031101-031110

my life goes on...,not forever.  it's dailyreports!!


■031101

ざわめいた街路樹が 涙を誘う迄  気付かなかったのです

流石に2週間分。週末の首都圏出没一泊二日もあって疲れが出てますねえ…
仕事が始まって週の半ばで2週間が経過しまして、で、昨日は初の勤務表の締め。でした。
SEをやってた時、自分の会社に手書きで一枚、自社ソフトで入力に加えて関連会社の勤務表(Excelのシート)。一ヶ月のまとめを月の最後に始末するのが職場の皆の常、で。もって、ひとり三枚を書き上げる!!これで午前中が潰れるか!?をい、てな勢いの時を経て。
今、お仕事を頂いている某社はA4の用紙が一枚。OCRで読み取れる上に複写で一度書くと後ろについているスタッフ控と管理者控にも記載が済む、という。わかりやすい方法で。それを末日にFAX送信+郵便で原本送付。サインは毎日、ということらしいが上役に伺ってみると
「いいよ、一週間に一度で。まとめて書くよ」
逆えない、という言葉が脳裏を駆けました…。はうう。

・Windowsの宿命
先月からまたKlezが…(苦笑)
重い添付メールが来るなあ、と思うと「ウイルスが発見されました」→「ウイルスを検疫しました」の処理が走って。これが続いてます。
メールのヘッダーを開きReturnPath:を見ると、これが何時も同じ人のメールアドレスが記載されているんですよ。同一犯かい!?まさか。
Windowsは使っている人も多い反面、使いこなせていない人も多い(爆)OSだと私個人は思うし、そういう私だって使いきっているか定かじゃないけれども。あのー…、危険度が発表されてはUpdateが走るOS(苦笑)を使い続ける以上、最低限の対策は必要不可欠だろうに。
特に、ウイルス対策は他人に迷惑をかけない為のマナーとしても必要だと思うわ。知識としてもね。
ホントのところ「わけのわからねえ添付が来たーーー」でガタガタ言い出すんじゃねえ!!(怒)って。そういった経験が過去にあるんで引っ張り出すんですけど、その時は自らを被害者のように思っている書き手に誤解して欲しくないが為に「それは、だね」と返答したものの…。
正直、言えば。その質問ひとつで「アタシはここまで無知です」言っているようなモンだ(苦笑)コレですよ、通常の私の反応たるや。
だから普段なら無視、する(苦笑)ただケースバイケースで、時には珍しくそういったことを書くこともあって。で、そういった考え、10秒あれば展開する。そういうスレッドに自己処理が流れる言うのか(自爆)ねえ…

コンピュータを使うなら。コンピュータに関して一定レベル、勉強する覚悟がいる、そう思う。
幾ら昔に比べて敷居が低くなって使い易くなろうとね、「知らない」じゃ済まされないことが多い。そこでの流儀もあるだけに。
これが仕事場で開発で、って前の職場のようなところ(プログラム開発、とかね。と自己弁明的注釈)だったら、ウイルスひとつで死活問題。まで行かないものの、記憶に残る中にはテスト期間中にテスト工数管理のExcelファイルがウイルスにヤラれまして、瞬く間に死んで。職場全体が非常に殺気だつだつ。
ウイルスがバラ撒かれた!!とわかったところで風雲、急を告げるわよー。生命線ですから、仕事の。ウイルス発見で即「LANケーブル、スッパ抜け!!」となり、Windows95にIE5.5をノセろと言われた時は「大丈夫なのか、MS製品」と動じましたけどもね(大爆笑)

・『コサキン』が出来るまで
実のところ、夏の間に日比谷で冊子で持ち逃げていて。だから内容は知っているものの、こういった形で『コサキン』が紹介された記事に目を通していると[click]「いいもんだなあ」と思えますね。
この『954press』は無料と思えないくらい質が高いと思えたラジオ局の冊子だったので、送料負担で申し込んでも損はないと思われます。けど、TBSラジオを知らないとキツいよなあ、これ。
「関根さんの向こうに座ってるの、有川さ〜ん」なんて、なってしまうのだから重症だ。
発売日当日にDVD『コサキン仮面』を買っちゃった私なんですけど(自爆)しかも私この話題になっている書店まで行って[click]、ですね、握手会は「友達と会うから〜」とハナから参加せず。
「ゴスペラーズの黒沢さんが事務所の社長に、太り過ぎでカレーを止められたように、有川さん、コーラの飲み過ぎで、そういったことにならないでくださいね」って、この言葉、有川先生に言いたかったのに(大爆笑)
本編以外にも今年6月に行われた都内ミステリーバスツアー(下北沢で伝説の…!!)などCSで半年ほど放送されていたのもあってでせうか、映像が色々と入ってて。お得。
まー、関根さんがスダジオで踊る踊る(笑)ムックンは何度メガネを外して泣いているんだろう(爆笑)ルー節、酷すぎ(大爆笑)『コサキン仮面』で使っているのはたけし城だ!!何故に歩き回っている住宅街が百○ヶ丘(電信柱に「ここは○○町○丁目」ってのがあって見えてるんだもの)…であるとか。有意義な80分だったわ。

