攻める」とは2000年当時、彼ら自身で言っていた言葉だ。この言葉の源を「誓い」よりも私は「砂時計」に、この「バラードで攻める」姿勢を感じてしまうのだ。…、実際はミディアムなんだけどさぁ(苦笑)
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