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GO UP HILL title
誓い シングルがballadeだと知った時の凹む…といいますか。この時、なにかと好評だと同じ事を何度と繰り返す(起爆)ゴスペラーズ、悪い病気がまぁーた出たよ!!
と思ったのは、この時期。2001年当時のゴスペラーズに関する報道にも一端があったのやもしれません。
ヒットしたシングルがballade路線だった、それだけだったわけですよ。けれど、それが全てになってしまう。
 
「誓い」
c/w「砂時計」

2001/11/14リリース

2001年「ひとり」以降は不安もないんじゃねえ?と思うかもしれません。そうでもなかったな、というのが本音(苦笑)「約束の季節」リリース時の攻勢の商売ッ気ムキ出しの様に
「…、売れた途端に売り急がないとならない?」
新たな不信の萌芽を見たと思う、ここで。
不安がない期間はホント泡沫のひと時でしたね。

けれど「お台場のクリスマスツリーの為に(お台場に設置された誓いのツリー、てのがあった)」という「前提」が入ってしまうと「バラード。にせな、ならんなぁ」と。
そういった側面でバラードにせざるを得ない事情を見る。
純粋に曲を、じゃなくなるのは以前からもあった。タイアップ。それは「売れるため」の抗弁だったのが今まで。これからは「売れるから、この人たちを使う」なのだと。それを明示された曲、でもあった。それでも。…、馬脚をあらわしたわねえ(微苦笑)

  シングルという考えの下に聴くと…。「この曲、華があるか?」といわれると…、となって。
サビの広がり感はよろしいのだけども。むう。と辛口評価に傾く。アルバムに使われたらアクセントになるだろう、と思う。と同時に「やっぱり黒沢さんの鼻歌で作られているなぁ」と実感する。
黒沢さんが出しやすい声の域を越えないのだ。
実に彼の声がいちばん「鳴りのいい」だろう中音域で構成されている、そう思える。無理がない。そぉんな音域の幅が広い曲ではないな、と一度聴いただけでも判断できる。
「永遠に」というのはクリエイターが勝つ曲だ。ゆえにシンガーを苦しめる曲だっただろう。
聴き手の想像以上に広い音域。黒沢さんが苦手だろう低音域の存在。ブレイクを置いての一声。生半可では、中途半端では乗りこなせない。だからこそ私は「永遠に」に「歌いきれていない」という印象を抱いた。
それに比べたら「誓い」は無理がない、「歌い切れている」と言い切れる。この時、私が思ったのは「「永遠に」の余韻で出していないか?」という一点に絞られていた。余韻は長く続かないからだ。
トコロテンのようにツルンとしたバラード。私は「聴き手を期待を裏切るという点では全然、裏切ってないね」と斬ったのを覚えている。

「バラードで攻める」とは2000年当時、彼ら自身で言っていた言葉だ。この言葉の源を「誓い」よりも私は「砂時計」に、この「バラードで攻める」姿勢を感じてしまうのだ。…、実際はミディアムなんだけどさぁ(苦笑)
T-FM(Tokyo FM)に「We Are」として提供された1分30秒ほどの曲をフルサイズにして、歌詩を改めたのが「砂時計」という、この曲。
この曲の持つ歌詩の奥行きに「これまでのゴスペラーズが出来ていたこと」を再確認する。してまいますよ。かつて「スプーン」で、「CENTURY」で、「アカペラ門」バージョンでの「One More Day」で、これまでゴスペラーズが出来ていたこと。
私が「永遠に」を経て「まだ、それでもまだゴスペラーズ。衰えてないね?」とかろうじて思えたのは「砂時計」があったから、だ。なぁ…(苦笑)

 
 
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