そろそろ10月に突如起こった「サイト作りを考える」を始めましょうかねえ…、今から始めないとむしろ12月が直ぐ来そうだ(笑)12月12日で5年ですよ、個人サイトなのに。始めた当初とは正直、同じ方向性でやれているか?言われると随分と趣は異なっているけれど。それでも。
ちょうど2000年まで「no address」は振り返れてはいて。残りは2000年以降。あとは「GO UP HIILL」ですね(笑)昔のtop、ありました。恐怖のフレーム組み。あとJavaScriptを使った1時間ごとに歌詩が変わる、っていうLyric clockとか、見所、あるのかも。
当時、誕生日記念で作った画像とかあったので「デスクトップカレンダーを作ったことまであるのだね…、ううむ」ということで、一部、そのへんを出せればな、と。思ってます。
個人的には「G-FILE」の「ごす絵日記」の書式に則って(タイトルが青文字、フォントも同じ、フォントサイズもソース読んで「ああね」と採用)「八王子、チケ、譲って頂き感謝です」と勢いで全文を書き(申し上げるまでもないが、ライブレポートを書くのに必要なものは勢いだ)ホームページで使う際に更新しやすいようにと配慮したからこそのHTMLファイル・書式統一までして「メールに添付して、あんさんに流したるう」と思ったんですよ。
けど、あの人の「メールへの添付ファイルはウイルス対策のため、有無問わずに削除の方向で」を思い出し「まー、URLを流すか。いつか」と思って流していないまま放置プレイだった(呵呵大笑)GTツアー、八王子公演のライブレポートってのが一番に衝撃やも知れませんね。
自分で忘れてて衝撃だったんだけど、書いたの、あの川崎の部屋でですよ。会社員有休消化期間中のことだ(苦笑)すっかり記憶になくて忘れてたわ、アタシ。スカッと書いたことが抜けていたことに驚き。
てなると「GT」で文章に仕切れていないのって宇都宮と秋田か(遠くを臨む)宇都宮は兎も角、秋田を書いてなかったんだアタシ(しばし呆然)

(♪:ともさか りえ「少女ロボット」)


■031102

ヒドイ嘘をついて ふさぎこんだり  あてもない夢を見たり

♪生きてゆくことになげやりになったりして〜

てなわけで予約注文しちった☆Amazon[click]で。
てことで紹介しようじゃないですか、小さいながらも画像付でい。ええい!!
Thank You LIVE BEST ALBUM + LIVE DVD (初回生産限定盤) [LIMITED EDITION]
てなことでシカオちゃんのライブベスト『Thank You』も限定盤をAmazon買いしてしまいました。あうあうあう。
金欠の時の為にと残しておいた2,500円分のAmazonのギフト券を使って。確か使っているクレジットカードのポイント[住友VISAワールドポイント]→GPOINT[click]→Amazonというポイント変換を施して手に入れたもの。
これ使って『カマキリ伝説』(→Amazon.co.jp)でも買おうかと(…、わかりますかね?関根さんのモノマネを集めたDVDです)思っていたのですがシカオちゃんのライブですよ!?SLTのライブも外し難いと豪語するけど、同じ位に外し難い、そう思っている人。
確かに私がスガ馬鹿な一面もあるんですが、ドラム沼澤尚氏、ベース松原秀樹氏ってところでJ&Bではあるんだけどヤハリ'90年代中盤のSLTを支えたボトム隊を…と書いて。今、SLTの武道館ライブDVDが11月に、と思ったのでAmazonで検索かけたらDVD、今度出るPVのしかなかったよ…
なんとなくと思えない程度に悲しいので(苦笑)先日、知人から録音依頼を請け負った勢い。このアルバムの話をしちゃいましょう。

CONCERTS
SALT&SUGAR(S&Sと略記)名義の、現時点でも唯一のアルバムですね、『CONCERTS』とタイトルされたライブ録音10曲(カバー)とスタジオ録音3曲(オリジナル)で構成されてます。
このアルバムが出た時に「このアルバムは10年聴ける」と即座に思った(笑)わけですけど、これは1996年12月リリースなんですね。これと前年10月にリリースされていて、実際のところ私は1996年6月頃に手に入れることとなるゴスペラーズの1st『The Gospellers』(→Amazon.co.jp)と坂本龍一教授のアルバム『1996』(→Amazon.co.jp)が「この年聴いて降参したアルバム」の三傑状態になっちゃったんですよ。当時の私だから、20歳から21歳。すっげえ地味な20代の入り口だなあ(自爆)
この三点に共通することがあるとするなら、サウンドを作る際の隙間に鍵があると思います。

