The Grapevine tour 2003
CURRY'S SOUNDTRACK
[live memorandam 2003]

[030207]Akasaka BLITZ[tokyo]

[caution]   以下の文章はGrapevine tour 2003「CURRY'S SOUNDTRACK」に関して書かれております。
が、明らさまにネタバレです。
しかも超個人的過ぎるliveに関する考察的文章となってます。
あくまでも「私は」こう思った、そういうことです。
人間が違うので当然のことながら、考えが一緒になることのほうが少ないと思います。
むしろ違いがあって当然だ、と私は思います。そのへんは読み手の皆様、ご了承くださいませ。

感想のメール等々は此方まで。


■030207[tokyo]

涙に流れて使えなかった言葉を  空に浮かべていた いつも

そう、ここに。この場所に。ここで。こうして。
心はただここにあった、そう歌った、あの日と同じに。

終演後、coin lockerから上着、荷物を総ざらい取り出すと上着も羽織る時間もなく、外へと飛び出す(赤坂BLITZは屋内のlocker傍の扉から、実は脱出可能。なので、そこを終演後に封鎖されるということ事態が滅多にない出来事だといえる)。
なんだったんだ?
演奏は、序盤の彼らにしては掴んでいたと思う。そういった意味で危惧は晴れた、けど、だ。
「あの選曲はなんだったんだ?」

曲のintroのたびに心が止まる。そういった瞬間が誰かにしろ、誰かのliveの途中で起こることがある、と私は思う。私は、こういったこと、しょっちゅう、だ(苦笑)
その一秒とか、数秒のことで終わるものが殆どだとはいえ。けれど、この日は頻発した。何度も何度も、だから「なんだったんだ?」という一行に集約されてしまう。
この日、その現象の最初は3曲目の「BLUE BACK」で、だった。
「リーダー」西原楽曲(苦笑)にだ。まさかするの?思わなかっただけに。全員が作曲可能なgroupだけに、脱退騒動直後のtourだけに「ともすればやらないのでは」と思っていたところに食らった、counter。そぉーんなカンジだ。
その楽曲の歌詞以上に痛烈に、私の中で暴れる。『Circulator』の頃から目を奪うようになった、この手の楽曲。「ふれてみたい」とかも、そうかな、きっと。
その「ふれてみたい」が「BLUE BACK」後、短い挨拶を挟んで歌われた、その直後、2回目。今日2度目の、機能停止。introなし、歌詞が直球で来た瞬間、「ウソ…」と。呆然と口から零して、その言葉に我にかえる。
あんさん、「Reverb」かーーーーーーーーーーーーい!!!!!(壊)
ゴスペラーズ「永遠に」ほどの因縁はないものの、この曲、因縁、浅からぬ曲だ。思いっきり演奏がズレたように耳に入った、のが『Here』を引っ提げた全国tour「SOUTHBOUND」も序盤、4月のこと。その曲で始まったのが終盤の同じ、ここ、BLITZでのこと、で、6月。
それだけに、この曲に関して思うこと。「怖い」(苦笑)
なんか、初めて安心して、この曲を聴いたんですが…。この感想自体が間違いなのでしょうか。

そして「遂に」だよ、聴いてまうたよ泡…いや、「Our Song」を。
前回の全国tourで偶然、観れた日が「泡がない」(苦笑)日で。その前回のtourは、今回ほど止まることはなかったものの(なかったのは曲を聴いてられなかったんで殆どの曲がむしろ初聴きに近かったからだともいえた)ひっかかった曲は、それなりに存在した。
例えば「lumb」での「歪んでいったのは いつかの少年」というサビで。
本編最後に歌われた「アルカイック」で。「フィギィア」の壊れ方で。
この曲を歌われたら、きっと筋が近い「スロウ」は消えるlist?と思った読みは、当たったらしい。今回、遂に個人的jinxであった「「スロウ」が必ず聴けてました」が打破されました、たはは(苦笑)

脳内停止は「それでも」の後に歌われた「マリーのサウンドトラック」でも起こった。
まっさかやるとは、という意味での意表をつかれて。それによる、脳内停止。前回「フィギィア」でブッ壊された感覚を、より混沌に向けつつ整然と。粛然と。
その後は以前が、例えば『SOUTHBOUND』が生でドロドロとしたサイケで中盤、此方を圧巻へと導くのなら、今回は鍵盤が入ってeffectだったり効果音を用いながらの誘い方。SLTが『METAPOLISM』でやったことが環境音楽のようでいて、曲と曲との橋渡しに必要だと思わされた必然と感じさせるものだとしたら、その要素は薄い。
そして。この日最大の脳内停止は、その曲のintroが鳴り出した時に。
涙が出そうになるのに。聴けるなんて思わなかったんだから。あっ気に取られて涙も出やしない。どうして私の涙は出ないのだろう、いつもいつも。

