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GO UP HILL title
熱帯夜 ゴスペラーズ第二期、となると「熱帯夜」で始まった。…んでしょうね。
リアルタイムで体感していて思うんですが、『FIVE KEYS』というアルバムがゴスペラーズのファン層(とハマった時期から来る、持ちやすい基本気質)を大分する分岐点にあたると思うんです。
その後に「永遠に」が出て「ひとり」が出て、更にもう一層…という展開になるんですが(苦笑)
 
「熱帯夜」
c/w「CENTURY」

1999/06/19リリース

けれど「熱帯夜」を最初に聴いて抱いた印象は悪くなかったんじゃないかな。
酷評してなかったもの、確か新しい面を見せたなーイイぞー、となって興奮した会話を渋谷の帰り道で繰り広げたのを覚えているんで。

当時も今も「ラジオの公開録音なんて面倒で行かねえ!!」って言い切り滅多に足を運ぶことのない人が珍しく。T-FMもスペイン坂スタジオにメンバーを観に行って。確か5月5日じゃなかったかな、突発行動ですって。
前日午前6時まで山形にいたんですよ<親戚づきあいに飲み込まれる形で当時の部屋@川崎市内から引っ張り出されてGWに行ったわ山形。
本当なら「昨日の今日だ」になるんですけどスペイン坂に遠方から来るという話を伺い「会いたいですねえ」…

  で、動いちゃいました。来ちゃいましたよ、スペイン坂。その、この日が「熱帯夜」初OAの日だった(大爆笑)
当時から私の発言は「そうだけども、そう言いますか」的なモノに溢れていたそうで、この時の村上さんのパーマ入った新しい髪型に「なんか似合うなあ」と非常に悔しそうに物申していたらしい(起爆)
「こうなったら酒井さんみたいに失敗パーマ見るんだよ、ね!!」だったですもん、目標<非道いぞ。

で、曲は悪くなかったんだけど。この曲が出る前後に当然ながらPVを観たり、この曲で出た『うたばん』初登場(ヤングライオンの頃にテレビの収録だったので声が酷い)なんてのもあって、そういうのが影響して、だから、じゃないかな。当時のファンの中でも静かに物議を醸したと思ったら、ファンの乖離だの(爆)そういった事態が地味に起こっていくわけですよ。
ポップス然としたグループを『二枚目』以降、『Vol.4』までやってきてたわけじゃないですか。
だけど根っこにあるのは、この人たち、申し訳ないけれど『The Gospellers』で出してて、それに、この辺りでしっかと戻っているんですね。
例えば、「Something in my soul」で見せた駆け引きの先。その根底に流れていたのはブラックベースの、音楽。向こうの、それこそBOYZ II MENのような、コンテンポラリーなスタイルで。
「それを日本で、20代で、やってみたら、どうなるんだろう?」

てことに気づくと、別段「熱帯夜」というのは驚くこともない機軸上の曲。ではあったんです。
ただ。この曲をシングルで出し。『FIVE KEYS』を出した、までは良かったんですが。そのアルバムを提げての「FIVE KEYS」ツアー、俗に「五鍵」と呼ぶことになる、このツアー。本当に「鍵」となるツアーとなってしまったと言って、いい。
この話をすると、本当に長くなりますよ(ニタリ)長くても良いなら書くけどね、書きません。だってそれこそ面倒だ<待て(自爆)

で、c/w曲「CENTURY」は「歌詩まーんま銀河鉄道999の世界じゃん!!」と安岡氏にツッコミ入れたくなりますが、ツッコミ入れ過ぎない程度に入れて。じっくり腰を据えて曲の世界を堪能すべき、そういう楽曲です。
個人的には翌年2000年、「ゴスペラーズ坂ツアー2000」名古屋センチュリーホールでのご挨拶、安岡さんが開口一番「センリュリィィイィィ」と絶叫したのには、本当にね、その場で涙目、でしたよ…
「あーーー、あの歌詩をオロす人だよ!!」と思っていた矢先に
「いちばん後ろも、後ろまで!!」
そう言われて
「って、ここかよ」
この日の私。三階席最後列、彼の言う「いちばん後ろの後ろ」にいたのでした。
「マボロシィ!!!」と叫んで事前予告ナシ。周囲に気取られる事?なくフラ〜ッと名古屋に観に行った時のことでございます。懐かしいなあ、この時は名駅前で公録で歌うSMOOTH ACE観たさに来てたりもして。シングル「GONE」の出た時期で「GONE」と当時リリース前だった「抜け殻」にKOされまくってました。で、この日も「リアリティー」で踊る(大爆笑)と。まあ、この話は別の場所で長文、オロしてあると思われるのでね…、てことで逃亡。

 
 
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