教授とS&Sというのは楽器数が少なく、必然的に演奏者、歌唱者の力量が問われやすい作りになっています。アコースティック過ぎるほどに生音なのですね、コンピュータが一切ない。ピアノと歌、だとか或いはピアノ、チェロ、バイオリン…といった具合でして。必然的に隙間が多い。
1996年という時代背景を考えてくださいましね、小室先生produceモノが全盛を迎えてました。隙間がないんです。コンピュータなものは世間に溢れ過ぎて興味がなくなりつつあるわけですね。当時の私はかなり音楽的嗜好、思考、志向共に左右されていた存在がSLTでしたから。で、当時のSLTというのは完全に生楽器、生演奏志向へ向かって邁進している最中です。実際問題、その2年前、1994年[ゴスペラーズがデビューする年]にSLTは生音志向への所信表明のような7枚目のアルバム『togetherness』(→Amazon.co.jp)を切り出してオリコンチャートで1位を奪取していたわけです。
かなり「時代の神様」を味方につけつつあった当時のSLTなんですが、その、その後は今、皆さんがご存知のように。ということでして(微笑)考えてみるにセルフカバー、カバー曲、ライブレコーディング。オリジナル全盛の当時に、先んじて出されたアルバムに私は飛びついていたんですね。

じゃあ。類似点のあったふたつと違いのある、ように思えてしょうがないゴスペラーズは?言われるとねー。
バッキングは正直、良いとは言い切れません。非常にチープです。スカスカです。が、むしろチープでスカスカで、正直良くはない打ち込みの上にダーーーーッと武器である各自、色が違う特徴も違う質感も違う全員が全員混ざりづらい(大苦笑)声を5本、置いて。トラックの上に重ねてしまったんですね、彼ら曰く「ハモリ風呂」の如く。
この手法が「ゴスペラーズ特有」という味となり、後に「全員が声をブツける」というゴスペラーズのスタイルとなっていき、彼ら自体の武器となっていくのがこれはまた凄いところなんですけれど(爆)
「祈りの街」という楽曲が典型例かもしれないんですが、間奏だろうと何だろうと声で押し切り倒した、っていうカンジがあって。それにビビったんですね。向こう(海外)のグループがやる手法じゃないか、それを聴き手の耳が育ってないこの日本でやっちゃっていいのか?そんなことまで素人の私が思うほどだったので。

バッキングの持つ無機質な薄さ、平均年齢20代前半(!!)の荒削りで硬く未完成な声。結構、対比としては鮮やかなんですよね。
加えてバッキングや後ろを流れるトラックの持つ機械感、人間味のない様が、より、声の持つ生々しさを生んだ。恋だけではない、迷いや苦味を帯びた歌詞を曲に乗せて歌うことで、それはより加速した。「Higher」が「永遠に」以前から彼らを知る、特に初期ファンの人ほど「U'll Be Mine」と共にコアな支持を集めやすい理由は、この生々しさを嗅ぎ取ったからでしょう。
都会の持つ構図と、それはそっくり同じだったんです。ビル群、高速道路、地下鉄、路上、そういった都会の無機質でしたたかに生きる人間の鼓動、叫び、祈り、孤独、呟き。そして歌。
そういう時代をリアルタイムに経たから、だけじゃないと思う。正直、彼らの恋愛モノの歌は…(苦笑)昔は好きだったんだけどね、今は。この人を共感させよう思うなら「永遠に」を例に引いてもわかるだろうけど、非常に手厳しいよ(自爆)とだけ言いましょう。

後に隙間を生む編曲をすることで楽曲構築に成功したのが、ゴスペラーズの数あるアカペラ楽曲の中でも「カーテンコール」にあると私は分析するんですが、この時は、こういった空間構築はしていない。というよりも彼らには出来るほどレコーディング作業に長けてもいなかったでしょう。
この時は歌+バッキングトラックで、どこまでやれるのか?その手探りの第一歩だと思うから隙間を考えてはないでしょうね。で、肝心の1996年リリースのアルバム『二枚目』(→Amazon.co.jp)からわかりやすく楽しい広く音楽を取り扱うバラエティー路線に行ってしまって(と書くか、アタシも)最後は「声のバラエティー・ショップ」が如くポップス大全開で、それはそれで個人的に出来が良いと思っていて好きなアルバムのひとつ『Vol.4』(→Amazon.co.jp)まで行き着くわけですね。

でも最初の最初がシカオちゃん話。そこから何故ゴスペラーズのアルバム論になってもうたんだろうなあ(自爆)
「サイト作りを考える」も起こせなかったし…、と海より深く深く反省しつつ。

(♪:スガ シカオ「アシンメトリー」)