君や家族を  傍にいる彼らを  あの夏を そういう街を  愛せることに今更気付いて

「here」だ。ここ、だ。
曲は気づけば、サビに入っていた。こういった歌詞が出始めた頃に出会った、から、かもしれない。この時期の楽曲への思い入れは強かった。
ここから南へ向かって。あの日観たsquare、それはtriangleになって。それでも。

あなただけ  見失わぬよう  手 離すなって  声が聞こえたなら

思いがけない人へ

斜に構えたところのあった、線の細かった、そう思っていた人だった。いつのまにか、centerに立つ姿が様になって、bandのvocalistとしての看板を背負うことに慣れてきて。少年をどこかに残していたように思えていた頃を経て、今の彼を観ている。ものすごく、大人だ。この人は。
歌い手としても大きく、同時に人間としても変化が多かったんだろう、なんて邪推も働く。けれど。
思い返せば、どこか内省的だと思わないわけじゃ、なかった。以前は「光に騙されながら行こうじゃない」と歌っていた。「夢は 夢のまま」とも歌ってた。気づいてみたら「(All the young)yellow」の暴れるvocalも、一方で見せる、この手のnumberでの説得力も。時折、guitarから手を離して、その時に「彼ら」だとしたら、その先を指すように手を動かし。「胸」と歌う時に、僅かながら胸へと手をやってみせる。そのどれも、どちらも、全部で、その人だ。ここにいる。
会うことの出来た、私の眼前を行き過ぎた沢山の人。そして、知った音楽の数々。名前を覚えている人も、名前を忘れた人も。幾つもの、住んだ街を。思わぬ場所に出てきても、それが人生だと思えるようになったのは、まだまだ短い人生の試行錯誤の中で僅かに会得した「意識」だ。

その後の後半戦。「羽根」「JIVE」とやられては、思いますよ、そりゃ。イイカゲン、アレ?って思えてきますよ。前回が新譜+c/w曲、最近モンで攻め立てられていただけに、思えてならないのですよ。
「『Here』楽曲、多いとちゃいますか?」(爆)
それだけ充実していたのか、も、なあ…、というのを再確認したのは「Scare」のplayを観ていて思ったことだったり。
本編の最後は。「ダイヤグラム」「アルカイック」、この手の系譜の曲なのだろうか。より過去の、となれば「望みの彼方」も入るのだろうな、と思いながら。この位置に、この曲は来るように思えて、ならなくて。だから「ああ」と納得できた。
「アナザーワールド」が丁寧に。これまでのtourで観た、数々のclosingと同じように。心に迫って。届く。

別の世界。リーダーがいた、今までの世界。と。リーダーがいない、今の世界。と。それまでと違う、それと違う、世界。けれど世界が違う、なんていうのは、そればかりじゃない。それだけじゃあ、ない。それだけとも限らない。
私の背中、その後ろでは違う世界が広がっている。私が知らないところで当たり前のように世界は動いていて、話題は移ろいを変えて、心はたやすく変わりがちで。けれど、確かに、ここにいた証は自分にキッチリ残るんだ、こうして。
嗚呼、あたし、西原さんに「おかえり」って言えなかったな。言いたかったけど。言えなかったな、そういえば。
そんな小さな後悔を打ち砕くのに、目の前の音楽は余りあるものだった。あっさりと「アナザーワールド」は、この1本のliveだけで、彼らは、小さな悔やみを抱えた私の気持ちをも塗り替えていった。
この音が好きだ。この音楽が好きな自分が、ちゃんといるもの。
ならば。この音を見守るまでよ、つかず離れず遠からず焦らず慌てず。

本当に。雛壇最上段(BLITZは後ろ半分が数段、階段状になっている)という実に後ろのほうで観ていたのにもかかわらず(風邪+頭痛で前に突っ込みたいとも思わなかったわよ)。encoreも「HEAD」になった瞬間、前のほうほど暴れはしない、初心者の多めな周囲を尻目に派手に手を叩いてましたわ(大爆笑)嗚呼、ぬかってないなあ、自分。てなことを思いつつ。
今の今、「ONE&MORE」をやられたら平然とハネるわよ、当然でしょ。「ひとつだけ」のphraseで指を一本、こう立てて見せるわよ、うん(微笑)
この日のlist、恐らく『SOUTHBOUND』参加者だったら「(「here」演奏後のMCより)なつかしーぃ、曲を」by田中和将氏、どころじゃないわよ?それこそ「聴いたわよ!!!!」という曲の数々に新譜を突っ込んだって思えてもおかしくないわよ、それこそ「(All the young)yellow」「Our Song」なんかが「気の早い新曲」扱いで演奏されるのならば(苦笑)ね。

(♪:Grapevine「光について」)