■031105

いつか空を引き裂くBluesで 塗りつぶしてしまおう

スガ中毒絶賛開催中。なわけないじゃん!!
DVD映像観ようにも週末までゆっくり腰を据える時間がないような…。CDはWalkmanあるから移動時の持参が可能だけどDVDを観る時間が欲しい、という…。ひとまずは平日のバカヤロウ<待ちなさい。
仕事は順調です。だいぶ連携なり提案なり、やれてきてなくもない。ケアレスミスには気をつけようと自分を戒めつつ時折不意に睡魔に襲われて(大爆笑)だいぶ職場に馴染んできた証拠ですな。
元rough laughのボーカル、さっちんこと西沢氏がソロで活動開始とは…。さっそくリンクに新規追加。表示のあるリンク先に行くべし>該当者各位
前の事務所と繋がったままだったのね、というのが正直な感想でした。健一先生+きーちゃんでL-R秀樹くん抜き(爆)=curve509の破壊力は流石にないまでも(そうそう。スクーデリア@小吉センセヒのライブに健一先生ゲスト乱入。しかもオリジナルまでやった模様。なぬう!?)それでもデカい事件だわ。首都圏は対バンで活動始動のご様子。あ゛、このライブはSMOOTH ACEで上京する前日、金曜日のか(落胆)
とかいいつつ12月の堂島くん、取ってません。あ゛う゛ーーー。名城大学は行けません、グータラしてました。なんか今の気持ちはGGKRを敢えて流して今回は12月27日のスタレビ@名古屋に行ってみようかと思い始めました。スタレビも欠乏してんのよねえ(溜息)土曜日だし観れたらなー
以上。思いつくまま書き流してみたら、こういうカンジになりました。考えは常に動いて止まるものではない、ということですね←そ、そうか?(汗)

・サイト作りを考える-「GO UP HILL」篇(1)-
それにしてもやはりリニューアルが多いサイトかもしれません、「GO UP HILL」って。小規模なリニューアルというよりは大きくして、規模を小さくして、挙句は掲示板オトして、でもって現行の赤メインへと移行して…とやっているから出る錆の多いこと多いこと(苦笑)
最初の頃のサイトデザイン自体、ご存知の方ってどれくらい、いるのかなあ?そんなことを思いました。最初の頃がいちばん作っていて楽しかったのは確かかも。湯水状態で沸いてくるものがあったから。今は地下潜伏するくらい枯渇の一路を辿っていますが(自爆)

何がスゴイって英字全角使っているところだよな、今じゃ絶対英字も数字も半角で統一していますが。1byteと2byteは大きいよ(笑)全角は日本語OKならいいけれど、これで必ず英語圏の方が読めるとは限らないのよ。
で、当時の私を象徴しています。フレームとテキストだけ。画像がなくても出来るんだよ、ぢつは。の典型例。これはフレーム…、五つですね。上下左右と真ん中。
これを変形させた形が、次のものとなります。

と言っても。これは大きなリニューアル変遷で言えば「ver.3」なので間に「ver.2」の時代というのがあって。その頃に関しては後日、じっくり触れたいと思います。出せる状態ではあるんだけどねー、これはかなり楽しみなモノもあるので適度に期待してください。まさかのバックナンバー公開、ですから。
で、今回、ver.3のファイルはファイルを公開するに当たって当時の文章をふたつ、あげています。
ひとつは「fiveplusone」
2000年12月21日にあてて書いたメッセージとなります。ちょうど6周年だったのかな、で、書いた、と。そういった文章があったので今回に特別公開することにしました。今になると自分で書いたものに怖さを覚えます。
「アカペラ街論」というのは、まー、アカ街観た勢い書き上げたものです。当時設けていた雑文コーナー「a la mode」に入れていました、そのまま公開。これがいちばん恥ずかしいんだよなあ(爆)井戸底まで見る女の面目躍如です。
で「ver.3」時代、一時間毎に歌詞が変わる、lyricsclock[歌詞時計]なるものをJavaScriptにあったので使って、こう、歌詞が出るようにしてたんで、それも。これはねえ、使えますよ!!相当に。ソースご覧になってください、笑えますから。
今なら「Dawn〜夜明け〜」とかあるけども。「残照」で夕暮れ時?なんて出来るけど。あの当時は『FRENZY』も『アカペラ』もないからねえ!!(爆笑)あったのは「永遠に」ですよ、「告白」出るくらいまで、かな。なので歌詞が全般的に古いかもしれない。
手短ぎみで、今日は終わります。だって週の半ばだもん!!!!!

(♪:スガ シカオ「SPIRIT」)


■031108

あなたは鏡 愛する余り 正義の裏切り

孤独なカウボーイ。

トップページ、サイト名の入ったタイトル画像。変更です。
一度作ったものの、出して一日で手を入れ直して再公開。当然前のものはお蔵入り。自分でも「あれよりはこれだろ」と<自画自賛しないの。
この写真は一度、トップページに使ったことがあるヤツですね。見覚えのある方、正しいです。短期間で使わなくなったもの、とはいえ以前使ったものだから(自爆)これは後楽園駅です、後楽園駅でも営団南北線。地下深いほう。
しっかし人が風景になる写真が多い人だよな<またかい。

さて今回、作成前に丹念に過去のデジカメ画像物色しまして…。過去に使った画像で再度使いたいと思えたのは、お台場。メディアージュの25メートルはある、といわれたクリスマスツリー。覚えのある方が多そうな。だけど、あれ、元の写真データが無え!!加工済、文字入りしかないなんて。ああう。迂闊。最悪。
せめてものpngファイルも無え!!って有様で。皆様、バックアップは絶対にしましょうね。こうなりますからね。…、焼いたのかなあ、CD-COMに。かもしんない。昔、少しだけ興味もあって焼いたんだった。だとしたら、そっち見ないと<忘れてるなよ、今の今まで。

・サイト作りを考える-「GO UP HILL」篇(2)-
「GO UP HILL」というサイトは1999年2月22日開設です、ここが1998年12月12日開設なので若干、日を置いて作られているようです。「ようで」はなくて実際、後から作っています。
まあ、ご存知の方も多いでしょうし。私も何度か書いたことなんですが、苦肉の策が「GO UP HILL」という形になったんです。最初からゴスペラーズで作る意思がなかったんですね。

1998年からネットをしていて、その年の終わり頃。私のネット環境にふたつ、流れが出来て行きます。ひとつはSLT、ひとつはゴスペラーズ。
ネットし出して最初の段階で足を踏み入れていたSLTのファンの方との交流が(その流れでゴスを教えて転ばせた人も多いのう…)某HPを介して続いていた私は、年末年明け以降、そちら(微笑)方面の方を凌駕する勢いでいらっしゃるゴス絡みの対応ってのに思案しておりました。

作って出してわかることってあるんですよ。
「自分が思ったように、思ったことを、考えたことを、誤解無く相手に受け取って頂くことがどれだけ難しいのか」という命題は作った後に知ったことでした。
これは前置詞ではないんだけども、文法上、明らかに違うし。けれど、常々思うことに、ありがちこととして「その人の、前に置く」言葉でその人のイメージ、固まっちゃうこと。多くありません?
「○○の、××さん」っていう…。そういうものと噂ほど止めようも無く独りで歩いてくものなのよ<と誰に向かって言ってるのだ(爆)
好きなものと、その人を繋げるとしますよね。例えば「ゴスペラーズが好きな、さちさん」もあるでしょうし「SLTが好きな、さちさん」もある、今なら「堂島くんが好きな、さちさん」だってあれば「Grapevineを影で見守る」「TBSラジオに弱い、メロメロになる、さちさん」とか、色々あるでしょう?

で、実際にHPを作ったら、私は「ゴスペラーズが好きな」という括りで来られる方が多かった、と。その話題も自然、出やすくなって。他の繋がりでいらっしゃる方に、それはどうかなあ、そっちを思ったんですね。
好きなもの、伝えたいこと。文章にしたかったこと。文章に関しては自負と、元々に欲がありましたから。書いていないと錆びるモンなんです。まず、それがひとつ。ホームページを作ってみたい、というのは確かに興味で、あった。
「no address」、そこから繋がる「traces」も、本当はそういったこと全般的に。気の向くままに挙げていこうと思ってて。個人ページ願望、それが最初にあり。けれど、それじゃ賄えない一面もあって。それは「○○が好きな」という一極集中。
「なら、作ろうかな」
他のサイトがやりたいと思ったことの殆どをやってしまった後だ、と。当時の段階でそう、思っていました。
今、やってらっしゃる人に敬意を払う以上、同じことはしないと決めていたので「何をすればいいのよ」となっていたので、だから前述にある「最初からゴスペラーズだけで作る意思がなかった」んですね。
だから、サイトで通常書いた文章の延長線上になる。初心者に向けて、とか、紹介したいとか。そういうんじゃあ、ない。知っている上で読んで欲しいサイト。だから最初からトップページに「上級者向け」と歌ってしまう、恐ろしいサイトが出来てしまったわけです。

ともあれ。それもあって、SLTのサイト。ゴスペラーズのサイト。作り出します。そして動かしだして。ゴス絡みとなった際、自分の紹介の時にサイトを出せるという利点に後々、気づきました(笑)
思った以上にゴスペラーズに手をこまねいて、なかなかSLTのサイトは動きがないですけれど(自爆)特にSLTは活動が止まったり、といったことも絡んで。

今も。「traces」に名前を変えた今も「ゴスペラーズを好きな、さちさんの」といったところはあるなー、と思っています。けれど、しょうがないと割り切りました。
まあ、出る時は出るものなんですよ(自爆)控えれば良いのに。だから今じゃ普通に書く。書けると思う時は。だけど、ここの日記にゴス絡み話題を書き控えた時期ていうのもあったのでね…。
ここの掲示板が日記のレスポンスになりまして、ですね、うん。名古屋マボロシの時です、2000年の終わり頃。そういうことの記憶は強いんだ(笑)
ここの日記に、日記だから「行状」を書いて出してしまったんですね、名古屋行き一部始終。私も私で勢い、書いてしまった。まあ、デカかったんですよ、坂ツアー2000の名古屋というのが。今じゃ「あれがなかったら」という転機レベルに(爆笑)
で、日記にレスポンスが入った、という…
そりゃそうだろう、客観的に考えれば。日記に書かれた話題にレスポンスすることに間違いはないんだもの。
ここ自体、私一個人と知り合った人は読みやすかろう。昔も今も、そうけど、という近況報告というプライベートな公開空間。そう思ってもいたので、新規に来た人がいても文脈や流れを読んで「程度」ってものは、「境界線」ってものは、きっと読んでいく中で伝わっているだろう。そう、この頃までは楽観的に思っていたんですよ。
「あ、違うんだ」
私がそう思ってしまうことが間違いなんだ。

それはゴスの話題なのだから。と、書き込む場所を相手が考えてくれるなんて。それは私の思い過ごしなんだ。
ゴスペラーズ絡みの話題をする場所、その為に「GO UP HILL」を設けて、そこに掲示板まであるんだから、と促さないと駄目なんだ、もう。
自分が思った以上に「ゴスペラーズが好きな、さちさん」のサイトだから読みに来ているのだな、と思った。思いましたね、本当に。

それ以前から色々と。トラブルではないものの、「じみた」ものが多くて…
普通の第三者が巻き込まれるわけがない、という事柄が自分に「ばかり」と思えるほど。何故か、こういったものを呼ぶんでしょう、降りかかってくるんですね(笑)「調整役」性ですから、立ち回ってしまう悪い癖が頭をもたげます。
でもって、先日の記述にあるように、この人。「女子体質」じゃないんですね、女の子らしく出来事に遭遇してオロオロするんじゃなく「考えて」「動く」って、いう。かなり場を読んで仕切る人です(爆笑)アカ人苗場で総勢42人(点呼した)を一部屋に導いて、当日幹事制御不能状態な現場を緊急で仕切り場をどうにか収集させた人です(大爆笑)悪いけれど、この手のケースの性根は座ってます(呵呵大笑)だから日常が緊急対策相談窓口状態(爆)っていう…
「アカ街」で村上が「俺は現実的だ」といった科白を吐くんですけど。あれに非常に近いでせう、きっと。だけど、予知発言でわかる通りの直感行動派、脊髄反射的なのが怖いのよね(自爆)
普段の仕事をしつつ、です。当時は今のように派遣で事務のねーちゃんじゃないんですよ、会社員でプログラム書きしてると胃がイタイ、そういう職業で余所の会社に常駐してて<実際、よくプログラム書きの際は、出来ないと逃亡してましたが(爆)事実、ひとり残って残業してて、連絡貰って、協議してて、公式見て「!!」驚愕したことも(遠い目)

そういった日常的雑務に<雑務じゃないっつーの、日常的に舞い込んで来るオンライン的相談事にオフラインの現場で気を配って。ひとりで心を砕く作業が続いていて。それ以前にゴス自体を「観たいと思えない」となってしまってましたしね。そういった時期に、ただでさえ「人に気を遣えていない」と自ら分析して思う人が、知らず知らず調整役になってて(爆笑)クルクル自ら動いて、気を遣って善処を試みていて、なんてのを表沙汰にせず、出来ず、コツコツ裏でやっていたものですから。ね、溜まりますよ。
「ゴスペラーズ絡みで疲れるのはもー、いいや」って思っていました。特に「本人たちの音楽に懐疑的になってるんだもん」って。五鍵という、1999年の夏から秋にかけてのツアーが私にもたらしたものは、明らかに彼らを観る目がマイナスに変わってしまったこと。これに尽きます。
ゴスペラーズ自体に思うことがあった。更に周辺のことで奔走しがちな展開も、あった。だから「ゴスペラーズ絡みで疲れた」という発言になってしまって…

ホント。参りますよ、素直に零すけど。
オフラインの生活にオンラインの事柄が入ってきて、その間を立ち回ることに苦慮しているのに。私は第三者のはずなのに。だからといって被害者になっているとは思わないものの、本来は巻き込まれない出来事の数々に事実、巻き込まれていて。
今から思えば、何故?ってくらいに。太かった神経を徐々にすり減らしていく一方の毎日でした。まあ、今も、そういったところはありますけれど。あの頃よりは良いです。経験値があるから(爆笑)
だから。2000年から2001年の私には、息抜きで入るオンラインが、どこにも息の抜けないものになってしまいました。ネット上での様々な他人の行動、言葉のひとつひとつが尖り、突き刺さり、常に気荒くなり、苛立てるものになってました。些細なことであり、笑い飛ばせば良いことかもしれないことでさえ。
そういうこともあって。2001年以降は他の人が作られるゴスサイトって覗き見自体、しないんですよねえ。読みたいと思わせる熱を、どうも私が感じない。新しいところほど存じていないもの、本当に申し訳ない程に。
後日、戦友ともいえる(呵呵大笑)某方から「あの頃、さちさんは、ほっんと。ファンを辞める勢いあったよ」と言われたのを覚えています。この方は私の文章で心理状態の殆どを読める(それも当たっている)方だけあります。以前、某方をよく知る方とお会いして、その時に御墨付きまで貰ったものさ。

「GO UP HILL」からの、ここへのリンクを切ったのは、その後のことです。同一サーバーで動かしているんだからリンクを切ろうにもURLでわかりそうなものなんですが、ひとまずの対処。ということで。
「さちさん」という個人で、というサイトに「no address」を(今は「traces」ですけどね)。ここを見て欲しいと思ったんですね。そうなると「GO UP HILL」と繋がっていることはマイナスだと思えた。だから切り離す、という行動に出ます。
上記のような精神状態だったので、掲示板をオトす。「鍵をかける」と言って無期限で掲示板を閉鎖にしたのも、この時です。さもないと私が暴発しかねなかったんで。それで自分の問題の一部が収まるのなら、それに越したことはない。そう思っての。結構、苦渋の判断でしたが。そういう行動を。
時間ジャストにサーバーから掲示板の中身を全消去した私に、知人が「本当に時間キッカリになくなっているから」と名残惜しんで、後日、言ってくださったのですが。うん、ホントにジャストでFTP、あげて。サクサク撤去してました。

「もう一度、再開しようと思わないんですか?」
そういったお問い合わせもないので、返答することもなかったんですが…。2003年の今は?となると変わってくるのか。2003年の現状を踏まえて、一度、返答してみたいと思います。
ああいった掲示板の会話流れが今、この膨大なファンでごった返す状況で出来るか?と考えたら正直「出来そうにないのかもな」と思っています。
あの頃の終わり、2001年4月末日までの状況で「だいぶ、言いたいことが言いづらい状況が出来上がってきてて。言い出すと怖いと言われるんだろうなあ」と思えていたので。
特に、あの頃。1999年から2001年だから。ゴスペラーズが微妙だった(苦笑)そういう状況だから、逆に、密度のある交流が保てた、割に暖かな交流が起こったのだと思っていて。同じことは望めない、他人に頼めるものじゃないしね。で、そういった状況を思えないんですよ。それに一度、辞めてしまえば。同じ人、同じ場所でも、もう、同じものにならない、なれないでしょう。別のものになってしまう。
あの当時の方針を持ち込んで始めたとして、それが私の望む方向に受け取って頂けるか。非常に疑問が残ります。余程、私を思い切らせる出来事に私が遭遇しない限り、難しいでしょう。期間限定で、ってのも考えたけど。まあ、ね、再開したって何も今更でせう(微笑)そうも思っていて。
どうなんだろうなあ、ああいう場所って本当に要るのかしら?余所にもあるんじゃないかな、そんなことを思います。だから。
イマ、ゴスペラーズ、ノ、ファン、ニ。ねえ…(遠くを見る)
正直にいえば、私が動くことはないと思ってるんで。

掲示板をオトしてから随分久しく時が流れて、本当に久しぶりに。閉鎖して数回程でしょう。数えるほどしか読んでいない、閉鎖前まで稼動していた当時の掲示板のログを読んだんです。最後の日までの間が怖いことになってました。あれは封印して良いのか!?(ガチ○コ調のナレーションにて脳内再生希望)
最終日の書き込みには、本当に頭が下がります。本当に、本当に、ありがとう。あの時の判断があったから、その後のファン急増期に気持ちがこれ以上、荒れることなく。予知具合とレーダーの感度と(大爆笑)ひねくれ具合は更に増しながら今に至れています。この、現在に至る過程が証です。

「あなたの声が届くように」
同時に「彼らに、この声が届くように」
そういった思いで「Voices」という名前で始めた掲示板。
ここから繋がりが出来た人も多いです。キッカケはここでも、もう、離れたところで別の密度で、交流が起こっているんじゃないかな、と、時折、思います。なかなかに実りある場所になってなくもない、と思えた頃にハイ閉鎖。だったので惜しいと思った人もいたかもしれませんが。
言いたいことが素直に言えて。皆に差別なく開けていて。その繋がりの根底にあるのが「ゴスペラーズが、彼らの作る音楽が好きだ」、それだけがあればいい。
音楽は縦に、横に繋がりあっていて。だから、他の音楽の話が出ても止めもしませんでした。毒のある発言も。皆様のサラリとしつつ、毒もありつつ、まぜっかえしのある発言。これとの応酬ほど、私が好きなものはなかったですし。
根底に「ゴスが好き」があればいい、という考えで動かしていたのは私自身がそうだったこと。だから他のサイトに比べ幾らかドレスダウンな会話の応酬が出来る掲示板であったかもしれません。
ただ、作り手に失礼だ。歌うたいに、それは失礼だ。ゴスペラーズ自体に失礼と違う?そう思える発言に関しては手厳しかったですね。烈火の如く、となってました。そういった発言が入るたび、非常に疲れる思いを重ねていました。
言葉での、言葉だけで向き合う「応酬」というものに。その際の怒りのぶつけ方に。誤解なく、次へ進んでいく原動力にする為に、過ちを互いに、前向きに善処する為にも。そう思えば思うほど、物凄く神経をつかって。
…こうやって書くと、まだまだ人間が小さいですねホント。もともと小さいんだけどさ(自爆)

| 確かに、自分のわがままに作る事は出来ると思います。
| けれど、それは「我を張る」に過ぎません。
| そう私は思います。
| 見る人を踏まえて、相手を考えた上で、どこまで自分を通すか。
| それは「我を張る」ということではなくて、自分を皆の中にどれだけ生かすか、生かしきるか。
| ホームページを作る今も、昔からも持っている最低限のテーマです。

| 何か制限する、相手に科す、そんなことをしたくなかったから最後のわがままとして「掲示板を閉じます」という言葉を、結論を出しました。
| 確かに掲示板を閉じずとも、いやいやながらに掲示板を出してもそれはそれでやっていけたと思います。
| けれど無責任な放置をするなら自分の手でキチンと幕を引く事をページ開設の最初の段階から考えていました。

これが掲示板閉鎖を告げた当時、返信として掲示板上に書いた文章の一部です。
引用したのは、この文章がいちばん自分の我が出ていると思ったから(苦笑)アタシ、こういう人だ。っていうところが露骨に。この時に「最後のわがまま」と書いていますが、書いていなくもないことですけれど、この時に「GO UP HILL」というページ自体の閉鎖まで考えていました。度胸がなかったんでしなかったんですけども。
ひとりで作っている時の作業って、案外と孤独なんですよ。ひとり、PCの前でコツコツ。お金が貰える作業じゃない(苦笑)だけど、それが表になれば独占物から共有物になってしまうのだけど。そっから、どう繋がるか。有機的なものになれば幸い、そう思って。

最後に、知っている人には非常に懐かしいシロモノを。こんな長い文章を読ませたのですもの、それだけのものを出しますよ。
デスクトップカレンダーです。どれも4月です(笑)
カンの良い方、おわかりですね。村上氏、黒沢氏、誕生日がどちらも4月。都度毎にメッセージページを作るのが面倒になって。ひとつに出来て、皆が楽しめて。と思ったら、こんな形になっていました。
2001年4月版[click]と、2002年4月版[click]と。
2001年は悩んだ末、こういった形に。色は赤、これはハナから決めてました。赤に白い文字。各自の誕生日とツアーファイナルがわかるようにしています(当時はアカペラ街、だったのよね、黒沢薫30歳聖誕祭ですな)。
2002年はGTツアーの日程をタイプでルーズリーフに印刷したもの、のように作った画像を作って、それに手書きで書き込んだような文字を使って各自の誕生日、「エスコート」リリースを入れての形。としました。
2001年は当時、掲示板がかろうじて稼動中だったので「見たよ」「貰ったよ」とコメントを頂きました。多謝。特に「赤色も文字も甘くなくかわいい」というヒトコト、有難かった。正に私が狙ったのはコレです。
で、この形も今日は。これで一週間くらい更新しなくても大丈夫<え?(自爆)

誕生日のメッセージだけは読めるようにしてありましてよ。ええ、左のページの画像をクリックするとデカい画像、出ます。安岡さんのです、これが「GO UP HILL」のversion2。で、誕生日になると、こういった形に切り換わっていたのですね。勢い上、この人のも出しましょう。

10月9日付の当時の文章に「しまいました」書いておきながら。隣は酒井さん誕生日画像でございます。ひ、酷いぞ。
当時の私の文章が上記にあった「ゴスペラーズ、ちょっと…」とアタリを起こして周囲に暗に陽に零す自分になっているところが読んでいる際のポイントですね。
この時に酒井さんの誕生日の一週間前、じゃないや、9月30日とかに出して。その行動に「何で?」と不思議がられました。まあ、わかるんですけど。
当時は忙しくて。休みの日のうちに作ってサーバーにあげてしまいたい!!仕事忙しいから!!って思惑も働いたんですが、書いたとおり。「2000年も人より早く迎えた酒井さんだもの」なんですよ。これに尽きる。メッセージページは読めるようにしたので是非読了してくれたまえ諸君<論調が違う!!
いちばんの理由は「なんだーー、誕生日前倒せるじゃん、この人」だったんですよ、そう。何で気づかなかったんだろう?この人は誕生日祝いを前倒し、出来るって。
…、翌年「誕生日を前倒せるから先に祝え」って現象を少なからず見たように思います。今はどうなんでせう?誕生日に祝うことに価値、かなあ?この人の性格を考えても祝うのは当日ってカンジがなくて(爆)

デスクトップカレンダー、というのは、この、酒井さん誕生日の時に初めて作りました。2000年10月ver.になります。
『Soul Serenade』のリリース+ツアー開始を織り込んで。
写真は当時、御茶ノ水界隈で撮影したもの。かなり自分でも好きな一枚でした。イメージ「Atlas」ってことで(自爆)
村上さんの、高崎の達磨はねえ…。再確認しても面白くないので掲載を見合わせます(自爆)その代わり、マウスだけで描いた絵(!!!!)という衝撃作を。
「GO UP HILL」が10,000counts overを記念して作ったもの[click]でして…。画像デカくて御免なさい。しかもgifじゃなくてjpgだ(自爆)恥じ入る他ありません、初期作品で。しかもWindows付属のペイントでやってるんだもん、スゴイよ逆の意味で。こんな行動をした時期がアタシにもあるのですよ。お恥ずかしい。
で、これは誰か、わかりますよねえ(微笑)ぬいぐるみ。プルートだもの、北山さんです。顔を描かなかったのは単純に描けなかったのと(自爆)文字を入れた時のバランスの問題です。顔を入れると座りが悪くなるんですよ、だから入れずに仕上げてみました。
…、ヨシ。これでメムバー全員だな<誰か一人でも欠けると失礼だと思い始めて焦った焦った…(汗)

ここまで長大になるとは思わなかったので(苦笑)…、うーん、先ずはシカオちゃんライブベストアルバム話は後日ですね。

(♪:矢井田 瞳「孤独なカウボーイ」)